2 泣くし泣く


 私は打ちのめされた。財前は早かった。私が二時間半かかったものを一時間でやってのけてしまった。十分を観察に費やしてもう十分で構成を考えて残りの時間で完成させてしまった。早いだけじゃない。正確だった。粗がなく、紙の上に実物が完璧に再現されているようだった。それにただ正確なだけじゃなくて、美しさとか情緒的なものもあった。財前はデッサンを本物の「絵」にしようとしていた。それが私にもわかった。石膏像のマルス君をマルス君以上に理解し美しく仕立て上げようとしている。荒々しくはなく、自然に最初からそこにあったように描き上げて見せたのだ。

 

 

 財前は描き終わってから言った。

「うわあ、美術部なのに描いちゃったよ。私、真面目に部活やらないって決めてたのに」

「……習ってたの」

 私はそんな言葉しか出せなかった。悔しかった。私は技術が先にあるべきだと思う。描きたいものを描くために技術が先にあるべきだと思っていた。でも財前は、技術も持っていたし絵に込めるべき熱も持っていた。絵になんか執着していなさそうなのに。

「習ってないよ」

 財前は言う。

「……」

「でもデッサンなんか簡単じゃない? 見たまま描けばいいだけだから」

 見た以上のことを描いているのに何を言っているんだと思う。私は財前に同意できない。私は小さい頃から描いて描いて練習して、ものを見る目を養って道具の使い方を覚えてようやく上手くなれたと思ったところまで来たのだ。

「そんな描けんのに、なんでちゃんとやんないんだよ」

「ちゃんとやる意味あんの? 遊べるから美術部選んだのに」

「……」

「あ、ごめん怒った?」

「……」

「もういい〜? 帰るけど」

「……」

 財前は自分が描いた絵なんて気にもしないで出て行った。

 ぽつんと美術室で一人になった私は自分の絵と財前の絵と比べてみる。圧倒的に財前の方が上手い。どう考えたって上手い。



「ひうう……」

 私は喉からえづいて、ガチ目な泣き方をする。

「ひうう、うっ」

 悔しくて泣いてしまう自分が情けなくてもっと泣いてしまう。

「ひうっはっひうう……」

 財前は美大にはいかないから私の絵の上手さとは関係がない……て具合に自分を慰めようとするけど無理だ。多分財前はデッサン以外に何描いてもうまい。私は才能なんて言葉は信じないけどもしそれがあるとするならばそれは財前のような奴のために与えられた言葉で、私の惨めさを際立たせるだけなのだ。

「ひうううう」

 立っていられなくなって美術室の木製の椅子にすがりついて泣く。

「ひうううう」

 私はそのままポケットからスマホを出して、平子にかける。

「平子おおおぉぉ……」

「もしも……えっ? うわっ、ももおさん泣いてるんですか? どうしたんですか」

「私美大行くのやめる」

「ええっ? 急にどうしたんですか?」

「やめるから! もう無理! もう無理!」

「ちょっと落ち着いてください」

「ひあううう……」

「落ち着きましょう。あんなに美大に行きたがってたじゃないですか」

「ひあうううっふううう」

「……私、今暇ですから。超暇ですから。何でも聞きますよ」

 と平子はそう言って、私が落ち着くのを待ってくれる。

「……ひく、う、う、財前がぁ、うますぎる」

「はい」

「私、絵描けって言ったの、ふ、うう、そしたら、うふう、財前、すごいうまかったぁ……」

「はい」

「うううあふっ卑怯だ詐欺だ」

 ちょっと黙ってから平子が言う。

「別に財前さんは美大とか行く気ないんですよね? だったらももおさんとは関係ないですし、気にする必要なんてないです」

「……でも悔しいし」

 平子が言う。「財前さんのことで諦める必要なんかないですよ。だって行きたいんでしょう。ももおさん、いくべきですよ美大」

 その通りだと思う。でも私はずっと絵を描いてきて私にはそれしかなかったのに、あんなチャラチャラした奴が突然現れて私の全部を根こそぎ持っていっちゃったのだ。しかも今、私は財前こそが美大に行くべきだと思ってしまっている。豊かな才能持っている奴が代わりに行って当然だと思ってしまっている。こんな頭で正しい答えを出せる自信がない。

