3 めっさ怖い




会社には人事異動なんかあるのに学校にはそれがないってのが、わからない。もしクラスの中で壮絶ないじめが起きて、その原因が一人のいじめっ子に集約するんだったら、その生徒を別のクラスに移して解決じゃん? もちろんTwitterとかLINEとかで何かしらがあると思うけど、それでも物理的距離を離すことには意味があるはずだ。要するに何が言いたいって言うと、私は財前に会いたくないってことだ。

 でも同じクラスだから嫌でも顔を見なきゃいけない。

 あまりに会いたくないからクラスに入るのを躊躇してしまう。トイレに行くふりをしてたっぷり二分ぐらい手を洗ってからようやくクラスに入った。財前は……。友達と喋っている。私には気づいていない。情けないことに私は、財前が気づかないうちに、早足で自分の机に行って、寝る(ふり)をする。

 どうしたんだ私? どっしり構えてろよと思うけど私はすっかり財前にびびっていて、財前が昨日のことを友達たちに話さなきゃいいのにと願ってしまっている。

 負け犬め。

 負け犬の私はもう二度と財前の前で絵を見せることなどできないだろう。絵だけじゃなくて、美術室だって行けない。あんなに大好きだったのに。私と絵に関連すること一切が、財前がいるこの学校でできなくなってしまうんだ。

 財前め。

 私は全神経を集中させて、財前が私の話題を出していないか聞いた。心臓がすごく冷たい。たった一回の負けでトラウマになりすぎていないか。意識したら余計に冷たくなっていく。あ、お腹痛い。畜生、早く私を殺せ! じゃなくてもう私のこと言っちゃっていいから早く楽にしろ。絵だって予備校の教室で描くことにするし芸術家ぶったりしないから早く私を楽にしろ。

 ベラベラベラ〜と無駄に喋ってようやく、話題が出る。

「あ、ミナ昨日、あの子どうしたの」

 来た!

「え〜」と財前が言う。

 お願いしますお願いしますお願いします。

「あ、それ私も気になる! 教えてよ〜ミナ」

「えーとね、うん。絵見せてもらった」

「へー、やっぱ上手いでしょ」

「うん」

 うん?

「うわー! やっぱそうだよね。才能ありそうな雰囲気出してるもん、あの子」

 と財前の友達が言うけど、才能があるのは財前の方だ。それよりも今なぜ、財前は私の絵をショボかったと言わなかったんだ? だけども、考えているうちに

「あの子もちゃんと友達作ればいいのにねー」

 とか余計なお世話のクソ話を始めてほっとしたようなまだ助かっていないような感じになる。お前らなんていらん! と思うけど、一体どれだけ私と奴らとの差があるんだ? 財前にボロクソに否定された私に? きっとそんなに差なんてないのだろう。財前にとってはダンゴムシかワラジムシぐらいの差しかないはずだ。

 でもどうして私の無様な姿を友達に言わなかったんだ? と言う疑問がまた戻ってくる。


 答え=さすがにかわいそうだと思った。


 これは違う。絶対違う。そんな殊勝さを持っているんだったらそもそも私を馬鹿にしない。


 答え=割と満足したので、私に対して興味をなくした。


 これはありそう。でも財前みたいな奴が満足することはあるのか? 次。

 

 答え=友達の前だから、自分のサディズム的なやつを隠した。


 一番ありえる答えだ。納得できる。うん。納得できる……かな?



 寝たふりを続けて二十分経っても財前たちのお喋りは続いて私の耳が腐りそうになっていると、そのうちに平子が登校してくる。

 平子は誰にも気づかれないで、ごく自然に席につく。私と同じぼっちだけど、その手際は実に鮮やかだ。

 平子は優しいけど結構薄情で、「ももおさんと友達だと思われるの嫌ですから、クラスでは話しかけないでくださいね」なんて言えてしまうほどだった。その取り決めのおかげで平子は私には話しかけてこない。



 しかしこうして見ると、財前は普通の、何でもない女子に見える。女子高生特有の無敵感で何をするわけでもなく無駄に時間を浪費して高校卒業して大学に入ってからようやく将来どうしましょうか? ってのを考え始めるような普通の女子に。でも財前は明らかに普通じゃないし、ありえん才能も持ってやがるし、人を面と向かって罵倒できてもしまう。擬態してんじゃねーよと私は思う。普通じゃない奴が普通の振りすんなよ。本当に普通な奴の居場所がなくなっちゃうって。私とか。

 私は鼻を鳴らす。

 すんすん。

 ……マジで私打たれ弱い。



「あ」と財前の声がして、しまったと思ったら、財前は私の席にやって来ながら「昨日はありがとね〜」と言った。

「あ……うん」

 と私が今起きましたみたいな振りをすると、財前はお友達たちが来る前に、私の耳にそっと口を近づけて、

「今日も行くの? 美術室」

 ドキッとした。

 口がパクパクアホみたいに開いて閉じてる。

 なんて返そう。

「てかよく学校来たね」財前が言う。

 パクパク……。

 財前を見る。お互いの顔が間近で、財前の綺麗な顔がまつ毛の根本まで見える。財前はにへにへしていてこっちの反応を伺っている感じで、私はパクパクどころかゲロ吐きそうにまでなってしまう。

 ななな何も言えねー!

