9 夢から覚める
「ももおさんの今の話が本当だったとして」と平子。「財前さんまでももおさんの夢の影響を受けているのはおかしいんです。だってももおさんの夢に財前さんが登場したから何だっていうんですか? でも、です。私が教室で見た限りだと明らかに、ももおさんと財前さん、仲良し〜って感じでした。ももおさんの態度が変わったからといって、財前さんまで変わりすぎです。見下している相手にたった数週間でこうなりますか?」
「い、いやさ、平子の知らないところで私と財前それなりに色々あったよ?」
「あったとしてもです」平子が遮るように声のトーンを上げる。「私から見たら財前さんを洗脳してるみたいでしたよ?」
「そんな大袈裟な……んなことしてないって」
「大袈裟でもないような気がしますが」
「いやいや、私、そんな超能力者みたいなことできない」
「私はやっていると思いますよ。自覚なしにしてもね。実際影響出てるじゃないですか」
「はあ? 平子、夢入るだけでそうなる?」
平子の言う通り、財前の夢に入ってるからって……結局洗脳とか無理じゃね? だって本当にただ夢にいただけなら、何も起きるわけないじゃん。
そんなことを思ってると平子が言う。
「馬鹿にしてますね?」
「してないよ。まあ、夢入ってる説の方は納得できるような気がするし。でもさ、洗脳はどうかと思うんだよねー。私が毎晩財前の夢に登場すんのって、それこそ大した影響なくない? いやちょっとキモいけど」
「そうですね」
「いやキモいの否定しろよーあはは」
「……」
「平子?」
「……ももおさん、確かにそうです」
おおー、やっと納得したか。
「やっぱそうじゃ……」
「でも」平子が言う。
「やっぱり洗脳してると思いますよ?」
ちょ、怖いこと言うなって。
「待ってよ平子……えっと」
「そもそも夢って何でしょうか?」
「へ?」
急に何言ってんの? 平子先生。
私の返事を待たずに平子が言う。「夢が潜在意識の現れ、ということはももおさんでも聞いたことがあると思います」
「ま、まあそんくらいは」
「では潜在意識とは何でしょうか?」と平子が言う。「潜在意識は自分の記憶や想像が無意識に反映されることです。潜在ですからね。当然隠れてなきゃおかしいです。無意識であることは絶対条件なんですよ。でも」
と平子が声音を鋭くし、
「ももおさんは財前さんの潜在意識——夢に直接入ってしまいました。わかりますかこの事態が。例えるなら、すでに出来上がった絵にらくがきを加えるようなものです。それも他人の手で」
「……私、そんなことしてないし」
と言うけど私はその妄想を否定できない。だって。
「ねえ、何で最近来ないの?」
中二の財前はそう言っていた。
これって夢を見てる側じゃなきゃ、出ないセリフじゃないか?
「ババア生きてんの?」
最初に会った小一の財前のこれも、私が夢の中の登場人物だと思っていたからこそじゃないか? 夢の中で唯一の生きた人間だと思っていたんじゃないか?
ゾンビの夢の時なんて思いっきり財前が「昨日のゾンビランドは面白かったよ」と言っていた。
「昨日」なんて、夢の中の登場人物にあるか?
寒気がした。
考えがまとまらない。
私は、一体何回夢に入ってしまったんだろう?
そんなの数えてない。
「ももおさん聞いてますか?」
「……うん」
「まあ財前さんが洗脳されてようが私には関係のないことですし、好きに財前さん改造しちゃっていいんじゃないんですか?」あくまで気楽に平子は言う。「この際めちゃくちゃ良い人にしてみません? きっとその方がいいですよ」
「……うん」
「それにしてもももおさん。これ、相当すごい能力ですよ。誰でも思い通りに動かせるじゃないですか。もっと能力を検証して——」
「ごめん。財前待たせてるから」
数秒の間があった後に平子が、
「……怒ってます?」
と言った。
「別に。でも財前待たせてるのは本当だから」
「あ、もも」
平子が何か言おうとしたけど私は通話を終了する。振り返って財前を見ると少し離れたところでスマホをいじっていた。
「長かったね」
「あ、ごめん、待たせた」
「平子さんと仲良いの」
「それなり」
「ふーん」
と言う財前は興味なさげだ。
全然いつものムカつく顔。
洗脳しているのか? 私がこいつを?
財前が言う。
「いつから仲良いの?」
「高校」
「ふーん……」
財前は足元の小石を蹴る。
「一緒に藝大行こうね」といきなり財前が言うので私は
「あ、うん」
としか返事できない。
不意に藝大なんて言ってしまう財前を私は本当に洗脳しているのか?