「どうしよう」

「とりあえず諦めないべきです」

「……ごめんありがとう」

 そう言って私は電話を切ってしまう。財前を悪者にして私を応援して欲しかった。

 しょうもない。何がしょうもないって私がしょうもない。一人で絵を書いていたくせに自分より上手い奴が現れたら、すぐぐらついてしまう、そんな私がしょうもない。

 私は美術室の鍵を職員室に戻しに行く。

 外はもう涼しくて夕日も落ちかけて、空とグラデーションを作って綺麗だと思う。でもいつもだったら、写真を撮って絵の資料にするけどそんなつもりにもなれない。

 渡り廊下を通って職員室に到着する。鍵を鍵置き場に置く。まだサッカー部とか陸上部の鍵が戻されていない。それどころか、ほとんどの部活が残っている。それを見て、私はなおさら落ち込む。美術部は私しかまともに活動しないせいで、私が鍵を返せばそれで終わりなのだ。それに私に友達と呼べるような人は、平子しかいない。学校に居残って練習とかできない。一人でもやれば良いのに、本当に一人になりそうだとやれないのだ。財前の言う通り、芸術家ぶっているのだ。さっきだって、うざがっているフリをして実は、財前たちを気にしていた。結局構って欲しさがあるのだ。



「ばーか」

 と田んぼの海の中で呟いてみる。

 簡単に凹みやがってマジでバカ。私はそんなもんじゃないって。そんなもんと思うからそんなもんなんだよ。財前は確かに上手いけどそれがどうした? 私がさらに上手くなればいいだけなのだ。

 そう決意すると気分が上がってくる。上がりすぎて、私は田んぼに向かってわめき散らす。

「ばーかばーかばーか」

 バッグをぐるぐる振り回す。ペンケースが落ちて蓋が開く。中から鉛筆がこぼれ落ちてきた。財前が使った鉛筆たちだ。私はそれをまとめて握り締めると、水路にぶん投げた。

 ばーか。

 空元気のまま家に帰ると信じられないくらいお腹が減っていてご飯を三杯までおかわりしてしまう。こんな事は初めてだった。怒りとかのエネルギーがそうさせているのか。私はその後すごい眠くなって、ベッドにそのまま入っててしまいたくなるけど何とかがんばり、お風呂に入ってツイッターに「ばーか死ね」と呟いて漫画を読む前に眠ってしまい夢を見る。

 それはサラリーマンが腰に拳銃をさして、無礼を働いたやつを撃ち殺して良い世界だった。通勤電車もなくてサラリーマンたちは徒歩で会社に行くんだけど、あまりにも人数が多いからまるで大名行列みたいになって駅につながる商店街を埋め尽くして、商店街の人たちはみんな頭を下げている。ぞろぞろやってくるサラリーマンたちはハゲていたりデブっていたり、メガネだったりしてまるで威厳なんかないんだけど、その腰にある拳銃は本物で行列の中にはマシンガン的なものとか背負っている奴もいて私はあわてて頭を下げる。一瞬メガネのサラリーマンが私を見るけど、それで何とか許されたようでそのままカツカツと革靴を鳴らしながら歩いていく。変な夢見てんなー。

 今日感じたストレスが私にこんな夢を見させているのだろうか?

 だとしたら私はサラリーマンにでもなりたいのか?

 いやいや、マジないですよ。

 なしのなし。

 サラリーもらってマンやるくらいなら、ニートになるわ。

 行列が過ぎ去るのを待っていると先頭の方から「無礼者めがっ」なんて声が聞こえてくる。誰か何かやっちゃったのか。

 するといつのまにか映画撮影で使うようなカメラの機材とカメラマンと音響たちが現れてサラリーマンたちに囲まれている誰かを撮っている。商店街の人たちの頭下げタイムは終了している。カメラマンたちが現れたからか? とりあえず今動いても無礼うちにされなさそうなので私は、端っこにいるカメラマンに聞く。

「あの〜何やっちゃったんすかね?」

「ん? ああ、『黒の戦士』様たちの前を横切っちゃったからだよ。やばいよねえ」

「はあ、そうですね。でもやりすぎじゃないですか? その、銃とか」

「まぁそういうこともあるよね」

「え? そんなんでいいんですか」

「まあねえ」

「あの、この世界って結構ひどくないですか」

「かもねえ」

 夢の世界の住人はよくわかんない答えしか返さないから私は話を打ち切る。カメラマンたちを押しのけてサラリーマンたちの行列の中に入っていく。「すみませんすみません」と言って、中心の方に行く。

