5 鼻毛

 ポポポポポポポンとスマホが鳴って起きる。誰だよと思って画面を見ると財前からだった。何だよ何時だと思ってるんだよ。あ、七時半だ。ちょっと早いけど起きる時間だ。ポンポン鳴っていてうるさいし財前から逃げるのも癪なので私は電話に出る。

「なんだよ……」

 起きたばっかりだからガラガラ声だ。

「えへへ、モーニングコール! びっくりした?」

 え、キモ。

「ちょ、ちょっとあんたそんなキャラじゃないし、そもそも私とそんな関係でもないでしょ」

 顔がなんか嫌いとか言ったのは覚えてるからな。

「いいじゃんべつに〜。同じ部活だし友達でしょ」

「いつから友達になったんだよ」

 と私は反射的に答える。

「え〜嫌〜?」

「嫌だよ」

 こいつ何考えてんだ? 頭おかしいんじゃないの?

「朝ご飯まだだし、切るから。じゃあね」

 と私は言ってブツ切りする。じゃあねはいらなかった。

 お母さんが用意してくれているご飯に目玉焼きをのせたやつをもそもそと食べて、制服に着替えて家から出て日差しに頭を焼かれながら考える。財前は私と仲良くしようって方向転換したのか。なぜ? 何のために? 仲良くなんてなれるはずがない。財前だって私の顔が嫌いとか言ってくれるし私のこと馬鹿にするし、私だって夢の中でアホっぽい財前を見なかったら、本気で関わるのやめていただろう。殴っちゃってたかもしれない。それだけ私は財前が嫌いで苦手で怖いのにほんと、財前何考えてんだ?

 一々こえーよ財前。

 ゾクゾクっとして、クソ暑いのに私は肩を抑える。

 と言っても学校行かなきゃ何も始まんない。今更前言撤回てのも最高にかっこ悪いし今度こそ立ち直れなくなってしまう。と校門に入ろうとする足が震えている。私の足ちゃんどうしちゃった? 昨日はあんなに財前に言い返せたのに。ガチガチの足で門を抜けて階段登っていると不審者っぽくて通り過ぎていく女子たちにこしょこしょ笑われる。うっせー笑うんじゃねー。私は何とか教室にたどり着く。

 すると既に財前がいて「おはよー」とか言ってくる。「あ、あ、あ」とか震え声が出そうだったので私は黙って財前を睨みつける。財前は「怖いよー立花さん」とか馴れ馴れしく言う。うぜえ。

「ねー、私のこと嫌い?」と財前が言う。

 は? 当たり前じゃん。

 私は無視してバッグを机横のフックにかけてイヤホンを出して音楽を聞こうとする。と財前は机に肘を乗っけて私に顔を近づけ、

「答えてよー」

 と言う。

「……」

「ねえーねえー」

「……」

「ねえー……」と繰り返されたあたりで私は「いい加減しつこい」と言ってしまう。それは思ったより大きな声が出て周りの奴らにも聞こえてしまう。今まで喋ってた奴らがこっちを見てくる。話の内容聞かれてたか……?

 財前はどうだと思って見ると、全く動じていない。

「立花さーん?」と普通に財前は言う。

「……嫌いだよ。これでいい?」

 と私が言うと「ふーんそうだよねーふーん」と財前は言って自分の席に戻る。

 財前は一体私に何を言わせたかったのか。



 昼休みにまた平子とご飯を食べる。

「どうしちゃったんですかももおさん」と平子に言われる。「あんなこと言っちゃったら怖いことになりますよ」

「知らないよ」

「からかいに過剰に反応しすぎですよ」

「ムカついたから言っただけだし」

 そう言うと、平子は少し考えた様子で

「……メンタル弱者が進化した?」

「進化違うわ! 元々私は強いの!」

「嘘ですね」

「平子〜このやろ〜」

 私が平子をモフろうとすると、平子は素早い動きで私のお腹を殴る。痛え。

「やらせませんよ」

「良いじゃん。ちょっとぐらいモフモフさせろよ」

「フンッ」

 再び平子は素早く動く。殴った瞬間が見えない程の早業だった。

 ひとしきり悶絶した後、私は聞く。

「あー、私たち友達だよね?」

「一応そうですよ」

 



 平子と遊んで、昼休みが終わると授業があっという間にすぎる。いや数学と古典と物理とかいうクソつまらん授業だったのだけれど、放課後に財前が待ち受けていることを考えると、そっちのつまらん授業を受けていた方がマシだから、真面目にノートを書いたりして集中したせいで三時間分の記憶がない。

