04:新しい婚約

 翌日、ジョアンナは数日ぶりにきちんと食事をとった。


 久しぶりに食べた温かい食事はとても美味しく感じて、なんだか元気が出た。午後には念入りにマッサージをしてもらったり、久しぶりに読書をして気分転換もした。


 侍女と話しながら、笑うこともできるようになったジョアンナ。そんな彼女の元に、父から先触れが届いたのは、夕食を食べ終えた頃だった。

 



「思ったより元気そうだな」

 

 使用人を下げて2人きりになってからの第一声がこれである。

 さっき鏡を見た限り、まだ目は赤いし、瞼も腫れている。数日まともに食べてなかったせいでやつれていて、とても「元気そう」に見える顔では無かった。

 

 ジョアンナは声に感情が出ないように注意しながら、口を開いた。


「はい。ご迷惑をおかけしました」


「あの2人のことは私も驚いたのだ。気にしなくていい」


「ありがとうございます」


 どの口が言っているのだかと思いつつ、ジョアンナは父を見つめていた。

 さすがにこれから話すことは言いにくいのか、しばらく落ち着かない様子で当たり障りのない会話を続けた後に、父は婚約について切り出してきた。


「こんな事になってすぐで言いづらいのだが、王家から婚約の話が届いている。『嫌ならば断っても良い』とは言われているが、当主としてこの話を断ることはできないので理解して欲しい」


「お相手はどなたですか?」


 実際には届いた婚約の話だったはずだが、良く言うものだなと思いつつ、初めて聞いたかのように問いかけることにした。


「リネハン辺境伯の嫡男のヴィンセント様だ。歳は21歳だそうだ」


「そうですか……」


 大事な事をきちんと言わない父を、呆れながら見つめていると……。


「あと……知っているかもしれないが、2年前に魔物から受けた傷の影響で、身体が少し上手く動かせないようだ」


「………………」


「それでもこの話を断ることはできないので、ジョアンナには悪いが彼と結婚してもらうことになる」


「承知しました」


 あまりにもあっさりと受け入れたジョアンナを、父は驚いた表情でしばらく見つめていた。

 しかし、気が変わったら困るとでも思ったのか「恐らくすぐにリネハンへ行ってもらうことになる」と言い残して、急いで部屋を出ていった。



「ふぅー」


 ジョアンナは大きな溜め息をついて、焼き菓子を口に放り込み、温くなった紅茶をグビっと飲み干した。


 ──抱きしめてもくれなかったわ……。


 数日前に婚約が解消になり、何日も部屋から出てこない程、落ち込んでいた娘が目の前にいたのだ。嘘でも抱きしめるくらいできないのか……。

 父への苛立ちとともに、わずかに期待していた自分にもウンザリする。


 ──それに大事なことを全て伝えないで話を進めるのね……。


 ジョアンナはヴィンセントと会ったことはないが、学園で友人から彼の話を聞いたことがあった。

 そのため、父があえて話さなかったことを知っていたのだ。


 ヴィンセントは魔物から受けた傷のせいで、毒に侵されている。身体を自由に動かせないことに加えて、顔や身体の一部が変色し、とても見られる姿では無くなっているらしい。

 彼の婚約者は一目ひとめ見ただけで倒れてしまい、2人の婚約は解消になってしまったそうだ。


 王宮の医者や治癒士や薬師などの専門家が、何人もヴィンセントの元を訪れているが、何の毒なのかもハッキリせず、治療法は見つかっていないらしい。


 ヴィンセントは元々はとても美しい容姿だったようで、令嬢達の憧れの存在だったそうだ。

 話を聞かせてくれた友人は、家族で参加したお茶会で何度か彼に見かけ、密かに憧れていたらしい。彼女は瞳に涙を溜めて「あまりにも可哀想だ」と哀しんでいた。


 どんな相手だとしてもジョアンナに拒否する権利はないし、そもそも容姿などで政略結婚についてとやかく言うつもりなんて全くなかった。

 ただ、言葉を尽くして説明するくらいの愛情や想いが、もう父には残っていないという現実に胸が痛んだ。


 


 翌日からジョアンナは、身の回りの整理を始めた。


 ジョアンナは、屋敷を出た後にマーランドに戻ってくるつもりが無かった。そのため、部屋は全て片付けてから、屋敷を出ると決めていたのだ。


 持っていく荷物をまとめて、リネハンに持っていかない物は、良く尽くしてくれた使用人に下げ渡したり、侍女に頼んで売ってもらったりした。

 



 部屋がだいぶ片付いてきた頃、父から「執務室へ来るように」と連絡を受けた。


 すぐに執務室に行くと、父は忙しそうに書類に何か書き込んでいる。

 ソファーに座って待つように言われたので、父が書類仕事をする姿を眺めながら、執事が淹れてくれたお茶を飲んで待っていた。


 仕事が一区切りついたところで父が向かいのソファーに座った。執事はお茶を淹れた後に静かに出ていき、部屋には2人きりになる。


 しばらくの沈黙の後に、お茶を一口飲んでから父が口を開く。


「久しぶりだな」


 ジョアンナはあれから自室をほとんど出ていないので、使用人以外と顔を合わせる事が無かった。

 父に何と返すかを考えているうちに、父が続けて話し始めた。


「リネハン家との婚約がまとまった。すでに王宮に婚約に関する書類を提出して、承認もおりている。リネハン家と相談したところ、慣例通りに1年の婚約期間を経て婚儀を行うことに決まった。婚約期間中、ジョアンナはリネハンで生活することになった。すぐにリネハンから迎えが来るので、準備しておくように」

 

「承知しました」


「来月の結婚式はどうする?」


 来月の結婚式とは、フィリップとキャロラインの結婚式だ。


 出席者のほとんどが事情を知っているので、ジョアンナが出席すれば、少なからず好奇やあわれみの目を向けられるだろう。


 1年以上かけて準備してきた式で、自分が立つはずだった場所にキャロラインが立つ。

 考えただけでゾッとする。

 参加するなんて、どう考えても無理だ。

 

 リネハンへすぐに移動すれば、父達にとっても「姉が欠席する正当な理由」ができることだろう。それはジョアンナにとっても都合が良かった。


「リネハンへ移動してすぐになりますので、出席は難しいかと思います」


 父は少し安堵した表情を浮かべて、了承した。

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