 やっと開けた場所に出ると、ちっちゃい女の子がメガネのサラリーマンに銃を突き付けられているのが見えた。

 ちょい薄毛で神経質そうなメガネのサラリーマンが女の子に言う。

「名を名乗れ小娘」

 おおお、緊迫した雰囲気だ。私はそのまま見守る。

「名前はまだない!」

 と女の子が言い張る。

 自信満々でまるで本当のことを言っているようだった。度胸すげえなぁ。

「ないわけがないだろう。親からもらったのがあるはずだ。言え」

 メガネの拳銃が女の子の頭にコツンと当てられる。

「親は死んだ! だからない!」

「むうう、嘘をこけ!」

「うん嘘! ほんとはなくした!」

「ふざけているのか! ええいもう許さん!」

 とメガネが言う。やばい、撃つ雰囲気だ。

 でも女の子は、

「うっせーばかメガネ!」

 と言って向けられている拳銃を手で叩いてしまう。

 拳銃がバチコーンと落ちて、メガネは慌てる。拳銃を拾おうとして地べたに這うとさらにメガネまで落としてしまう。

「うわあああ! 僕のメガネ!」

 と言って必死になって探すけどそこにはなくて、メガネのメガネは女の子の足元に転がっている。

 女の子はニヤッと笑う。

 足をわざとらしく振り上げるとメガネを「グシャっ」としてしまう。

 うわあ、ひでえ。

「今の聞こえた?」

 女の子はメガネのサラリーマン(メガネなくなった)に向かって言う。

「ばかメガネ割れちゃったよ。もうかけられないよ」

 サド成分たっぷりに女の子は言う。

「僕のメガネがあ! メガネメガネ!」メガネリーマンが泣きわめく。

「うふふふふふ」

 なんじゃこりゃ、意地悪いなぁ。

 と思っていたらサラリーマンたちが切れ始める。

「ぶっ殺せ」「撃ち殺せ」「ひき肉にしろ」

 ズドーンと銃声が響く。

 狙いが外れたようで女の子の真横で弾が跳ねる。それにはさすがに女の子もたたらを踏んで、びびった顔になる。サラリーマンたちの銃口が次々に向けられて、いよいよ女の子は絶対絶命って感じになる。意地の悪いチビが死ぬ夢は眺めている分には面白かったので放っておくつもりだったのが、なぜだか私はサラリーマンのうち一人を蹴飛ばしている。ありゃりゃなぜ? 銃口が向けられる前に私は、鍛えた拳を突き出す。ふとっちょのサラリーマンの鼻がベギッと折れた感触がした。そのふとっちょは殴られた衝撃で五メートルくらい吹っ飛んだ。おああ! 夢の中の私つええ! 私は女の子に向かって叫ぶ。

「行くよ!」

「はあ? 指図しないでよ」

「そんなこと言ってる場合かっての」

「うるせーよババァ」

 殴ったろかと思うけど女の子相手に殴るわけにはいかないし、相手は見たとこ小学校低学年くらいだし、私は大人なので雑な暴言なんて無視して女の子を肩に担ぐ。うわ軽っチワワかってくらい軽い。嘘言いすぎた。でもまぁそんぐらい軽くて、私は女の子を担いだままガンガン走る。

 下の方から担いじゃったので女の子の足が、私の目の前でブンブン揺れている。で女の子は「離せー」って暴れているらしく私の背中にまるで痛くない拳をポコポコ当ててくる。離すわけないでしょ。今もバキュンバキュンなってるってのに。外れた弾が商店街のおっちゃんおばちゃんに当たっているってのに。

 と後ろから聞こえてくる音が「ダダダダダ」に代わる。それから「ぱひゅ〜ん」なんて気の抜けた音がして、十メートルくらい先にあったコンビニが爆発した。熱風が顔に当たる。ロケットランチャーじゃないっすか。

 キョロキョロ左右に首を振って逃げ道がないか探す。肉屋と文房具店の間に、私がぎりぎり入れそうな隙間があるのを見つける。

 私は「先入って」と言って女の子をおろす。

 そしたらお礼も言わないで、すごい勢いで女の子は隙間の中に逃げていく。畜生めと思っている暇もなく私も隙間に逃げ込む。



 隙間を通り抜けた先には一軒屋があった。鍵が開いていたから私たちは勝手に入り込む。遠くからまだ銃声が聞こえてくるけど、なんとなくもう大丈夫になったと言う確信がある。それなら寛ごうかと、私は家にお菓子やお茶がないか探す。

「ねえババア?」

 と女の子が言う。

 口悪いな。

「ババアじゃねえし。高校生だし」

「ババア生きてんの?」

 は?

 哲学かよ?

「あのさ〜、助けてやったのにその言い方はないでしょ」

「うっぜ〜」

「話はちゃんと聞け!」

 と言うと私は女の子に、「梅干し」をしてやる。

「痛い痛い〜!」

「わはは!」

 ん? と私は気づく。女の子の顔は小学生にしては大人びていて成長したら美人になりそうな感じだけど、誰かに似ている。誰だろう? 芸能人とかではない。私が知っている誰かだ。私は「梅干し」をやめて、女の子に言う。

「あのさ、君の名前って、財前って言わない?」

 女の子が私を見上げる。



「なんでわかったの?」



 そこで目が覚める。

 なぜ財前がいるのか。

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