26:ヴィンセントの決断

 ジョアンナはディーノの持っている聖水を見つめている。

 瓶の中の液体はキラキラ輝いていて、さっきディーノが話してくれた「光る水」とどこか似ているように感じた。

 

 あの何に使うものなのか分からなかった聖水に、そんな力があるかもしれないなんて……夢みたいだ。

 

 もしかしたら、聖水を飲めばヴィンセントが治るかもしれない。

 そう思うだけで、ジョアンナの瞳は潤み、期待で胸が震える。

 

 ケルヴィンやセリーナも興奮した様子でディーノの元に移動し、彼の持つ手記と聖水を見つめている。

 ジョアンナも彼らに交じり手記を見せてもらったが、手記はカリード王国の古語で書かれていて読むことは出来なかった。

 


 ケルヴィンの決断は早かった。

 すぐに従者を呼び、ヴィンセントの部屋に使いを出した。

 

 ジョアンナの【鑑定】で聖水が毒ではないことがわかっているが、どんな副作用があるか誰にもわからない。

 ヴィンセントにこの話をして、飲むかどうかを本人に判断させるそうだ。


 運の良いことに、目の前には腕の良い薬師のディーノもいる。

 ケルヴィンは彼に頼み、ヴィンセントが聖水を飲むと決断した際には、しばらく側にいてもらうことになった。

 

 そして、ディーノが診療に必要な道具を用意すると、全員でヴィンセントの部屋へ移動した。

 

 


 部屋に着くとヴィンセントはベッドに座り、皆の到着を待っていた。

 すでに、粗方あらかたの状況は理解しているようだが、改めてディーノから手記に書かれている内容を話してもらう。


「どうする? ヴィンセント?」

 

 ディーノが説明を終えた後、ケルヴィンはヴィンセントに静かに問いかけた。


「もちろん、少しでも可能性があるのならば試します!」


 ヴィンセントの瞳に迷いはなく、即答だった。

 ジョアンナは、期待も感じていたが、それと同じ位の不安も感じていた。


「ジョアンナ嬢、聖水を1本もらってもいいかな?」

 

 ジョアンナは頷くと聖水を1つ取り出して、瓶を開けてヴィンセントに手渡した。緊張のせいかお互いの手が震えているのがわかった。


 彼はジョアンナの瞳を見つめて「大丈夫だよ」と言うように頷いて笑い、目を閉じて聖水を一気に飲み干した。


 ジョアンナが緊張しながらその様子を見つめていると、彼は目を開けて自分の身体をサラッと確認してから口を開いた。


「特に何も起きないね……聖水も水なのかな? 特に変わった味もしなかったし、特に変わったところは無いようだ……」


 ヴィンセントはいつもより少しだけ明るい声でそう言うと、少しだけ眉を下げて困ったように笑った。


 


 寝る準備を整えてベッドに横になっても、ジョアンナは目が冴えてしまい全く眠れそうになかった。ヴィンセントに何かあれば……と想像するだけで、足元が崩れていくような不安に襲われるのだ。


 そして、ジョアンナは今まで気がつかなかった自分の感情に気がつく。


 ──私、ヴィンセント様に恋をしているのね……。


 いつの間にか、ジョアンナは彼に惹かれていたのだ。

 

 一緒に食事をして笑い合ったこと

 [ガチャ]を回して一喜一憂したこと

 触れた手の温もり

 優しい瞳で笑うヴィンセント


 この数ヶ月、一緒に過ごしたヴィンセントとの思い出が、どんどん頭をよぎる。


 

 今日はどんな話をしよう

 どの服を着よう

 これは好きかしら?

 

 最近のジョアンナの心の中には、いつもヴィンセントがいた。


 これは、ジョアンナにとっては……初めての経験で、初めての恋だった。

 

 彼への想いを自覚すると、余計に悪いことばかり考えてしまい怖くなる。

 どうか明日もヴィンセントと笑い合えますようにと、ただひたすらに祈りながら、ジョアンナは眠れぬ夜を過ごした。



 

 同じ頃、ヴィンセントも眠れない夜を過ごしていた。


 夕食を終えてベッドに入る準備をしていると、部屋に父の従者がやってきた。

 従者の話では、聖水を飲めばヴィンセントの身体が回復する可能性があると言うのだ。


 これから父達が部屋にやってくるらしい。ベッドに座り彼らを待ちながら「本当にそんなことがあるのだろうか?」と、信じられない思いでベッドの傍に置いてある聖水を眺めている。


 父達が部屋にやってきてディーノから詳しい話を聞いた。確かにディーノの話す「光る水」と聖水に共通点を感じる。父はどのような副作用があるかもわからないから、飲むか飲まないかはヴィンセントに任せると言う。


 考えるまでもなく、結論は出ていた。

 

 ヴィンセントは、すぐに飲むと答えてジョアンナを見ると、彼女が手をギュッと握りしめたのが見えた。彼女が何かを我慢する時によくやる癖だ。きっと、副作用が起きないか心配してくれているのだろう。


 ヴィンセントは瓶を彼女から受け取ると、少しでも安心できるように彼女の瞳を見つめて頷いた。

 彼女の手も震えていたが、自分の手も震えていることに驚いた。


 彼女に出逢うまで、ただ1日をベッドの中で過ごして、たまに襲ってくる身体の痛みに耐えるだけの日々だった。死はいつも側にあり、眠りにつく時に「このまま目覚めなければ」と何度思ったことか…………。


 どんどん悪くなる身体。治療法は見つかるきざしもない。

 今でも治療法を探してくれている両親や友には悪いが、ヴィンセントは生きる希望を無くしていた。


 そんな時に出逢ったのがジョアンナだ。

 

 彼女が共に昼食をとってくれるようになり、それまでただ口に運んでいただけの食事を久しぶりに美味しいと感じるようになった。


 少しでも彼女と一緒にいたくて[ガチャ]を一緒に回すようになり、今日は何が出るのかを2人で楽しんだ。


 そんな時間を過ごす中で「生きたい」「彼女ともっと一緒に過ごしたい」という欲が生まれてしまった。


 奇跡が起こることを願いながら聖水を飲み干せば……何も起こらなくて、心底ガッカリした。

 落ち込む自分を悟られたくなくて、努めて明るく振る舞って皆を見送り、静かにベッドに横になっている。


 ディーノは少し離れた所で、明かりを点けてさっき見せてくれた手記を読んでいるようだ。


 ヴィンセントは小さな溜め息をつき、静かに目を閉じた。


 その夜、ヴィンセントは目を閉じていても、なかなか眠れずにいた。

 ようやく眠気が訪れて……うつらうつらと眠りに落ち始めた頃、ヴィンセントは不思議な光に包まれている夢を見た。


 その光は、どこか温かくて、懐かしい感じがした……。

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