第235話 恋愛会話 in 美容室

 俺はノベジマに、新藤君弘に関する事実を問いたださなければならない。


 仮に、ノベジマが真実を隠しているとすれば、俺がこれから挑もうとしているのは真剣勝負という他ない。俺は、お祖父ちゃんくらいの年かさの男から情報を引き出さなければならない……。


 そもそも、ノベジマが語ったことは事実なのか。


 色々考えるべき事はある。やるべきことも。


 だが、取り敢えず喫緊の問題は――


「この頃、恵の様子がおかしいねん」


 ということなのである。


 ここは桜庭高校近くの美容室。今、俺は最早定例となった業後の西原さんよるカットのために鏡の前に座っている所だった。


 既に正月の雰囲気も遠くなった二月の初旬である。この頃人間観察部は三月頭に控えているテストの対策で自習室のような有様になっているし。中でも、郁の勉強への集中っぷりは凄い。もしかすれば、今度のテストは俺よりも良い点を取るかも知れない。


 俺は正直……勉強に身が入っていない。


「それは……まあ。うちの部員が学校を辞めることになったからかな」


 西原さんは、俺の襟足に指を通しながら心配そうに鋏をちゃきちゃきと鳴らす。


「ストーカー部の? ロックな生き方しとんなあ。郁ちゃんちゃうやろ?」


「違いますよ。部長です。ちょっと家庭の事情が色々複雑で……。彼女、東海道先生の担当クラスの生徒でもあったんで、ショックなんじゃないですかね。俺だって、がっくり来てますよ、結構」


 この頃の甲塚は、部室での勉強はそこそこに東海道先生が持ってきたポスターセッションの準備を始めているようだ。と言ってもまだまだ草稿を纏めている段階で、実際の取材は二度目以降開催されていない。


 ハッキリとは言っていないが、どうも甲塚が学校を辞めるのは四月の進学するタイミングなのではないかという気がしている。ポスターセッションは夏に行われる筈なので、彼女は人間観察部の後処理――俺たちの今後のために、後始末をしているという感じだ。


「お前はともかく、恵には元気出して貰わな困る。最近の恵の演奏は正直聴いてられんわ。なんとか元気付けろ!」

 

 西原さんは乱暴にそう言いつけて、俺の首のツボを親指でぐいぐい押してきた。


「そうしたいのは山々ですけど、実際どうにもできないですよ。部長の退学をどうにかしようとしてきたんですが、結局どうにもできなかったんだから。はあ――」


「諦めるなよ。今度のライブ、郁ちゃん連れて来るんやろ。……せや! その部長も誘ったらええやん」


「え。甲塚をライブに?」


 元々、郁とのデートでライブを見に行くっていう話だったんだけど……。


 でも、東海道先生を元気付けるという目線で言えば、それは名案なように思えた。旅立つ教え子が来るということなら、先生も練習に気合いが入るのでは無いだろうか。


 ただし、その案を採用するには郁の了解がいるかな。流石に一人で決める話じゃないだろう。


 そんなことを考えていたら、鏡に映る西原さんの視線がふっと出入り口の方に向いた。もうとっくに店は閉まっている筈なので客が来る筈も無い。すぐに鏡に映った俺の顔に向き直り、今度はこんなことを聞いてくる。


「ところで、郁ちゃんとはどうなっとる?」


「ん――どうって?」


「もう付き合い初めて一月経ってるやんけ。なんか、面白いことないんかい」


 カット中じゃなければ、俺は大いに首を捻っているところだろう。


 郁と付き合い始めてもう一ヶ月! 時が経つのは早いもんだ。


 そう言われれば、付き合い始めの一ヶ月なんてエピソードに溢れる期間な気がするが……郁との思い出は……おっぱいを揉まれたことくらいしか思い浮かばないな……。いや、冷静に考えればタコパをしたり、渋谷のイベントに参加したりとかはあるんだけどさ。


