8 わかんない

「次の日からどうやって財前に接しよう」

 と言う非常に解決の難しい問題が生まれてしまった。

 私は布団の上でゴロゴロ転がる。

 これやばい。

 恥だ。私は恥の塊だ。友達でもしないような浮ついたセリフとか、抱きしめアンド抱きしめられとか、恥ずかしいにも程がある。

 ああ、どうしよう。

 いても経ってもいられなくなり、私はスクッと立ち上がって、サンドバッグに一発入れる。

 ぽしゅっ……。

 駄目な音だ。サンドバッグを使う時には憎しみの気持ちを持たないと。

 財前に憎しみを持たないと。

 もう一回殴る。サンドバッグはぽしゅ……しか鳴らさない。

 ぽしゅ……。ぽしゅ……。

 何度やっても同じ音だ。

 夢は夢で、現実は現実なのに。

 私はもう財前に憎しみを抱けなくなってしまったのだろうか?

「ううう……どうしよ」

 部屋の中をぐるぐる回る。

 クソ、財前なんてちっとも好きじゃないのだ。

 夢を見る度に財前と過ごす時間が増えていく。それなら眠らなければ良いのじゃないか? そうすれば、財前を憎めるようになるだろう。元通りに。

 とりあえず今日は眠らないぞ。というか明日も明後日もだけど。

 私は徹夜の三種の神器を用意する。カフェイン、ブルーライト、有酸素運動。で眠らないぞ眠らないぞ眠らないぞ……と思っていたのは良いけれど結局眠りに堕ちて夢を見てしまいそれはやはり財前が登場する夢で失敗したと悟る前に財前が私の手を引っ張って言う。

「来てくれたんだ! じゃ、早く遊ぼ!」

「や、財前、ちょっと言いたいことあるんだけど」

「何?」

 と振り返る財前の髪がファサッと舞い上がる。

「いや、ちょっと……」

 言いにくい。

「立花本当に来てくれたんだね! 私、すっごく嬉しいんだけど! ねえねえ! 今日は何する?」

「や、だからさ」

「あ。あれすごくない?」

 と財前が指を差す。そこにはナスの頭をした二十メートルぐらいの巨人がいて、同じぐらいの大きさの巨人と戦っている。「えれえれえれえれえれえれえれ」とモーターみたいな重低音を響かせている。その周りに高層ビルが建っているけど、巻き込まれて木の枝みたいにぽっきりいってしまっている。

「近く行ってみよ!」

「ちょ、まっ」

 私が止めるより先に財前は走り出している。

 追いかけるけど、中学生の癖に脚が早くて追いつけない。

 すぐにバテて、フラフラ二、三歩進んで立ち止まる。財前はもうかなり離れている。

 私は叫ぶ。

「話聞けよーっ!」

「えーっ?」と遠くの財前が叫び返す。

「戻って来い!」

「なんてー?」

「こっち来いって!」

「立花が来いよー」と財前が言って、さらに巨人に近づいていく。

 走るのはしんどいから歩いて行く。財前、はしゃぎ過ぎ。

 と見ていると片方の巨人のナス頭が吹っ飛ぶ。頭をなくした巨人は背中から倒れていき、勝った方の巨人がガッツポーズをする。倒れて行く巨人の先には財前がいる。

 どしん。

 あ、財前死んだ。







 翌日の昼休み、財前を徹底的に避けるようにしていたのに財前の方からやって来て、

「ご飯食べよ」

 と私の席に椅子を寄せて勝手に弁当箱を広げる。

「いつものやつらと食べてりゃいいじゃん」

「別に私の好きにして良いよね?」

「はあ……そうだけど」

 財前は花丸満点って感じの笑顔を見せる。私はそれを見て逆らえなくなってしまう。すまん平子。今日は一緒に飯食べれない。すまん、ぼっちにさせてしまって、本当にすまん。良いですよと平子の心の声が聞こえる。ありがとうぼっち平子。

「昨日楽しかったね」と言いながら財前は箸を動かす。

「あ……まあ」

「また行こうね」

「はあ……」

「立花マジで歌下手! 下手すぎ!」

「はあ……」

 つーか呼び捨て。私は今更気づく。昨日も呼び捨てされていたのに。

「音楽センス壊滅的だね、面白いね」

「いやお前も……」泣いてたじゃん、という言葉を私は飲み込む。

「何?」

「何でもない」

 私はせかせか箸を動かし、口の中いっぱいにご飯を詰め込んだ。

「立花行儀悪いよ〜」

「ふぁふぁい」

「ぶさすぎだよ」

「ふぉふふぇー」

 みたいなやりとりが続いて弁当箱を片付けたら、財前はそのまま私の席に居つく。にへにへしながら、私と話す。好きな漫画、好きな映画、椎名林檎の好きな曲、数学の成績、つまんなかったドラマ、犬の動画、今朝車に轢かれそうになったこと、修学旅行の行先、ヴィンセント=べガのカッコ良さ、色んなことを話す。私も相槌打ったりしているうちに私の好みのものとか話している。昨日の恥ずかしさも既に忘れて、平子が鬱陶しがって聞いてくれない画家の話とかする。盛り上がって、気づかない間にチャイムが鳴って先生が教室に入って来て、昼休みが終了する。