 その時、財前のお友達ABC が「立花さんじゃーん」とか言って参上してくる。財前の肩に寄りかかって、「何話してんのー?」と言う。

「別に〜」

 と言いながら財前は私から離れる。

「気になるんすけどー」

「挨拶してたぁ」と財前は言う。それで「そろそろ鈴木先生来ちゃうよ〜」と言ってお友達たちを連れて席に戻っていく。

 助かった……と思ったら財前は振り返って「ね」と私ににへっとする。再び心臓がドキッとする。全然可愛くないし超怖い。



 財前は私が美術室に行こうと行かまいと、何かとても酷いことをするつもりだ。昨日みたいに私の心をバキバキに折ってしまうつもりだ。多分。てか絶対そうで、じゃなきゃさっき私に話しかけてこないし。どうしようどうしよう……。と私はパニクって昼休みに平子を誘ってご飯を食べる。平子様。助けて。部室行きたくねー〜!

「私だったらそうですね」と平子が塩昆布入りの卵焼きを食べながら言う。「行きません。行きたくないのに行くわけないじゃないですか。当たり前ですよ」

「……そっかあ。そうするしかないか」と私は言う。

「そうですよ」

「でも平子。私、毎日部室行ってたんだよ? 今日行かなかったらもう、二度と行けなくなる気がする」

「気にしすぎですよ」

 気にしすぎじゃない。

 私の中では本当にそうなってしまうのだ。

 あの場所で絵を描くのは、もはや私のアイデンティティの一部だったのだ。

 それがなくなってしまうんだよ、平子?

 とは言わずに私は

「平子様〜どうか財前をやっつけてください〜」

 とおどけてみせる。

「無理です負けます」と平子は真顔で言う。

「あははは! そりゃそうかーおチビの平子ちゃんじゃーあははー」と私が笑うと平子の拳がドスッとお腹に突き刺さる。

 痛い。

「つーか昨日財前夢に見た。チビだったの、すげー」

「ももおさん。どんだけトラウマなんですか」と平子が呆れた風に言う。「怖がりすぎですよ。教室でも」

「うっせ〜平子〜」

「まあでもあの人、性格悪そうですよね」

「悪そうじゃなくて悪いんだよ」私は言う。「芸術家ぶるなとか、美大入るの無理とかなんか挑発みたいなこと言うし、今朝もよく学校来たねとか言われた」

「それ、ももおさん、いじめられてんじゃないですか?」

 平子はちょっとにやけた感じで言う。

「いやいや私いじめられてないし」

「どうですかね。ももおさんのメンタルの弱さだったら、いじめたくなる人もいるんじゃないんですか」

「弱くないわ!」



 と言うが全く自信はない。



 それで私は授業を抜け出して部室に行かず、放課後になっても行かない。三日経っても行かなかったし、絵も描かない。と言うのも家とか予備校で絵を描こうとすると、急に腕が動かなくなってしまうのだ。頭と腕の接続が切り離されてしまったみたいにぴくりともしないのだ。紙の前に立つと、財前のあの素晴らしい絵が頭に浮かんできて、私はそれを超える絵を描けるだろうかと思ってしまって、私がこれから描く絵はそうたいしたものじゃないみたいに感じて

ノイローゼなのだ(自分で言うか)。

 まさに財前ショック。



 財前ショックに襲われた私はあの夢を見る。財前が出てくる夢だ。これは夢だと気づいた瞬間私はカヌーの上にいてずっしりとしたオールの感触が手の中にあって目の前にはちっちゃい財前ミナがいる。何ですのこれ? ちっちゃい財前もオールを持っていて、私が見ると「またババアじゃん」と言う。ババアじゃねーよ。

 カヌーは静かに揺れていて、周りを見ると全部水だ。湖。暗い緑色でどんぐらいの深さがあるかわからない。とりあえず落ちたらヤバそう。

 私は言う。

「ねえ財前……」

 ちっちゃい財前が驚く。

「うわっババア喋った!」

「あのさあ……」

「ババア! めんどいからそれ漕いでよ」

「はあ! なんで私が」

「だって私小学生だもーん。ババア漕げよ」と財前。

「意味わかんないし……」と私はカヌーをオールで漕ごうとするけど、思い直す。あれ? 何で命令されなくちゃいけないの? しかも財前に。ムカついたので私は船底にオールを置いて、財前をヘッドロックする。このやろ〜。