 だいぶ真面目だったから帰りのホームルームで古典の鈴木に「立花ー、どうしたー今日?」とか言われてしまう。どうしたもこうも現実逃避だっつーの。

 とは言えないので

「……っす」

 と口をモゴモゴさせておく。

 すると鈴木が勝手に語り出す。

「立花な、美大行くのに古典とか数学とか必要ないかもしれないけど、やっぱり勉強しておいた方が良いと思うんだよ。道一本だけしかないっていうのはよしとくほうがいいし、選択肢を増やすに越したことはないんだよ。先生、立花が今日は勉強してくれて嬉しかったよ」

 分かり切ったようなことを言われても。

「美大入るのが悪いってわけじゃないんだからな。目の前のことに夢中になるのもいいけれど、ちょっと先のことに目を通しておかなきゃな」

 わかってるってそんなこと。

「まあこんなの、頭の片隅にでも置いておけばいいから。一応先生だって社会人だし、社会のことだってある程度は知ってるし、困ったことがあれば何でも聞いていいからな。立花は先生の頼りにはなりたくはないと思うけど、いくらでも頼っていいんだぞ」

 よくそんなこと言えんな。

 まあ、鈴木の善意は割と、本気のものだと思う。偽善的なものがあったとしても、私の将来をより良い方向にしようと考えているのだろう。私には鈴木はいらんけど。私の人生は私のもの。

「お、財前何かあるのか?」鈴木が私の後ろに向かって言う。

 財前がいつの間にか待ち構えている。

「なんもないよー、鈴木せんせ」と財前は言う。それから私に「いこ、立花さん」



 教室を出る。財前は私に歩幅を合わせてくる。緊張感がやばい。絵でも描くと言ったのは私だけど、描きたくなくなってくる。通り掛かるいろんな人に財前は「じゃあね」とか「ミナ〜」とか言われている。

 ふん。

 こいつはやべー奴ですよ、騙されちゃダメですよ。

 ぐるーっと校舎の中を回って棟を移って、美術室に到着する。少し来てなかっただけなのになんだかすごく懐かしい気分になる。マルス君、蛇口、エアコン。

 財前は伸びをしてから言う。

「ここって涼しいよね」

 その通りだ。エアコンがよく効いている。お前のためのエアコンじゃないけど。

「私は、ここ好きだなー。涼しくて」

「……」

「ねえ、ねえ、お菓子持ってきたんだけど食べる?」と言って財前はカルビーのポテトチップスを出す。それですぐ袋を開ける。

「……」

「ねえ、立花さん。美大ってどこ行くつもりなの?」

「……」

 財前はポリポリ……とポテチを食べて

「んまーい」と言う。

「……」

「藝大とか?」と財前が言う。

 パッと見ると財前は笑っている。

「……もらう」と私は言ってポテチを一枚食べる。

「藝大って倍率すごいらしいね。十年も浪人してる人がいるってすごくない?」

 まあそういう人もいる。

「入れる人ってすごいんだろうなぁ」

「……」

「私、入っちゃおうかな」

 私は他の何かをする前に机をバンッと叩いている。

「何」

 と財前は言う。

「そっちこそ何なの」と私は言う。「挑発でもしてんの?」

「別に、ただ進路言っただけだよ」

「ただ、ってことはないでしょ。自分の言い方考えろよ」

「言い方って? 勝手にキレないでよ」

「キレさせようとしてんの、そっちだろ」

「自意識過剰だね」

「死ねよ、突っかかって来んな」

 と言う私は、結構自分自身驚いた。

 おいおい死ねとか言えちゃったよ。

「えっ……酷」

 と言う財前が傷ついた風な顔をするけどすぐに「泣いちゃうかも」と言うので嘘だとわかる。泣くわけない。

 私と財前はほとんど同時に立ち上がってイーゼルを持って来る。

 削ってきた鉛筆を出す。

 紙をイーゼルに乗っけて、どの石膏像にしようかと見ていると、財前がイーゼルと椅子を動かして私の方に向ける。そのまま腕を動かし始める。

「何やってんだよ」

「何って、絵」

「見ればわかるよそんなこと。何を描いてるかって聞いてんの」

 財前は尖った鉛筆の先で私を差した。

「やめろよ」

 と私は言う。

 すっすっ、しゅしゅしゅと鉛筆の音。財前は手を止めない。

「やめろって」

 しゅーしゅしゅ。

「……」

 取り合ったら負けだ。私を怒らせたいだけだ。

 しゅっしゅっしゅー。

「……」

 もうだめだわ、こいつを殺してやる。私の絵で。

 私はイーゼルを財前に向ける。財前を見る。美人だ。気に食わないけどそれは否定できない。鼻はすらっと高くて顎もしゅっとして脚の形も良いし胴体はどこに胃とか腸が収まってるのか分かんないし姿勢よく絵を描いているその姿はそれこそ絵みたいだ。私はその美しさを描かなければならない。すごく難しいけどとにかくやる。

