第2話 ディオとの出会い。その名前の意味は?

「……ふむ。なるほど」

 その男は。

 正式な名前はなんとかかんとかという長いものだった――面倒くさいから、俺はディオを記憶することにした。

「お前がどうして空から降ってきたか、お前もわからないのだな?」

「そうなります」

 俺は二十一歳で、ディオは年上に見えた。金色の髪に、水色の瞳。たぶん日本人ではないのだろうが、アングロサクソン系だとも思えない。肌は俺とさして変わらない。

 あの女神の話を信じれば――腹立たしいことだがそうするしかないのだが――、異世界の人間、ということになるだろう。であれば、言葉が通じるのは不思議だが、まったくコミュニケーションが取れない、なんて苦難に遭うよりは幸福だと今は割り切る。

 さて、俺の現状である。

 俺はあの女神とかいうわけのわからない女の力で、異世界に飛ばされたらしい。言葉通りの意味で、それ以上でもそれ以下でもない。

 だからといって、本当に空を飛んで、本当に落下させないでもいいだろう、とは思ったのだが――おかげで、異邦人だと即座に認識されたことは幸か不幸か俺にはわからない。

 俺が落下した先は、異世界のなんとかいう帝国の軍隊の前線基地だったらしい。らしい、というのはつまり、確信がないのだ。なぜって、確かに武装しているし、俺を武器で脅して幕僚の一人であるディオの下に連れてこられたが、少なくとも、敵意は向けられていない。

 軍隊とは何かしらの対象――敵であれ、略奪の相手であれ――にそれを持っているものだ。敵だから何をしてもいいのだと、心のどこかで思っている。もちろん、軍隊や戦争にルールはあるが、絶対に順守されるものでもない。

 それは、歴史が証明している。無論、現代日本の資料から得られる知識だけだから、厳密に言えば否を唱えられるかもしれないが。資料は、どこまで精密でも情報の塊でしかなく、間違っても事実に基づく経験になったりはしない。

 ともあれ、俺は幕僚であるディオの前で、跪いている。立っていることは失礼にあたるとカンナとか言われたが、まぁ、それだけ彼は尊重される立場で、俺を殺したいと思えばいつでも部下に命じられる立場なのだろう。

 下手は打てない。当たり前の話だが、俺は死にたくない。

「……ふむ。ひとつ、問う」

「はい」

「お前は、我が帝国についてどう思っている?」

 どんな答えを望まれているのか、考える。それは現代日本でもよくやっていたことだ。大学なんていう狭いコミュニティの中の、更に小さなゼミという名前の組織の中では常にそれが求められた――教授が何を聞きたいかを特定し、自分の意見がどうであれそれを口にする。高評価とはそうやってしか手に入らないものだった。もっとも、教育機関であれ会社であれ、その点では変わらないのだろうが。

 組織とは人が作るもので、人が運営するものである。であれば、自分よりも上の立場の人間に快感をくれてやることでしか、評価されることはない。

「何もわからないので、教えて欲しいです――帝国と言うからには、皇帝がいるのでしょうが、俺にはそれしかわかりません」

「我が帝国を知らない?」

 ディオは人外の獣を見つけたような顔で、続ける。

「どこの属州の人間だ?」

「日本、と言ってもわからない、ですよね?」

「わからん」

 だから、どう言葉を並べるのが正解か。まだ、わからない。それを見つけるために会話を重ねないといけない。相手を理解するとは――相手を気持ちよくするとはつまり、相手を正しく理解するということだ。

 ディオという男にとって、俺は獣かそれ以下の存在でしかないのだ。一手でも間違えれば、適当な理由で殺されるだろう。軍隊とは、人を殺すことに関してのエキスパートが揃っているし、命令を忠実にこなすことが美徳とされるのだから。

「……守るべき市民ではない、か」

「帝国の民しか、守らない?」

「そうだが? それとも、お前が無制限に人を守るべきだとでも言うか?」

「どうでしょうね。今この場で、俺の命が助かるならそう言いますけど」

「言えば、首を切ってもいいな――帝国の民でない者の死など、いくらでも隠蔽できる」

 淡々とディオは言い切った。幕僚なのだから、部下に命じて人殺しをするなんて日常茶飯事に違いない。

 俺は告げた。

「俺は今すぐあなたたちにメリットを与えることが、できます」

「ふむ。嘘を言っているようにも見えないが……具体的には?」

「敵の殲滅」

「敵とは?」

「さぁ、わかりません。ですが、いるのだとすれば、俺はたちまちに殲滅できます。虚言じゃないですよ、本気です――そもそも、この状況で嘘を吐く方が不利になりますよね?」

「そうだな。ふん……」

 ディオは考え込むように、眉をひそめた――はったりではない。あの女神の言葉を信じれば、俺には特別な能力がある。

 それを証明するように、俺の両手首には謎の宝石が目立つ腕輪があった。彼女に言われたわけではないが、なんとなく、理解できる。この宝石が光っている限り、俺は力を行使できて、陰りが見えて暗くなれば、光が回復するまでは使えなくなる。左手にしていた腕時計が変化したものであり、意味があるかはわからないが、時間もわかる。

 ともあれ、具体的にどんな力か、それはわかっている。あの女神は俺に何かしらの処置を施して、理解と制御の術を刻み込んだらしい――だから、嘘ではないのだ。賭けなのは、本当に敵がいるかどうかである。

 そして、それが人でないことを。

 賭ける。

「ソート族の動きはどうか?」

 ディオが、部下に話しかける。

「今のところ、動きはありません。三日前の戦闘以来、こちらの様子を窺っているように見えますが……」

「こいつをソート族の前に捨ててこい。そうだな……適当に価値ありそうなものをつけてやれ。無手ではやつらの興味はひけん」

「わりと怖いこと言ってませんか?」

 思わず問うと、ディオは簡単に頷いた。

「そうだが? 不満か?」

「俺はあなたの部下ではありません。文句を言うくらいはいいはずです」

「殲滅できるんだろう?」

「できますけど……」

「ならば、やれ――俺は自分の発言の責任も取れない、しかも帝国の民でもない者を生かしてやるほど善人じゃない」

「逆に言えば」

 慎重に。自分に言い聞かせて、続ける。

「責任が取れるなら、生かしてくれると?」

「お前が帝国の益になる男ならな。逃げ出してもいいぞ?」

 それはある種の優しさだったのだろうが。苦笑する。

「やりますよ。他に生きていく術はないんです」

 俺の持つ力でやれること。それを活用すれば、この言葉しか通じない世界でも生きるかもしれない。ただし、人間らしさは投げ捨てることになるが――力とは所詮、力でしかなく、生きていくための知恵ではないのだから。

 試されている。それは、間違いなかった。

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