 西原さんはまた視線を横に逸らして、ニヤニヤし始めた。


「ほらほら、西原お姉さんに青春活動を報告せえ! タダで切って貰ってるんやから、義務を果たしいや。デートとかは何処いくん? 高校生だから、やっぱ宮下パークとかか!」


 全くの偶然に違いないが、西原さんから「宮下」という名前が出てきたんで思考がノベジマの方に飛びかけた。


「……宮下パークって、そんなとこ行って何するんですか?」


「延々と駄弁ったり、美味しいモン食べたりとか、色々あるやろ。そういうのがええやんけ……ほあ。ええなあ、高校生、青春……」


 自分で妄想しながら勝手にうっとりしてるし。女子校時代の西原さんは、一体どういう学生生活を送っていたのか。


 ところで、カットもぼちぼち終わりに差し掛かっている筈なのに、何でこの人はさっきから手を止めているんだ。俺が肩を揉む時間を、喋りで稼ごうという腹だろうか。


「あの辺りの話は聞いてますよ。ナンパの有名スポットらしいじゃないですか。彼女連れてそんなとこ行きたくないですよ、俺」


「え。あたし、ナンパされたことない……」


 そりゃあんたがチャラい男みたいな格好してるからだろ。


「……。西原さんが言ってるのって、朝のファミレスで勉強したり、行ったことないラーメン屋に行ったりとか、そういうことですか?」


「う、うん。そういうやつ、そういうやつ。えへへっ。聞かしてえや~」


 西原さんは玩具をねだる子供のように俺の両肩を擦って笑う。もう鋏もしまっちゃってるんだけど、もしかして俺、恋バナするためだけにここに座らせられてんのか?


「それデートとは言わないって。日常! 日常! 付き合う前から、そういうのはやってます!」


「へっ?」


「西原さん。あんまり俺を子供扱いしないでくださいよ。もうすぐ高校二年ですよ?」


「……いや、あたしが高校に聞いたデートの話ってそんなんだったし……最近の高校生、ませてんな……。まさか、キスとかしてへんよな?」


 鏡に映る俺の顔が、分かりやすく赤くなってしまった。それを見てか、縦に並んでいる西原さんの口がゆっくりと、大きく開いていく。それで、また出入り口の方に視線が……何かと思って首を捻っても、別に誰かが立っているわけでもない。……もしかして、職業病?


「うわっ!! お前、いつも眠そうな顔して、やることやってんのかい! やらしっ!!」


「や、やることはやってないですよ……キスしたのも、最初の一回切りだし」


「嘘吐け。男子高校生なんて、性欲に足が生えたようなもんやで。チューの一回で済むわけないやろ」


 鏡に映る俺の顔がますます赤くなってきたんで、目を瞑って一旦冷静になろうと試みた。


 駄目だ。額から汗が伝って、鼻の横をくすぐり始める。


 本当に最初のキス以上のことはしていないのに、これでは図星みたいじゃないか。


「性欲についちゃ否定しませんが、ほ、本当に、郁とは……何もしてないですっ」


 暗闇の中で、西原さんの溜息が聞こえた。


「あー、……何もしてないって、それはそれでどうなん?」


「俺たち一応付き合ってはいるけど、郁は学年一番人気の美少女なんですよ? しかも素手でワニを締め上げるくらいのフィジカル。口が裂けても対等な関係とは言えないですよ」


「尻に敷かれてるっちゅうわけか」

 

「なにより、郁に嫌われるのが……怖いんで。自分からじゃ、中々」

 

「ふーん。……ん? じゃあ、最初のキスって、もしかして……?」


「そうですよ。郁から、してきたんです」


「あっ! うわ! 郁ちゃんが! げえへっ! えへぇっ!!」


 なんか、見ないでも西原さんがキモい顔で笑っているのが想像付くな……。と、俺の肩が突然ドカンと撲たれたんで西原さんが回し蹴りでもしたのかと思った。だが、目を開くと、俺の横に真っ赤な顔の郁が立っているではないか。


「……!?」


 郁がいる!?

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