あ、また財前がわからなくなってる。
何考えているかわからなくなってる。
「浪人とか駄目だよ。卒業遅れるんだから」
と財前が言う。
「……しないよ、多分」
「多分って自信ないじゃん」
「自信はあるって」
多分。
田んぼ道を抜けて足元がじゃりじゃりしてくると、うちの家が見えてくる。「そんじゃ」と私が言って手を振ると財前はにへにへしながら、手を振り返す。私が家の塀に入るまで財前は手を振っていた。私はそっちを見ないようにして庭に入る。
これも夢の結果なのか。
庭で植物に水をやっていたお母さんが「あの子友達?」と私に聞くけど私は「うん」とすぐに答えてしまっていてもう一度財前の方を見てしまう。まだ財前は手を振っていて、笑いながら「ばいばーい」と言って私は堪らなくなる。
私に嫌がらせをしていた財前は消えてしまったのだ。私がそうしてしまったのだ。
蒸し暑いのにたらーっと冷や汗が垂れる。
私の態度が財前を変えたんじゃなくて、私が財前の夢に入っていたから……現在の財前が変わったのだ。これが洗脳じゃなくて何と言うんだ。
ご飯を食べてお風呂に入りながら考える。
でもひょっとして全部平子の妄想かもしれない。財前が変わってしまった風なのは全部財前の演技で気まぐれにやっていることかもしれない。平子は私が潜在意識を書きかえたとか言っていたけど、私は全然財前のことを理解していないのだ。財前の奥の奥の深い思考とか知らないのだ。たしかに財前が意外と寂しがり屋だったり、子供っぽかったりすることは知っている。しかし本当に考えてることなんてわからないのだ。
クソ……私は何に期待しているんだ。財前が変わっていなければいいってことに? 私の責任じゃないってことに? アホか! 馬鹿か! 止める機会はいくらでもあった。夢の中の財前と関わらなければ良いだけだ。でもこの前の私は、思いついていたのにそれをしなかった。私が悪い。それしかない。
布団を敷いて準備を整える。そういえば何回か夢を見ない時があった。それって、過去の財前が夢を見ていないから、私も夢に入れなかったんだ。多分そうだ。
今夜財前が夢を見るかわからない。でも私は一刻も早く夢の中で財前に会って、言わなければならないことがある。
電気を消して、掛け布団を体にかける。まぶたを閉じて十五分もしないうちに私は夢の世界に落ちている。
コーンコーンと足音が響く。トンネルは長くてもうずっと歩いている。額に汗がびっしり浮かんで、足の裏も痛くなってきた。私はリュックサックからファンタオレンジのペットボトルを出す。喉を鳴らしながら飲む。冷たくて気力が湧いてくる。財前はどこかにいるはずなのだ。必ず。
トンネルはまだ続く。この分だと永遠に続いてそうだ。と急に後ろからざっざっざっざっざっと大量の足音が聞こえる。辺りを見ても誰もいない。「ざっざっざっざっざ」は私を通り過ぎていく。すると今度はずるるるるると何かが這うような音がする。それからかたかたかたかたサイコロが転がるみたいな音。そうか、ここは見えない何かたちの通り道なのだ。そういう夢だ。
右を見るとハンドル付きの扉がある。これだ。ハンドルを三周半させると扉が開く。開けた直後に「うわ」と声がする。財前だ。
「びっくりした〜驚かさないでよ」
「……」
私は財前の全身を見ている。もうほとんど高校の財前と同じくらいの身長だ。私よりも何センチかでかい。
と財前は「うえーい」と言って私の頭にタッチする。
「伸びちゃったー私の勝ち!」
「そうだね……」
「なんだよ立花、ノリ悪いなぁー」
「……」
「さっきあっちの方で、出口っぽいの見つけたから行こ」
財前は私を引っ張ろうとする。
「財前、話がある」
「ん?」
私は軽く息を吐く。そして言おうとする。もう夢に来ないって。こうやって遊ぶのはもうおしまいって。なのに私の舌がちっとも動かない。言うべき言葉がどこかに飛んでいってしまったみたいに出てこない。
「立花?」
財前が首をかしげる。
「ざ、財前」
「だから何って〜」と笑う財前を見て私はようやく理解する。
私自身がこの関係を終わらせたくないのだ。
「なんなの? 今日、ほんとどうしたの立花?」
「別に何でもないし……」
「ふーん……とりあえず行こ」と言って財前が歩き出す。私はその後ろをのそのそと着いていく。財前がいつものように学校の愚痴だとかあれこれを言うけど耳に入ってこない。姿の見えない何かが私たちの隣を通り過ぎて「うわ〜なんかキモいのに触られたんだけど」と財前のハキハキした声が長いトンネルの遥か先まで響いて、それを私は夢の中にいるくせに夢見ているみたいにただぼんやり受け止めるだけだった。
「ねえ立花聞いてる?」
「……聞いてるよ」
喉がいちいちつっかえる。