 ほわほわした気持ちで教科書を開く。

 ふふん。まるで友達だな。……アホッ! 馬鹿! バーカ! アホアホアホアホアホッアホ! っと誤魔化しても事実は変わらない。私はもはや、財前と「まるで」友達みたいになってしまっている。

 私は財前に言われた言葉を全部覚えている。私を傷つけるつもりしかない財前の行動も覚えている。でもそれらは薄れていってるっぽい。財前をボコボコにしてやろうという気持ちがもはやほとんどないのだ。

 放課後の部活でも私はそんな感じで。

 財前が隣にいても素直に絵を描けるようになっているし、財前の絵に嫉妬しつつも、その絵にあるどこかしらの魅力を盗み出そうと観察できるようになる。

 財前は意外と考えて絵を描いている。

 才能ゴリ押しかと思いきや、理詰に画面を構成して、フィニッシュだけ自分の感性に委ねているのだ。財前の描くスピードの速さは、事前に絵の構成をよく考えているからであって、単に才能があるから、という訳ではないのだ。それを私はようやく知る。手品の種みたいにあっけない。



 美術室の鍵を財前と一緒に返して、田んぼ道を歩く。

「そういえば、お前さ、昨日私のこと不登校にしたかったとか言ってたじゃん。あれ、やめたの?」

 結構ビビりながら聞いたのに財前は「なんでだろ〜」と言う。

「こーんなムカつく顔してんのにね」

 チクチクと指で私の顔をつつく。

「自慢の顔なんすけど」

「ふふっ」

「笑うなし」

「あ、でもムカつくけど、そんな嫌いじゃないなあ、顔」

「えっそう? ……そうすか」

 ちょっと嬉しいぞ。

「だって描きやすいじゃん。面白い顔してるよね」

「してねえよ!」

 一瞬で嬉しくなくなった。

「立花面白いね」

 と言って財前はにへにへ笑う。

「そっちの方がムカつく顔してんじゃん。にへりやがって」

「にへる?」

「そういう顔だよ!」

 私は財前の頬をつねる。

 ボケボケじゃんこいつ。あえてやってんのか素なのかわからん。

 とポケットの中でヴーヴーと鳴る。着信だ。

 画面を見ると平子からだった。珍しいな。

「誰から?」

 財前が言う。

「平子」

「平子さん?」

「知ってんでしょ」

「知ってるけど」

「あ、出ていい?」

「ふーん、いいよ」

「ども。……あー平子?」財前から少し離れて電話に出る。平子の第一声は

「毒でも飲んだんですか?」

「はあ?」

「今日かなりキモかったですよ」

「ちょ、いきなり何」

「かなりキモかったのでいても経ってもいられなくて、電話しました」

「酷い理由だなあ」

「鳥肌がすごかったんですよ。正当な理由です」

「そんで」

「財前さんといつからあんな感じですか」

「あんなって?」

「説明しなきゃわからないんですか」平子はため息を吐く。「ももおさん、相当財前さんのこと嫌ってたのにどうしたんですか。いちゃいちゃいちゃいちゃ、良い加減にしてくださいって感じです。あれだけ殴りたいって言ってたのに」

 他人が見ても違和感を覚えるくらいなのか。

「いやー……深い事情があるんだよ」

「何ですかそれ。ももおさんに深い考えなんてできないでしょうに」

「できますー、できるんです。良いよ今から説明するから」



 私は説明する。

 夢の中に財前が出てきてからのことを。

 夢と現実であれやこれやの色んなことがあり、私の心がアンビバレンツで大変だってことを、身振り手振りを交えながら懇切丁寧にわかりやすく平子に五分ぐらいかけて言い聞かせる。

 


 説明してたら汗が出てきたので拭いながら私は、

「って言う話なんだよ。わかる?」

「10%くらい聞いてましたよ」

「全然聞いてないじゃん」

「もっとわかりやすく伝える努力をしてください」

 だから財前が出てくる夢だって。そういう話だって。平子わかれよー。

「分かったよじゃあもう一回する」と言うと平子は

「いらないですから。……ももおさん馬鹿ですか」と言う。

 なんかいきなり罵倒された。

「前提条件が間違ってますよ。ちょっと話を聞くだけでもわかったのに、ももおさんは今まで何も疑問に思わなかったんですか?」

 何がよ。

「ももおさん、これ、夢を見てるんじゃなくて、財前さんの夢の中に入ってますよ?」



 それは考えてなかった。

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