11 真夜中のお前



 お風呂から出るとソファで本読んでたお母さんが話しかけてきた。

「もも。さっき電話鳴ってたわよ」

 と私は「え、マジ? 切れちゃった?」とテーブルの上に置いてあるスマホを手に取り、誰から来てたか確認した時、あまりの衝撃で固まる。

 財前からだった。

 私の頭の中が一気にパニックになってお母さんから「誰からだった?」と聞かれても答えることができない。どうして今頃かけてきたんだろ? 私は何もしていないし夢の中に潜ることなんてもうないものとして扱ってたのに。どうしようどうしようとうろうろしながら階段上がって自分の部屋に行ってスマホを布団の上に投げて考える。

 どうしよう。

 考えているとLINEの通知に「学校来て」と表示されるのが見える。いよいよ逃げ場をなくされたって感じで「ああ」だの「うう」だの勝手にうめき声が出てきて私は頭を抱えてしまう。財前がこの状況をただやり過ごすだけなんてありえないんだ。私に聞きたいこととか言いたいことがあるはずで、きっとそれって私が財前を洗脳してるかどうかのことに決まっているんだ。どんなことを言われるのか考えただけで怖くなってくる。でも。

 でも怖くてたまらないのに私は嬉しかった。財前が「自分から」連絡してくれたことが。

 どうする?

 私はどうしたい?

 ふと抱えた腕と腕の隙間からサンドバッグが見えた。

 お姉ちゃんの買ったストレス解消用のサンドバッグ。私はこのサンドバッグをいつも財前に見立てて殴ってきた。本来だったら「顔がうざい」とか財前に言われた翌日に財前の顔を殴ってやるはずだった。そういう存在だった。だったのだ。はは。カラッとした笑い声が自分の口から出て驚く。けれどすぐに納得する。

 そうじゃん。

 あいつのこと殴るはずだったじゃん。

 最初の目的忘れてんじゃん。

 私は立ち上がる。もう怖い気持ちは無くなってる。

 財前ともう一度話したい。殴るかどうかはその時決めよう。とにかく話したい。話した後それでお別れでもいい。

 パジャマのまま靴を履いて外に出ようとするとお母さんが

「どこ行くの?」

「学校」

 と私は言ってお母さんの返事を待たないで走り出している。

 夜中だから外はひんやりしていてパジャマの中に風が吹くとぶるっと震える。夏なのに。いつも通っている道がまるで別世界みたいな感じる。

 学校につくと当然ながら校門は閉まっていて明かりもない。どうやって入ろう。セコムとかあるんだろうか? 校門を登ろうと思ったけどやめる。

 校門から道を回って校庭側のほうに行く。緑色のフェンスがあって、結構高いけど有刺鉄線もないし登れそうだ。網目をぎゅっとつかんで足先に力を入れてフェンスを登り、校庭にごろんと着地する。あ、パジャマに土がついた。ま、いいか。

 玄関口の扉はなぜか開いている。で校内に入ったはいいけど財前はどこに来いとは言ってなかった。私はテクテク暗い廊下を歩く。全くもうちゃんとそこんとこ教えとけよ。色々足りないんだよ、頭良いならしっかりしとけと思うけど、どこかはわかる。あそこしかないことを私は知っている。

 私と財前が放課後集まっていた場所。

 美術室。



 暗がりの中に財前がいる。制服を着たまま。ドアを開けた私の方に体を向ける。

 私はパチンとスイッチを押して電気をつける。

「電気ぐらいつけとけよ」

「忘れてた」

 どうだか。

 財前はにへにへっと笑う。まるでいつも通りの顔。

 何を話せばいいんだろうってなりかけるけど私は「こんな夜中に呼んでんじゃねーよ。常識考えろって。ほら私パジャマだよ、パジャマ。せっかくお風呂入ったのに湯冷めしちゃったよ」と言えている。