「私将来どうしよっかな? 別に何でもできそうだし何でもいいんだけど、立花どう?」
「……わかんない」
「適当すぎでしょ」と歩く速度を緩めたのか、いつの間に財前が私の隣にいる。「私藝大行こっかなって」
「そう……なんだ」
「せっかく立花が絵教えてくれたんだしねー。まあ? 私才能あるみたいだし? 今からだったら結構余裕かも?」と言って私の顔を覗き込んできて、目を細める。
「高校入ったの?」私は目を背けた。
「そうだよー」
「友達できた?」
「それなりに」と言って財前が片眉を上げる。「何立花〜私が高校でもぼっちだと思った? 残念でした! 普通にできました! えへ」
「……良かったじゃん」
「でしょ? 私すごくない?」
「……うんすごい」
脚が棒になったみたいに感覚がなくなってくる。
現実の財前とは違うのだ。
これは夢で財前とよく似た別人で財前の頭をどうにかしてしまっている代物なんだ。
「あのさ!」と私は立ち止まって怒鳴るように言っている。言ってしまった後でさあっと顔が青くなる。
「え? どしたの?」財前の口がポカンと開く。
ああもうだめだ。
「もう私、夢に来ないから! こうやって夢で遊ぶのもうおしまいだから!」
「うん?」
と財前がわかってないように瞬きを何度か繰り返す。
でもすぐに瞬きが収まる。財前がこれくらいのこと理解できないわけがない。ゆっくりと口が開いていくのが見えて
「どうして?」
と無表情になって私をじっと見つめる。思わず怯みそうになるけどもう止められない。「私が夢の中に来ると、現実のお前に悪影響なんだよ! お前がどんどん変わって言っちゃうんだよ! 私のこと平気でいじめてくるようなくせに——」
「そんなの聞かされてないし知らないし、立花いい加減なこと言わないで」
私は息を呑む。
なぜなら私を遮る財前の口調は現実の財前そっくりだったから。夢に入る前の、変わってしまう前の財前に。
「関係ないじゃん、そんなの、私に。つーか、なに? いじめる私が本来の私だとしても、それに戻して欲しいっておかしいでしょ。立花いじめられたいの? 意味わかんないんだけど」
でもやっぱり違う。私の前にいる財前の瞳は少しだけだけど揺れていて、昔の財前だったらそんな隙を見せるようなことなんて決してなかったはずで、そのことが私に冷静さを取り戻させてしまう。
「……ごめんね財前、ちゃんと言ってなくて」
「やめてよ」
「ごめん財前」
「立花黙ってよ」
「ごめん」
ゴン!
そう言った瞬間に財前が私のこめかみを叩いていて、私はよろめく。
「……やめてって言ってんじゃん」
泣きそうな声だ。でも泣いていない。財前は私を睨んでいる。
「帰さないから」
私は言う。
「どうやって?」
財前が黙まる。
「夢は覚めるよ」
「……じゃあもう一度夢見る」
「来ないから無理だよ」
嘘だ。自分で夢に来る来ないは決められない。いつも勝手に来ているのだ。でも財前はそれを知らない。
「……もう二度と来ないから」私は言う。
きっとこれで財前の夢のイメージは固定されたはずだ。私が出る夢はもう見ようと思っても見れないだろう。
しゃかしゃかしゃかしゃかと壁の向こうで音が通り過ぎる。
「……立花、私嫌いになっちゃったの?」
財前は私に手を伸ばす。
私は手を払い退けて、言う。
「元から嫌いだったよ」
財前はハッとしたように息を呑む。
「顔がムカつくし喋り方もムカつくし、マジで嫌い。これが最後でホッとする」
財前が静かに涙を流し始める。口をギュッとひき結んで赤くなった目で私を見る。私も喉の奥が熱く締め付けられたようになる。今すぐ違うと言いたい。今のは嘘だと言ってしまいたい。嫌いなのは現実の財前なんだ。目の前の財前じゃないんだ。私だってこれで終わりになんてしたくないんだ。でも私は言ってしまう。
「すぐ泣く。それも嫌い」
「ひっう、ううぐっう……」
「早く起きなよ。私、もうお前の夢になんていたくないし」
「ふうううううう」
「早くし……」
と私が言うのに割り込んで、財前が言った。
「たちばなぁ……」
まるで縋るような、置いていかないでって言っているような声だった。
私は走っていた。財前に背を向けて、無限の長さを持つトンネルを走って走って走って財前から離れようとした。泣いている財前をもう見たくなくてそれは全部自分のためで言い訳で逃げたくて財前と出会わなければ良かったのにと思った。涙がボロボロ溢れるけど、財前の方がもっと悲しいのに私は泣くのを止められない。こんなの私のせいなのに。
だけど私はこうも思ってしまう。早く財前が夢から覚めて欲しいって。それで私も夢から覚まして欲しいって。
早く。
早く!
早く!
早く!
夢から覚めろ!
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