7 透明人間


 財前がめっちゃしゃくってる。

 東京事変の「透明人間」をしゃくりまくってすごい勢いで加点している。椎名林檎の掠れ声とか息の抜ける感じとか完璧に再現して 気持ち良さそうに歌っている。

「あなたが怒っ〜たり泣〜いたり、声すら失ったとき、透き通る気持〜ちを〜、分〜けて、あげたいのさ」

 私は頭を抱える。なぜか財前は私をカラオケに連れて来た。ソファが二つで間に小さいテーブルがある部屋で十八時に入室。二人だからか結構狭い部屋。で一発目から椎名林檎だ。財前はささっと決めたけど好きなのか、椎名林檎? 私も癪なことに好きだけど。

 ってそれは関係なくて私が困っているのはこれから歌うまな財前の前で歌わなければならないことだ。逃げたい。歌は聞くのは好きだけど、歌うのは嫌いなのだ。きっと全国のぼっち八割がそう思ってるはずだ。

「またあなたに逢えるのを〜、楽しみに待って、さよならああああぁぁぁぁぁ〜」

 あああ、終わってしまう。

 財前はマイクを下ろす。

 デデデデデデ! っと採点音がしてモニターに「95点」と表示される。やばいって。私なんて、60点と70点の間しか取ったことないのに。というか私が点数低すぎてやばいだけだ。だって正直音痴だし。

 私は膝の上にある操作タブレットを見る。まだ曲も決めていない。

「何歌うのー?」と財前が言う。

「……まだ決めてない」

「遅いよもー」

 と財前は手を伸ばして私からタブレットを奪ってしまう。タタタッと入力してイントロが流れ始める。

 デーデーデーデッデッデデデーデ〜デ〜

 椎名林檎再び。またも透明人間。

 僕は透明人間さ〜きっと透けてしまう

 同じひとには判る〜

 歌詞が通り過ぎていくのを見て、私はようやく、蚊並のか細い声で歌う。小学生の音楽の授業で1を付けられた歌声で。

 声が震えて顔が熱くなって歌詞のみにしか目がいかなくなる。財前の反応を見ることができない。歌い終わると汗がビッチョリで、脚まで震えていた。ほんと、カラオケとかいう人前で歌う文化を生み出した奴を恨む。

 私はマイクを投げるようにしてテーブルに置く。

 ああ〜クソ、マジで恥ずい。

 チラッと財前を見ると、にへにへしていやがる。

「上手かったよ〜?」

 なんて言ってやがる!

 あああ〜もうもうもう!

 デデデデデデ! 採点音が鳴るので、私はテーブルに顔を突っ伏す。どうせ惨めな結果だ。確認するだけ無駄。

 結果が出たのか、財前が嬉しそうに言っている。「え? すごーい。こんな点数初めて見たんだけど! ねえ、立花さん! 撮って良い? 良いよね?」

 駄目に決まってるだろ……。

 私は突っ伏しながら、両腕でバツマークを作る。

「あは、立花さん才能あるよ! マジで! 今度動画とか出してみない? 絶対ウケると思うんだけど」

「殴んぞボケ……」

 ツッコミすら疲れる。

「殴ってみなよ〜ほれ」

 と財前はソファを移動して私の隣に座る。

「ほれほれ〜」

「うっせーよ」と私は財前の口を両手で挟んで、ムギュッとさせる。

「ふぁふぃふぁふぁふぁぁぁん」

「何言ってんのかわかんないって」

 と私は財前の不細工顔を笑う。

 顔をムニムニする。もち肌ですべすべだ。触り心地はかなり良い。まるで食べる前の雪見だいふくみたいだ。三十秒ぐらい触ると、満足したので離してやる。

「音痴舐めんな」

 ソファの上で脚を組んでふんぞり返る。

 どうだ参ったか。

 と財前が急に屈んで、私の膝をぺろっと舐めた。ちろっと舌を出して、ほんの少し触れるだけじゃなくて、しっかりと舌の上面で舐めたのだ。

「舐めたよ?」と財前が言う。

「うえっ! 汚っ! 何すんだよ、気色悪……」

 温かいリアルな舌の感触が膝に残っている。

 わかんねーよこいつ! もう意味不明だよ!

「舐めんなって言うから」

「そっちじゃないって!」

 もうわかっててやっただろ。

「わかりませえええええええぇぇぇぇぇぇぇんんん〜」財前がマイクに向かって叫ぶ。ビブラートを無駄にきかせている。

「馬鹿だよ、いや本当」

 財前は私をチラッと見て

「私、成績良いよ?」

 さらっと自慢するな。

「小学生並みの頭の使い方ってことだよ」

 そうとも。私はこいつの小学生時代を知っているのだ。人のことをババア呼ばわりしてきたチビ。それがこいつ。

 そう考えれば、寛大な大人の心で、悪ふざけも許せるような気がするな。気がするだけだけど。



 それから三時間ぐらいカラオケにいた。すぐにでも帰るところなのに、付き合ってやったのだ。まあでも実際すぐに帰ったらお金がもったいない。バイトもしてないから、そう貯金があるわけじゃないのだ。

 最初は財前一人で歌ってたけど、そのうち意地を張るのもめんどくさくなってきて私も歌った。音痴で恥ずかしいっていうのも吹っ切れてしまえばなくなる。で私は私の歌いたい歌を歌う。まあ例によって椎名林檎だ。財前も乗ってきて椎名林檎メドレーになる。ちょっと疲れたらドリンクバーに併設されているソフトクリーム機で巻き巻きのソフトクリーム作って食べたり、ソファでごろごろしたり、まるで友達みたいに過ごした。

 いや友達は違うだろ。違うのか?