「ああーそう? ごめんねー」

「マジさみいよ」

「ごめんごめん」

 財前が長机に左手をポンポンして私に来るように促す。長机のそばへ行くと財前は「そっち持ってー」と言って反対側に回り込んで長机の片側を持ち上げる。

「何すんの?」

「いいから手伝ってー」

 財前の言う通り長机を一緒に持ち上げる。二人がかりでも結構重くてきつい。机一台を運んだだけで腕がだいぶだるくなってて「疲れたんだけど……」と言いかけるけど、財前が準備室からイーゼルを持ってくるのを見て、私は財前の意図を理解する。

「今から絵描くのかよ?」

「うん」

 財前がイーゼルの脚を開いて立たせる。それから私の分のイーゼルと椅子を持ってくる。財前が座るので私も座る。

「久しぶりだねー一緒に絵を描くの」

 と言う財前は床に置いてある画用紙をイーゼルにセットしてざかざかと描き始める。視線の先は石膏像のマルス君。長いまつ毛をぎゅっと伏せて紙にマルス君を宿らせようと鉛筆の炭を乗せていく。やっぱりめちゃくちゃ速くて正確で間違いというものがほとんどない。それなのに私は、おや? と思う。

 絵がすごくぼんやりしてる。

「立花描かないの?」

 と財前がこっちを見もせずに言う。

「あのさ、財前」

「なーにー」

「あ、あの、さ、あ、えっと」

 言いたいことがあったのに口から言葉が出てこない。財前は黙って私の言うことを待っている。

「あ、えっと」

 ああ! 早く言え私! 言えっつーの! 話すって決めたんだろ!

「呼んでくれてありがと!」

 言ってしまった。

 でも私は本気で財前に感謝していた。夢の中でも学校でも何も話さないまま終わりにならないことに。

 今度は私が財前を待つ。鉛筆が擦れる音だけが聞こえる。私は鉛筆を握りしめたまま動けない。

「ふーん」と急に財前の鉛筆の動きが止まる。「立花嬉しいんだ?」

 嬉しいんだ? の言い方がからかうような感じで私はなんとも言えなくなる。

「私も嬉しいよ」と言うと財前が首を傾けてこっちを見てくる。「ねえ、立花? 立花といると私、楽しくなるの。すっごく安心するし何したって受け入れてくれるからお姉ちゃんみたいなの」

 ぼけらって聞き入ってた私を財前がデコピンする。痛っ。

「でも私、立花のことそう思ったことないんだよ? 元々見下してたし顔むかつくしボロボロにいじめてやりたかったよ? だけどね……」

 と言う財前はもう完全に絵から意識を外していて鉛筆を手放している。

「そういう酷いことしたくなくなるの。立花には笑っていて欲しいし、泣いてほしくないの。立花を惨めな目に合わせたいって考えるだけでも苦しくなるし、かわいそうに思っちゃうし逆に泣けてくるし、矛盾しまくり。なんでだろーね」

