4 勝ったぜばーか


 二度あることは三度ある。私がこれまで見た財前が出て来る夢は続いてしまったのだ。土日連チャンで見てしまう。なんというか夢でも現実でも私は財前にとらわれてしまったのかなんて気持ち悪い疑問が浮かんだ。なんか私、財前意識してるみたいじゃん。いや意識してるけど。悪い意味で。

 バシーン! と私はサンドバックを殴る。

 悪霊退散財前退散……私の脳から立ち去れ……。

 バシーン!



 夢の世界だ。寂れた街の中に立っていて当然財前も横にいる。あれ? 背伸びた? って感じで頭の位置が私の顎に近づいている。

「三年になった〜」と財前は言う。「ふーんそう」と私が言うと、財前は「祝えよ、もっと」と私のすねを蹴る。やめろや。

 とそこら中から「あああああ……」とか「うううううう……」とかうめき声が聞こえる。意識してみるとなんか肉が腐ったような匂いが蔓延していて、ウッとなる。

 財前は「昨日のゾンビランドは面白かったよ」とか言っちゃってくれている。

 ゾンビランドは面白いけどさあ。

 今日の夢ゾンビものじゃん!

 ずずずと角から下半身のないゾンビが一体、腹這いでくる。腕も片っぽなくて肘辺りから骨が飛び出している。グロ! ゾンビは血の跡を残しながらこっちに這ってきて口をがぁぶっとするけど、遅いから捕まらない。

 私たちはぴょんぴょん跳ねてゾンビの頭を飛び越す。

「大人なんだからあれぶっ殺してよ!」とぴょんぴょんしながら財前が言う。ぶっ殺すとか汚い言葉使っちゃいけません。私は言う。「無理無理無理グロすぎ!」

「使えね〜」と財前。

 つかまだ未成年だってこっちは。

「ぐぁぁああ……」

 とゾンビが唸る。ピシャッと血と唾が混じったのが私の靴にかかる。首から背中からぞわぞわ〜っとする。汚い。どうすんの、血とか洗っても落ちなくない? 私のコンバースどうすんの? ってこれはそもそも夢だけどでもぞぞぞぞぞぞぞぞ〜! と私は「うへえあああああぁぁぁっ!」って言いながら後ろに下がって何かにぶつかる。あ、壁。と壁にバールっぽいものが立てかけてあるのを見つける。二本ある。私は一本取って財前に投げる。

