6話目

「疲れた〜」


 瀬名はあの時同様、彼の眩しさに緊張して疲労困憊していた。


 彼女たちがいるのは、数年前にオープンしたというケーキ屋のイートインで、お洒落な店内のイメージとは反するように周囲は人気がない。居るとしたら、レジ係と思しき女性店員だろうか。


 そのため、白地の壁に掛けられた木目調の掛け時計の、カチコチという規則的な音だけが、広くはない店内にこだましていた。


 彼はと言えば先ほど電話がかかってきた為、席を外している。だから窓際の小さなペアテーブルには瀬名の一人だけ。まるで糸が切れた人形みたく、クタッとテーブルにうつ伏せて、物思いにふけっていた。


(それにしても、先輩は本当に………)


 午前中は先輩達へのプレゼント選びに勤しんでいたのだが、事あるごとに彼の持つ紳士的な姿に何度、胸の高鳴りを覚えたことか。


 例えば、歩道では瀬名が道路側にならないよう、自然とエスコートしてくれたり、歩幅を合わせてくれたり、とにかく彼女の心臓は限界をとうに超えていた。


(——これじゃあ、先が思いやられる)

 そう分かっているものの、脳裏には稽古の時には見た事のない、大人びた優しい彼の姿が過ぎってしまう。


「——あー、ほんと狡い」

 無意識で漏れた独り言が店内に響いて、

(先輩のこと好きすぎじゃん、私)

 と苦笑していると、



「何が狡いの?」

 聞き慣れたテノールが頭上から降ってきた。

 ハッとして起き上がれば、そこにはいつの間にか戻ってきたのか、北条先輩が居たのだった。


(やば、めっちゃ独り言聞かれてた⁉︎)

 と内心焦りまくるも、何とか言い訳を並べる。


「いや、このケーキが美味しすぎてっ、ほんと狡いなぁ〜たいな?」

「あー、分かる。ここのケーキ美味しいよね、無限に食べれる感じ」

「そうそう——!」


(うまく、誤魔化せたのかな?)

 ちらりと顔色を伺うも、彼が何を思っているのかはわからなかった。が、


「……うん、でもさっきからケーキほとんど食べれてないよね?」

 という鋭い質問に、笑顔が引きつるのを感じた。


「あ、や、あんまりお腹空いてないんですけど……美味しいなあって〜………」


 無理やり言い訳を重ねるも、彼に通用するとは思わなかった。

 何よりも瀬名は嘘がつけないし、数秒前も一瞬で見破られてしまったから。


「美味しいのは分かったけど、無理しないで。買い物楽しくなかったら全然言ってほしい」


「違う、楽しくない訳じゃない!」と言いたかったが、何故か声が出てこない。


 そんな様子の瀬名を見かねたように彼は、

「……今日はもう帰ろっか」


 その一言がズシリと彼女の心にのしかかる。


 そしてもう一度、

「……帰ろう、原さん」


 気遣う彼の一言が、彼女の心を優しく包み込んで壁となる。


 ——いつからだっただろうか?瀬名が彼の中に、困ったような、悲しそうな、優しい表情を見つけるようになったのは。

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