「……私のせいだよ」

「あはは。だと思った」

 辛気臭くなってる私に対してにへっと笑うと財前は立ち上がる。

「え?」

 まだ全然絵は完成していなくてマルス君もぼんやりしているのに、財前は広げた画材をケースにしまおうとしている。

「ちょ、ちょっと!? 一緒に絵描くんじゃなかったのかよ!?」

 財前が顔を上げて、

「ああそれ? 立花呼ぶための口実だっただけだから」

「別に口実でも!」と私は言う。「せっかくこんな時間にここまで来て、こんな広げたんだし、描いてけばいいじゃん!」

「ごめんね」

「はあ?」

「絵はもういいかなあって。私普通の大学に戻すよ、ごめんね立花。それだけ伝えたかったの」



 今なんて言った。



 一瞬頭に血が昇りかけるけどそうじゃない。まだ全然財前と話し足りないんだ。

 私は鉛筆で財前の顔を指し示す。

「待って財前。リベンジさせてよ」

 目をパチパチさせて全くわかってない様子の財前。私は自分の口角が上がっていくのを感じる。全くこっちはもう一生忘れなさそうだってのに。

「リベンジ?」

「初めて私の前で絵描いた時のこと覚えてないの? 散々こっちのことしょぼいだの言ってくれちゃってたじゃん」

「……それは謝ったよ」と財前が顔を背けようとする。でも逃さない。

「お前は別にこれで絵描かなくなるのかもしれないけど、私はこれからずっと絵描いてくんだよ。勝ち逃げされてる気がするんだけど」

「……逃げるわけじゃないけど」

「このまま逃げたらマジで恨むから」

 財前の目が細くなってく。

「恨むって酷くない?」

 乗ってきた。私はさらに駄目押しで言う。

「私が有名になったら、お前が逃げたってエピソードずっと言いふらしてやるから」

 眉間に皺が寄った財前なんて初めて見た。すごいキレている。キレさせてやったって高揚感が私の全身を包んでいる。

 私はそのままの勢いで椅子を財前の正面に移動させる。

「は? デッサンやるんじゃないの?」

 あからさまに不機嫌な声で財前が言う。

「おんなじこと繰り返してもしょうがないでしょ。どうせやるなら楽しくお互いの顔でも描こうよ」

「一枚?」

「別に何枚でもいいけどね。負ける気しないし」

 勝負だ。

 私はにへっと笑う。

 それを合図に鉛筆をスケッチブックの画用紙に乗せていく。財前も遅れてスタートする。私のことをムカついてムカついてマジ殴ってやりたいって顔をしてる。正直かなり怖い。これまでの財前は余裕ありますみたいな顔しか見せてないのだ。口を少し開けて白い歯見せながら私のことを睨みつけて目と目があったまま一ミリも動かなくてマジで怖い。

「笑わないでよ」

 財前はどすの利いた声を発する。

 そんなの無理だ。財前のこの顔は怖いけど面白い。

「笑うなって言ってるでしょ」

 財前の怒りが深みを増していく。私の本能に訴えてくるような感じがして腕に鳥肌が立ってるのがわかる。それでも私は描き進めてバシンと画用紙を千切り取って床に投げる。

「一枚終わり!」

 我ながら見事に怒りの財前を紙の上に降臨させている。続いて財前が無言で画用紙を隣に乱暴に投げる。にへっとしてる私。微妙に笑いを堪えてるような感じがとても腹立つ。でもどこか精彩を欠いている。

 二枚目をスタートする。財前の表情から怒りが少し抜け落ちていて代わりに悔しい気持ちが入ってる。自分でも今の絵が狙い通り行かなかったことがわかってるんだろう。パパッと少し見ただけで物事を理解してしまう観察力を持ってるんだ。わからないわけがない。あーあ私もそんな観察力持ってたらこんな苦労しなくて済んだのに。

「二枚目終わり!」

 画用紙を投げる。それから財前のが上に被さるように投げられる。その中の私はやっぱり笑ってる。

「……楽しそうでいいよね」財前が三枚目をセットしながら言う。

「お前は楽しくないの?」

「……」財前はぶすくれた顔で返事をしない。

「私は最高って感じだよ」

「……」

「頭の中すっごい熱い。もういくらでも描けるわ」

「……」

「こういうとことか……」

「私は!」

 財前がいきなり大声を出して、あまりの声量に、床に置いてある画用紙たちがふわっと一瞬浮かび上がる。

「楽しいよ!? 立花とやるのなんでも! でももう立花のこと考えるの嫌なの!」

 浮かび上がった画用紙たちが床を滑って四方に散らばっていく。なんか魔法陣みたいに私たちを囲んでいるような並びになる。ちょっと吹き出しそうになったけど、口をつぐんで堪える。だって大声出してからの財前の鉛筆さばきがさっきまでとは全然違っていて、あの日、私を打ち負かした時と同じように素晴らしく早く、迷いなんてない描きっぷりだったからだ。

