5話目
しかし、あれからの関係は今までと大差無く、稽古を覗きに行く日々が続いていた。あるとしたら、彼に話しかけられようになったくらいだ。
それでも瀬名自身は確実に変わっていった。
"恋は人を変える"と言ったのは誰だったか、メイクやファッションだけでなく、今まで気にしていなかったようなところにまで気を使うようになった。
それに、恋をしてから部活や勉強においても成績がぐんぐんと伸びていった。
大きな転機を迎えたのは、数ヶ月後のこと。
引退する三年生達の為に、剣・弓道部活合同で打ち上げ会を開催することになったのだ。瀬名はその日のための買い出しを剣道部員の一人と行くことになった。また、自分がお世話になった先輩たちへのプレゼントを用意するためでもある。
だから、あの日と同じようにあの駅前で待ち合わせをしていた。
待ち合わせの相手は剣道部の誰からしい。
というのも、元はあの時に仲良くなった大森さんという二年生の先輩だったのだが、急用が入ったらしく代わりに誰かが来てくれることになったのだ。
(大森さんが直接教えに来てくれたけど、絶対会ったことある人って三年生くらいしか知らないんだけどな……誰かいたかな?うーん、どんな子が来てくれるんだろ?)
腕を組みながら、空を睨んだ。待ち合わせの相手はどんな娘だろうと思案しながらも、同時に
(まあ、でも仲良くなれるといいな)
と呑気に微笑んだのだった。
——だから瀬名は気付けなかった。待ち合わせの相手が"必ずしも女子である"とは限らないことに。
「——おはよう、原さん」
そう背後から掛けられた声は、柔らかなテノールだった。
(……?)
一瞬、思考が停止した。まるであの時と同じように。
しかし聞き慣れてしまったテノールが困惑の色を帯びて再び言葉を紡げば、瀬名は嫌でもこれが現実だと認識せずにはいられなかった。
「おーい?原さん?」
それでいて尚も聞き間違いかと恐るおそる振り返れば、声の主は案の定、北条遥その人だった。
「ほ、北条先輩?」
夢であってほしいと思いつつ、彼の名前を口に出せば、
「ああ良かった僕のこと覚えててくれたんだ!」
とキラキラ輝く優しげな笑みで返されてしまい、瀬名の願いは見事に散った。
(なんでよりによって北条先輩なの!)
と困惑しつつ、あの時の会話を必死に思い出す。
(そう言えば、大森さんは絶対知ってる"こ"だって言っていたけど、"娘"の方の"子"じゃなかった!)
と今更気付いてもすでに手遅れで、目の前には瀬名の想い人である北条先輩がこちらを不思議そうに見ていた。
「——っ!」
そんな様子に胸が高鳴るも、
(きょ、今日は買い出しを任されてるだけ!今更断れないし、顔さえ見なければ……!)
流石に土壇場で逃げるなんてことはできない、と悟った瀬名は腹を括り、
「おはようございます、北条先輩」
なんでもない風を装って彼の方に向き直る。
すると、彼は一瞬呆気にとられたような顔をした。
「……ふうん、あの時みたいに固まらないんだ」
そう、残念そうに小さく呟いた声が彼女の耳に届くことはなかったが、ジッと見つめられて何となく気まずなった瀬名は急いで話題を変える。
「今日、先輩が来るとは思ってませんでした。てっきり女子の誰かかと」
大森さんの言葉から勝手に女子の誰かが来るものだとずっと思い込んでいたから、想い人が偶然……何て考えもしなかった。
「ん?大森さんか。聞いたと思うけど、塾があったの忘れてたらしくてさ、僕が急遽交代したって訳」
「そうなんですか」
「——やっぱり、僕だとびっくりさせちゃうよね……なんかごめんね」
「そんなことない!むしろ嬉しすぎて死にそうですっ!」
咄嗟に言おうとしたが、理性が彼女を静止させる。
(あ、危ない……)
急にそんなこと言ったらその後が怖い……と冷静さを取り戻し、間を置いてから口を開く。
「……別に、嫌とかじゃないです、けど意外だっただけです」
そう伝えれば、さっきまでの悲しそうな顔は何処に行ったのやら、
「本当に?だったら良かった。前に会った時に怖がられてると思ったから、安心した〜」
代わりにぱあっと輝く笑顔が覗いた。
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