 財前は

「うわ、危な!」

 と言いながら受け取る。

「武器〜〜!」

 と私は財前に言う。

「え、やだ」

「ほら! 後ろからグサッと!」

 ゾンビは「ぐぁあああ……」と言って私に向かう。後頭部がガラ空きだ。

「え〜」

「楽勝だって」

「そっちに同じのあるじゃん」

 と財前が言う。

 気づいてしまったか。

「後ろからのほうが確実だって」

 誤魔化されろ〜。

「正面からだと噛まれちゃうかもしれないじゃん。頼むよ」と私は言う。

「私だって無理だよ〜」

 と財前がバールを握り締めながら言う。

「ほら、早く早く早く! きちゃってるって」

「あれ? 待ってよ。私に任せようとしてない?」と財前。

「そんなことないって。早く! うわー来ちゃう来ちゃう」

「わざとらし……」

 財前がじっと目で私をにらむ。

「ぐぐぐぁぁぁ……」

 と、いくら片手と両足がなくなっているゾンビでも、結構私に近づいている。そろそろやばい。余裕ぶってたけどそんな場合じゃない。私はバールを手に取る。

「財前!」私は言う。「せーので行こう! せーので」

「なんで〜自分でやんなよ」

 財前はちょっと後退り、言う。

「三、二、一でやるよ」

「私、やだ」

「押し付けあってる場合じゃないって」

「押し付けようとしてるのそっちじゃん」

 ぐう。

 困った時はごり押しだ。

「はいはい、いいからやりますよ。さーん」

 と言って私はバールを肩の上に構える。

 すると財前は焦ったように

「さ、さーん」

 と言う。

 ははーん。さてはこいつ負けず嫌いだな。

「にーい」

 財前がゾンビに一歩近づく。

「いーち」

 ゾンビの手が私のつま先に触れそうになる。

「ゼロ」

 私はバールをゾンビの頭に突き刺す。ぐちゅぶっと気持ち悪い音がして思わずバールから手を離す。うえー……やべー。

 財前の方を見るとめっちゃまばたきをしてぼーっと立ってる。あ、目があった。

「い、いえーい」

 私は手を振る。

 財前はゾンビの脳みそだらけのバールを投げ捨てて言う。

「いえーい」無表情だ。

 いえーい……。

「つかさ、わざわざこんなことしなくて、逃げればよかったんじゃないの」

「……あー確かに」

「確かにじゃないよ、もう。高校生のくせにボケてんの」

 ボケてましたなぁ。

 壮大なゾンビ撃退劇はただの茶番だった。

 近くからドドドドと大勢の足音が聞こえる。財前が角のほうに頭を出して「うげ」と言ってダッシュで戻ってくる。

「またこのパターン!」と財前は叫んでいる。

 見るとやって来たのは道を埋め尽くすゾンビの群れ。B級ホラー映画かよ。私は笑う。

「あはははははは」

「頭おかしくなっちゃったの? ばー」

 おい、今ババアって呼びかけたろ。

 で私は足元を見ていないからこけてゾンビに食われて目覚める。



 今のはバカっぽかったけどこんな夢もあった。

 そこは博物館で、見たこともないような生物が展示されている。首が六つあるドラゴンぽい生き物の骨とかテカっている触手の集合体みたいなものの真ん中に大きな瞳が一つあって瓶の中にホルマリン漬けにされていたり、毛がふさふさの二メートルくらいの人型はなぜか首がなくてカタツムリの目みたいなものが首の断面からピョコーンと生えていて剥製にされている。どの生き物もグロテスクだしゾンビより気持ち悪いものばかりだったけど、私はなぜか美しいとも思う。美しさは均整とか手付かずにある自然な形とか機能とかいろいろあるけど、この博物館に展示されている生き物たちは全部自然で環境に生かした機能があって人間基準じゃない均整があるのだ。

 私はスケッチブックを取り出してその場に座ってスケッチをしている。

 舌が異様に長くて首が極端に短い馬。

 丸い部屋の中に剥製として一頭だけ飾られている。

 どうせ夢だし実在はしないんだけど、私の中だけでも描き留めておきたい。しかし紙に描きき留めるってこと自体も夢から覚めたら紙が消えてしまうから意味はないんだろうけど、描くって行為は対象物を理解するってことでもあるから私の記憶には残るはずだ。

 部屋の扉が開く。集中しているから私は気づかない。肩を叩かれてようやく気づく。小さな財前が「よっ」と手をあげる。「うん」と私はうなずく。

 財前は私の隣に座る。

「絵うまいんだね」

「ずっとやってたから」

「どのぐらい?」

「十二年ぐらい」

「すごいね」

 と言って財前はリュックサックからスケッチブックを取り出す。目の前の馬を描こうとする。でも形が全然取れていないしバランスは悪いし鉛筆の持ち方がなってないから力を込めすぎていて消しゴムで消しても跡が残ってしまう。

「うまく描けなーい」

 と財前は言って私の絵を覗き込む。

「どうやってるの?」と財前は私に聞く。

 せっかくの集中が途切れさせたくはなかったけど私は財前に教える。鉛筆の持ち方から構図の決め方から比率の測り方とか基本的なことを教えてやる。全部基本中の基本だ。それで財前の描く馬はちょっとはマシになるけどちょっとだけだ。

 私は思う。絵だって目で見て手を動かしているんだから運動だ。運動神経が関わっているからには、上手くなるのにも練習が必要なんだ。それが当たり前なのに才能がどうとか言う奴が多すぎる。

 博物館には私と財前以外誰もいない。静かだ。とても。静かな雰囲気で描く絵は最高で久々に楽しいって気分になる。財前も手を鉛筆の黒で汚しながら夢中で描いている。馬を描く。描き続ける。描く。馬を。






 夢の中の財前は小さいしすぐ私を挑発してくるし馬鹿だ。自分が小学生だってことをわかっていてそれを利用してくるずるい奴だ。でも現実の財前よりはマシ。財前の夢を何回も見ているうちに私はそう思うようになった。

 現実のほうの財前は最低最悪だけど、こっちはただの悪ガキだ。絵を一緒に描いていたって良いし、馬鹿にされたって平気だ。それに夢に出てくる度にほんのり成長しているものだから、何だか親心的な気分にもなるし、悪ガキって意味も変わってくる。

 色んな夢を見る。何ヶ月も砂漠を旅したりとか侍と決闘したりとか研究所に捕まって人体実験されたりとか。そのいずれでも、財前は隣で私と一緒に騒いでいたり逃げたり食べられたりするのだ。