 ようやく本調子かよ。

 私は息を深く吸って口の端を上げる。

 そうじゃなきゃ倒しがいがない。弱りきった財前の絵に勝ったとしても嬉しくない。私が勝ちたいのは自信満々のクソうざい財前なんだ。

 頭が熱出した時みたいに熱く感じる。でもそれで集中が乱されてるわけじゃなくて、むしろ研ぎ澄まされている。しゃっしゃっしゃっ。二人きりの美術室に鉛筆を擦る小さな音が響く。眉間のしわは取れてないのに財前の腕は実になめらかに動いている。背筋はピンと。視線はまっすぐ。しゃしゃっしゃ。

 と私たちは同時に三枚目を描き終わって床に投げる。

 財前の顔。

 私の顔。

 お互い必死さが滲み出てる。

 額から顎に向かって汗が垂れてるなんて、私自身も気づいてなかったのに財前はしっかりと描写してくれちゃってる。無意識に組んでた脚に引っ付き弛むズボンもごく僅かな線でそれらしく描いてる。でも私だって財前の見せた隙らしい隙、髪を左手でいじってるところは逃していない。指の先まで神経使って描いてやった。

 ふっと顔を上げると、ちょうど財前も私の描いた絵を見終わったみたいで目があう。

「立花がわかんない」

 財前がきっぱりと言う。

「そんなの誰だってそうでしょ。私だって財前のことわかんないし」

「そう思うんだったら私のこと振り回すのやめてよ」

「お前がそれ言うなよ」

 流石にそれを財前に言われるとむかっとくる。

「立花に振り回されるの嫌だから無視してたのに、なんでちょっと呼ぶだけで来ちゃうの? そんな余裕も暇も立花ないでしょ?」

「うっせーよ。来たかったから来たんだよ」と私は言う。「つーかそっちが呼んだ癖に文句なんか言うなよ」

 ほんとうるさい。むかっときたままに四枚目に入る。財前が描きながら「別に今にだって描くのやめてもいいんだよ」と言うから

「嫌だ。このまま描けよ」

「なんで言うこと聞かなきゃいけないの」



「お前と一緒に藝大行きたいからだよ! お前に絵続けて欲しいからだよ! なんで言わなきゃわかんないんだよ!」



 財前が目を丸くしてる。でも私にもだいぶ余裕がなかった。



「私財前好きだよ! 財前の絵だって好きだよ! 別にいいじゃん私のことなんてわからなくたって! 私だってお前のことマジムカつくし殴ってやりたいのに、こんなこと言っちゃうんだよ! 意味わかんねえよ!」

「立……」と財前が何か言いかけるけどこれも言ってしまう。

「いきなりお前が藝大行くのやめるとか言うからめちゃくちゃ泣きたくなったんだぞ! どうすんだよこれ!」

 言ってる間に涙が出てくる。元々泣き虫を自覚している私がこんなのに耐えられるわけがなかった。殴りたい、勝ちたいとか言ってたけどそんなの財前が私を呼び出したようにただの口実なんだ。

 私はまだまだ財前と一緒に絵を描きたい。

 ハラハラ涙を流しながら私は描く。もう何も言えなかった。財前だって何も言わなかった。そんな状態で描いた絵がまともであるわけなくて、というか画用紙が濡れてろくに描けなかった。でも少しでも描くのをやめたらこの時間がおしまいになってしまうことを考えると手を止められなかった。