 財前が暴れる。「うわー! ごめんごめん! 嘘嘘嘘……ぐえええええええっ! やめてってばああああっ!」

「ごめんなさいだろ馬鹿」

「ごめんなさい〜」

 と財前は涙目で言う。ふん。大人の力を思い知ったか。

 離してやる。

「それとババアじゃねーから。名前あるから」と私は言う。「立花ももお。立花でも、ももおでもどっちでもいいから、さん付けで呼べ」

 財前はもうけろっとしている。

「ももお? 変な名前」

「変じゃないし、可愛いでしょ。なんか」

「ええ〜? 全然変でしょ」財前が言う。「ももおとか男みたいじゃん」

「うっせー、可愛いの〜! 私にとっては」

 ひらがなで可愛いじゃん。

「あれ? つーかさっきとかこの前とか……何でババア、私の名前知ってるの?」

 と財前が首を傾げる。

「だから名前で呼べよ」と私は言う。「知ってるも何も、そもそも私とあんた私嫌いじゃん」「あれ〜?」と財前が言う。目をキョロキョロさせて考え込んでいるその姿は、 とてもかわいい。いや褒めてるんじゃなくて逆で憎たらしい。子供の頃からウザい顔してんなー。殴ってやろうか。

 まぁそんなことはしないでオールを漕ぐ。財前を待っていたらいつまでたっても進まないし。グッと腕に力を込めるとカヌーはすんなりと前進する。水面に波紋ができる。カヌーに乗った経験は無いけど、うまい具合にいくな、と私は思う。湖が汚い割に空の方は澄み切っている。おかげで何だかほけ〜って感じになる。最悪の財前と乗っているのに。気づいたら財前もオールを漕いでいる。

 私は言う。「小学生さんは漕がないんじゃないんですか?」

 平子みたいな言い方になった。

「漕がないなんて言っていません〜ばーか」と財前が言う。

「義務教育も終了していないような人に言われたくありませんなあ」

「ばーかニートごくつぶし」

 取り合わない。無視。

「年増更年期淫乱」

 ……誰だ小学生にこんな言葉教えたの。

 ちょっと思いついて、私は手をワッと財前に突き出した。財前がビクッと肩を震わせて目をつむる。すぐに目を開けるけど、顔を見せないようにして財前は俯く。

 私は言う。

「ビビった?」

「……ビビってないし、児童虐待だし」

「ふふーん」

「ババア笑うな」

 やってやったぜあの財前に。

 私の勝ち!

 といきなり冷静になった風に財前が言う。「小学生相手にマジになりすぎでしょ」

 うん。確かにその通りだ。たとえ小学生でも財前は財前で、大嫌いってことには変わりないのだ。ぶん殴ってやりたいし負けを認めさせてやりたいのだ。つまり、リアル財前に敵わないから、憂さ晴らししてるだけなのだ。……すげー小物っぽい。

「もういやだなー、いつまでこの人と一緒にいなきゃいけないんだろうなー」

 と財前が言い出す。顔に出てたのかな?

「まあいいじゃん」

「やだよ。だってババアすぐ暴力振るうし」

「振るわないよ」

 私は笑う。

「嘘だ〜」

 財前も笑う。

 まあ、この瞬間が嘘っぽい。夢の中だから成立しているんだ。本物の財前がいたら私は笑えない。

「あのさ」

「何」

「財前は……」

 と言いかけたところで急に呼び方に迷う。年下だし、ミナちゃんとか財前ちゃんとかって呼んだ方が良いのだろうか……。……財前で。

「財前は私の顔のことどう思う?」

「何それ」

「えっと、自意識過剰とかじゃなくて、ちょっと聞いてみたいと思って」

「んーと」財前が言う。「なんかむかつく顔してるよね」

 それでこそ財前って私は思う。

 といきなりカヌーが揺れる。おわ、わ。何事だ。波がたっている。ぐわんぐわんとカヌーが揺れる。やばい。ひっくり返りそうだ。「にゃわわわわわわわわわわー!」と財前が叫ぶ。私も叫んでいる。「わわわわわああああああああああー!」カヌーの下に真っ黒ででかい影が通る。こいつだ。私たちはこの場から逃げ出そうと、オールをばっちゃばっちゃ漕ぐけど全然前に進まなくて波は一旦静かになるけどむしろ嵐の前の静寂って感じでヤバそうで実際やばくてドプアアアアンッとカヌーがひっくり返って私たちは水中に落ちてしまう。そこで見たのは五メートルぐらいありそうな鮫。開く口。どどわあああああああああああああああああ!

 夢が覚める。

 パジャマが汗でぐっしょりで私はうええええと思う。

 つか湖になのに鮫かよ。

 何だよもう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る