 夢の中の財前は財前だけど財前じゃない。しかし財前は財前なので、私は財前に何かを言われても、少しだけ大丈夫になる。

 具体的にはこういう形で。



「今日は寝たふりしないんだ」

 と教室で財前が私に言ってきた時だった。

 微妙に心臓がはねた。でも我慢できないことじゃない。

「寝るのはもううんざりだから」

 と私は夢の中の財前を思い出しながら答える。

「んー?」財前は首を傾けて可愛らしく笑う。「寝たふり辛くなったってこと?」

「違うけど」

 財前の表情は変わらない。かわいい笑顔のままだ。でも、やり返せた気がする。

 気を抜くと財前の顔を見るだけで目が泳ぎそうになるけど、私は財前を見つめ返してやる。

 財前は

「そういえば一昨日部室来なかったよね」

 と言う。

 あ。

 財前が話題を変えた。あの私を追い詰めるような話し方しかしない財前が。

「歯医者行ってた」と私は言う。

「本当〜」

「うん、本当。てか財前、一昨日部活出てたんだ」

 これはどうだ! と私は思う。

 でも財前は普通に「出てたよ。一応部員だしね」と言う。

「絵描くの興味ないんじゃないの」

「そんなこと言ってないよ〜。あれ、もしかして怒ってるの」

 怒ってる素ぶりなんか見せてやらない。

 と思っていたら財前がこんなことを言う。

「私が部活行ったのって、この前立花さんと一緒に絵を描いたからだよ? あれでね〜なんか絵描きたい欲がましちゃってね〜」

 ふざけんな! と私は思うけどそれを口に出すことはない。チビ財前と言い合いしまくっているからこんなの大したことない。今の私には余裕があったのだ。財前は私を怒らせたいだけだ。だから「ふーん。じゃあ今度また一緒に絵でも描く?」と言うことすらできた。財前の前で絵を描くのとかもう不可能だと思っていたのに言えてしまったのだ。財前が驚いたのがわかる。心を完璧に折ったと思った奴がこんな風に反撃するなんて思ってもないはずだ。

「……」

 財前は黙る。それはほんの一瞬で、考え込んでいるような時間でもなかったけど、とにかく私の言葉が財前になんらかの影響を与えたのだ。

 と次の瞬間にはいつものにへにへ笑顔に戻っている。当たり前だ。財前がそんなに隙を見せるはずがない。

 財前は言う。

「んーとね、今日は無理かも。でも明日とか明後日とかなら行けるよ。あ、LINE使ってるよね? 連絡先交換しとこ」

 それから私のLINEの友達リストに財前の名前が載る。ディズニーっぽいとこで撮っているのがプロフィールでそこでも笑顔。

 私も今日は部室へ行かないことにする。

 財前の呪縛から解き放たれたから(大袈裟だけど)本当は行ってもよかったんだけどそれより平子に自慢したかった。私は家に帰ってすぐ電話する。

「平子ー」

「はい」

「私、財前に勝った」

「え、どういうことですか」

「んふふ、教えて欲しい?」

「えっと、もしかして本当に財前さん殴っちゃったりしてます?」

「いやいや違うって」

 私は否定する。機会があったら殴ってやるけどそうじゃない。精神的な勝利のことだ。私は財前が黙ったあの一瞬にすごく安らいだのだ。こいつも言い負かされて、次の言葉を探すみたいなことがあるのかと思ったのだ。その時の気づきはもう一生忘れることができそうになくて、最高の気分で、戦えばとんでもなく苦手な奴にだって勝てる可能性があるんだという気づきで。これからは財前にやられっぱなしじゃない……。ということを平子に話す。実際話したのはかなり支離滅裂で平子は

「要するにジャイアントキリングですか」

 とまとめようとしてくれるけど何か違う気がする。私は格下じゃないのだ。……精神的にはだけど。

「というかなんで立ち直ってるんですか? ももおさんって、落ち込んだら相当沈んじゃうタイプですよね」平子は言う。

「んー何でだろー?」と私は答える。でも理由は知っている。夢の中の財前。あいつのおかげだ。

「まぁ立ち直ってくれるなら、それはそれで良いんですけどね。話なら聞きますけど、私、ももおさんを直接助けるつもりはありませんし」

「酷いやつだなあ」と言って私は笑う。

「そもそもですね。圧倒的な才能のある人がいたからって、心が折れちゃうのがおかしいんですよ。他人とわざわざ比べて、勝手に傷ついちゃう人なんて私には意味わかんないです」

「まあそーだけどさー」

「とりあえず立ち直って何よりです。これでもう、うざい話を聞かされずに済みます」

 そうは言っているけど、何やかんや私の話を聞いてくれるのが平子だ。

「あはは、ありがたやー平子」

 と言って私は電話を切る。

 うむ。財前め、首を洗って待っていろ。私は気合を入れて寝る。その日に限って私は夢を見ない。

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