 四枚目が終わる。

 さっきまでの絵と違ってろくな出来じゃない。線がミミズみたいにのたうってる。ずたぼろ。あーちくしょう。

 涙をパジャマの袖で拭い去ると、スケッチブックを脇に抱えたまま財前が立ち上がるのが見えた。

「……下手」

 と頭の上から声が降ってくる。

「泣きながら描くからこうなっちゃうんだよ」

「……そんなのわかってる」と私は言う。

「じゃあ泣かなきゃ良かったじゃん」

「……無理」

 ずずずと私は鼻水を啜る音で答える。

「あっそ」

 と財前がそっけなく言って椅子に座り直す。脚を組みながら、

「五枚目。やるんでしょ?」

「……うん」

 と言って私は顔を上げる。

 あ。

 財前の頬に涙の跡がある。目も充血している。私は絶句する。目の前の財前は財前そのものだったけれど決定的にどこか違くて、私がいつも夢の中で会っていた財前に違いなかったからだ。今の財前と同じ身長だし僅かにあった幼さは完全に消えているし、上履きは二年と書かれているし、制服はうちの高校のものだけど、身に纏ってる雰囲気ははっきり別人だ。

 夢?

 どうして?

 眠ってなんかないのに。

「私のこと嫌いなんじゃなかったの? 嘘吐き」

 と財前は敵でも見るみたいな目で私を見ている。

「……ま、待ってたの? ずっと」

「待ってなんかない」

 即答される。当たり前だ。私は財前に酷いことを言ったままなんだ。それを二年もずっと夢の中で抱えたまま成長してきて恨みを買ってないわけない。

「……ごめんね」

 溢れるように言葉が出る。

「……酷いこと言っちゃってごめん」

「薄っぺらな謝罪なんていらない」

「……ごめん。薄っぺらなことしか言えなくて」

「ああもう!」

 財前が叫ぶ。

「なんでそんな暗いの! 立花のくせに! もっと大人ぶってへらへらしてなよ!」

 私に向かって消しゴムが投げつけられる。消しゴムは鼻の頭に当たってどこかに転がっていく。

「せっかく会えたんだから、少しは明るくしようとは思わないわけ!?」

「……うん」

「だ、か、ら!」

 財前が脚を床に叩きつける。

「立花は立花のままでいてよ! 泣くなんて立花らしくない!」



 ああ、そっか、と私は思う。

 こいつの前で泣いたこと一度もなかったっけ。



「……これがいつもの私なんだよ。すぐ泣く」

 そうとも。その通り。

 否定しようのない事実。

 でもこいつにとっては違う。夢の中の財前にとって、私は一緒に遊ぶ友達で絵の師匠で時には学校の悩みも相談するようなやつなんだ。こんなふうにメソメソなんてしてなくてへらへらしてるはずなんだ。

 そうしなきゃ。

 泣くのをやめろ。

 やめろよ私。

 でも私は泣き続ける。頭の中には罪悪感が占領している。夢の中の財前と現実の財前。その両方に対して。財前たちを変えてしまったことに対して。

「……ごめん」

「……絶対許さない」

「……うん」

「許さないから」

 と言って財前は鉛筆を振り上げる。さっきの消しゴムみたいに投げつけられるかと思ったらそうじゃなかった。財前は手元のスケッチブックに二回、線を引いた。それから手元のスケッチブックをひっくり返して、

「宿題ね。次来る時までに泣き止んどいて」

 声にならない声が出る。

 財前の絵の中の私は笑顔だった。どこかからこっそり盗み見たような感じの自然な笑顔だった。でも私を驚かせたのはその笑顔の自然さじゃなくてもっと違うところだった。鼻毛だった。鼻毛が鼻の下に描かれていた。そんなの見てしまったら、涙なんて一瞬で引っ込んでさっきまでの暗い気持ちがどこかに飛んでいって、全身から力が抜けた。夢の中でも見ることになるなんて。

「しょ、小学生かよ」

 と鼻を服の袖で拭いながら言うと、いつの間にか立ち上がっていた財前が私のがら空きになった脇腹めがけて飛びついてきた。がしゃん。椅子が倒れる。二人揃って床に転がる。財前は私のお腹を締め付けるように肩甲骨まで腕を回し、頭をぎゅむっとお腹に押し付けた。