 エアコンが効いているはずなのに、やっているうちにどんどん汗が出てきて首の筋肉も硬くなる。集中しているからだ。しゅしゅっしゅ。手をとにかく動かす。財前の描くスピードはイーゼル越しでもめちゃくちゃ早くて追いつけない。でも追いつけないからって追いつこうとしないのは、怠慢だ。財前を見る。紙に描く。財前を見る。紙に描く。その繰り返し。とにかく描く。



 気がつくと財前は手を止めている。いつから? だいぶ前からか? でもまぁ私も完成した。離れた位置から描いた絵を見る。

 私の描いた財前の絵は本物よりもどこか欠けているように見える。欠けている場所を見つけられなかったわけじゃなくて、ただそれを描けなかっただけなのだ。つまり単なる技術不足。でも私は結構満足している。夢の中で描いていたみたいに、夢中でできたから。首と肩が凝るほどに夢中になれたのだ。



 私が自分の絵から目を離すのを見計っていたように財前が「じゃーん」と言って紙を掲げる。それは私だった。なんか綺麗でノルウェーかどこかの妖精みたいですげえグラマーでデリシャスな私だった。

 うわー。

 うわー。にやけちゃう。

 全くもうったら全くもう。

「上手いでしょ」

 と財前が言う。

 うん、うまい。

 そっかあ、財前から私こんな風に見えてたんだー。そりゃ顔嫌いだよと言われちゃうよえへへと思っていると、財前は鉛筆の先を私の絵の鼻の下に当ててぐいっと下ろしてしまう。ぽかんとしている私に財前は

「鼻毛ー」

 と言う。

「しょ、しょうもな」

「マジマジ、鼻毛出てるよ」

「えっ嘘」と私は手で鼻を隠すけど、財前は「嘘」と言う。

 しょうもな。

「変なこと言うなよ、小学生かよ」

「小学生でーす私」

「……」

「あはは引かないでよ」

「……つーか何? 今の態度。キモいんだけど。勝手に友達認定してんなよ」

「……」

「きゅ、急に黙んなよ」

「友達って何かな?」

「はあ?」

「仲良く喋ったりとか対等な立場だとか、そういうのかな?」

「何言ってんだよ……意味わかんねー」

「わかんないから聞いてるんだよ」

「……そんなこと言われても」

「立花さん、ちゃんと答えてよ」

 と財前はジッと私を見る。

「……趣味が合う奴とか……じゃないの?」と私は言うけど、語尾に? とか付けちゃってる時点で、その言葉がなんとなーく違うものだと分かっている。趣味程度で友達が何かとか決められるわけない。

「他には?」と財前が言う。

「……さっきあんたが言った通りのとか……仲良し的な」

「他には?」

「……一緒によくいるとか」

「他には?」

「……」

「他には?」

「……自分で考えなよ」と私が言うと「うん考えるね」とすぐに財前は言う。財前は描いた絵にフィキサチーフをかけて、ファイルにしまう。それで私も帰りの準備を始める。

 何だよ、意味わかんねー質問しやがって。

 鉛筆と練り消しとカッターをしまって財前の絵を残しておくべきか捨てるべきかで、手に持ってると財前はパッとそれを奪い取る。で久しぶりに「ふーん」と言う。さーっと寒気がする。また酷評すんのか?

 あの地獄がまた?

 と思っていると財前は私の描いた財前の絵を、ビリビリに破いてしまう。

「何すんだよ!」と私は怒鳴っている。

「別に」

「別にじゃねえよ。人の描いた絵だぞ!」

 財前は私を無視して美術室から出ていく。

 私はそれを追いかけることができなくて、破かれた自分の絵を拾い集める。

 私の絵が。

 悲しい。せっかく描いた絵がなくなってしまうのも悲しいし、財前がそれをやったってのも悲しかった。そんなに出来が悪かったのだろうか。破りたいくらいの出来だったと言うのか。怒りの気持ちよりもはるかに悲しみが湧き上がってくる。目頭が少し熱くなる。私は拾った破片を机の上に置くと、蛇口で顔を洗う。あそこまでしなくたって良いのに……。



 その夜、私は夢を見る。

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