 自分で考えたことなのに反射的に反論してしまったけど、今の私はどちらの答えもあるような状態な気がする。

 本当に憎くて殴りたいくらいだったら、そもそもカラオケ来てなくね? 徹底的に避けて無視するんじゃないの。昨日、財前に絵を破かれた時の怒りは本物だし、それ以前のあれこれだって許していないのだ。

 だが私は今日を楽しんでしまっている。夢の中で財前と過ごした時間に影響されてしまっている。ていうか、あれは夢か? 別の世界じゃなくて。……いや夢だ。眠っているときに見るのは夢だ。あれはリアルなだけの空想だ。はい結論。



 店から出ると外は涼しくなっている。時計を見る。九時半だ。

「家どっち? 遠いの」

 財前を気遣うようなことを私は言っている。

「そんな遠くないけど……」

 珍しく財前が言い淀んでいる。

「けど?」

「送ってくんない」

 と言って、財前は下を向く。

 私は夢の中での財前を思い出す。

 あいつも別れ際に渋ってたな。

 しゃあないか……。

「良いよ。補導される前に早く帰ろ」

 と私は言う。

「……うん」

 調子狂うな……。

 電灯にカナブンがぶつかっている音を聞きながら歩く。

 お互い無言だ。

 気まずい。家はまだか。

 必死に話題を探していると財前がポツリと言った。

「……立花のこと嫌いなんだけど」

「……んなことわかってますけど」

 ようやく出た話題がこれか。

 やるか、おい。

「……顔ムカつくから、毎日見なくて済むように不登校にするつもりだったんだけど」

 本人に言うことかよ、と思うけど財前は続ける。

「もうなんか無理かも……今までごめんね」

 そう言って財前はまた下を向く。

 私はその言葉にびっくりするどころかむしろキレそうだった。いきなりしおらしくなるなよ、財前の癖に。あれか、一回カラオケしたからって同情しちゃってんのか? アホか。私の敵なら敵らしくしとけよ。

「何が無理なんだよ、おかしいだろ。今までの自分の行動振り返れって。私に嫌がらせしまくりだったじゃん」

「……」

 財前が私の肩に頭を押し付ける。制服越しに財前のツンとした鼻を感じる。

「な、何」

「……わかんない」

「い、いやわかれよ! 自分だろ!」

「……わかんないんだもん」

 だもんじゃねえよ。

 財前の頭を肩に受けて、私もどうしたら良いかわからない。

 とりあえず財前を引き剥がそうとする。道端で、こんなの邪魔だし、誰かに見られたら大変だし。

 私が手で財前を押し退けようとすると、財前は両腕を私の背中に回した。ぎゅーっとすごい力を入れて離れないようにしている。

「や、やめろって」

「わかんない……わかんないんだもん……」

「だ、から、勘違いされるって!」

「……そうだね」

「じゃあ離せよ」

「……うん」

 財前はそう言うが離れる気配はない。

「苦しいって」

 財前は頭をもぞりと動かす。鼻の先端が擦れる。

「……やっぱ家帰りたくない」

「知らん。私は帰りたい」

 私の肩に頭を押し付けたまま財前は言う。

「立花、行かないで」

「いつまでもこうしてられないでしょ。離れないなら、送らないから」

「……やだ」

 と言う財前はまるで子供みたいだ。

 私はため息を吐く。

「あのさ、私とあんたって離れたくないほど仲良しって関係じゃないじゃん。それに私はあんたなんて最初っから大嫌いだったし、もちろん今も嫌い……」

 嫌いか? 夢の中の体験がフラッシュバックする。夢の中では私と財前は友達でいつも遊んでいた。それなのに、嫌いなままでいることができるのか?

 言葉が続かない。

 私は黙ってしまう。

 夢の影響力。

 その影響は無視できないくらいに、私に食い込んできている。

 財前が私にしがみ付きながら、泣く。なぜ泣いている。でもそんな疑問より私は、財前が泣いているのを見て悲しくなってしまう。泣くなよ財前。いつもみたいに、にへにへ笑っていろよ。

 私は財前の背中に手を伸ばして、軽くポンポンと背中を撫でる。

 財前が言う。

「いなくならないで立花。寂しいよ……」

「どこも行かないよ」私は言う。

「立花、ずっと一緒にいてよ」

 財前はぐずるように頭を振る。どう答えようか迷ったけど、私は

「ずっといるよ」

「約束してね」

「わかったよ」



 ようやく財前が私から離れると、私の制服は涙で染みていた。でも怒る気にはならない。

「行こう」

「うん」

 駅前から十分ぐらい歩いて、財前のマンションに着いた。確かに遠くなかった。財前の部屋は五階で、そこまでついて行った。別れ際に財前が「バイバイ」と言って私も「じゃあね」と言った。その時にも財前は寂しそうで私が見えなくなるギリギリまでドアを閉めなかった。

 悪い気はしなかった。

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