「面白いでしょ」

 私のお腹に顔を密着させくぐもった声で財前が言う。

「私的にすっごい笑えるんだけど」

「……お前だけだよ」

 財前が顔を上げ、にへっと笑う。

「立花、たまには夢に来てよね」

 私は返事の代わりに抱きしめ返す。

「ずっとは来なくて良いから、本当にたまにで良いから、私の夢に出て来てね」

 財前は目をギュッと瞑る。

 夢の中で無理やり起きようとしているみたいに。

 背中に回された財前の腕の力が、いっそう強くなる。



「じゃあね!」



○○○



 目を開けると財前が椅子の上で眠っていた。スケッチブックを抱えながら頭を揺らしていて、私が見ているうちに髪をかきあげ、「んん」と伸びをした。

「寝ちゃってたね」

「ん」

 と言って意識すると頬に濡れた感触。夢の中の涙は持ち越しみたいだ。

「結構描いたんじゃない?」

 財前がそこら辺を歩き回って言う。散らばった画用紙たち。

「何時間くらいやってたのかな〜」

 やば。

 と立ち上がって美術室にかけられてる時計を見ると深夜二時。慌ててスマホを取り出すと親から何件も着信が来ていて「やっちゃった〜……」とため息が出る。帰ったらものすごく叱られる。

「財前、お前の親は?」

 スマホを開きながら財前が、

「すっごくキレてる」

 さすがの財前もちょっと顔色が悪い。

「どう言い訳しよっかなー」

「家出とかで良いじゃん」

「別に家出する理由なんてないし。てか立花家出したことあるの?」

「一度もない」

「授業サボってるくせに?」

 沈黙。

 二秒後、示し合わせたみたいに私たちは笑い出した。

「あははは。立花良い子すぎ!」

「うるせ。私は良い子なの」

「自分で良い子って言う人いないでしょ〜」

「私がいるだろ」

 あははは。

 ひとしきり笑った後、財前が私の頬をつんつん突いてきて、

「泣き虫」

「はいはい」

「ねえ立花」

「何」

「さっき私のこと好きとか言ってたけど? 恥ずかしくないの?」

 自分のことを棚に上げて、もうすっかりにへにへしまくりの財前。全くちょっと隙見せたらすぐからかってくる。腹立つ。

「とりあえず一発いい?」

「えっ?」

「こう見えても私、強いから。毎日サンドバッグ叩いてるから」

「えっ? ちょ立花」

 私は振りかぶって財前の綺麗な顔面を殴る。でも途中で勢い弱めてちょこんと触れるだけにしておいてやる。「びびった?」と聞くと顔真っ赤にした財前がぽかぽか私のお腹を殴りまくってくるけど、全然痛くないしくすぐったい。あははって笑ってると脱力したように財前がもたれかかってくる。

「……好きって言ったじゃん」

「そうだっけ? 言ったっけ?」



 それからしばらくぐだぐだして、床に散らばってるお互いの絵を拾い集めた。机の上に並べて「ここが良い」とか「ちょっと誇張しすぎ」とか好き勝手言い合って貶したり褒めたりした。前みたいに財前は私の絵を破らなかった。それどころか批評会が終わった後、財前は「もらって良い?」と言って私の描いた財前の絵を持っていった。ふーんふーんそうですか。あれだけ言いたいこと言いまくったのに、また色々言いたくなっちゃうじゃん。まあでも拗れるだけだし結局言わない。

 私の手元にも、財前の描いた私の絵が押し付けられる。それでその絵たちを私の部屋に置いてたんだけど、自分大好きな人みたいになって平子にドン引きされた。「これ財前の描いたやつだから!」って説明しても「うわマジですか……」と余計引かれた。しょうがないじゃんその場のノリだったし。それに財前の絵を見えるところに置いておくのは意味がある。だって上手い上手い財前の絵が側にあったら、すぐ追い抜いてやるって気分になるから。私の描く絵だってまだまだ捨てたものじゃないんだ。

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