第234話 画竜点睛を欠く

「君弘が、亡くなったですって?……」


 理事長には、我が子のことながらこの場では悲しみよりも衝撃の方が強く響いたらしかった。


 これが俺の立場であれば、肉親の死が大して親しくないお婆さんの口から急に告げられるようなものだろうか。そんなことがあれば、きっと俺も今の理事長のように面喰らった顔をするに違いない。


「態々そんなことを伝えに来たってことは、よほど調査に自信があるのでしょうね」


「はい。掻い摘まんで説明しますと、甲塚の父は渋谷でホームレスをしている間、共同生活とでも言うべきか、一緒に行動している人間がいたようなんです。……理事長は、その辺り知っていましたか?」


 理事長はテーブルの引き出しからタバコを取り出して、サッと火を付けた。


「あまり多くのことは。当時は宮下公園を拠点にしていた、ということは探偵の調査で分かっていたけどね。……共同生活者。そんな人がいるなんて報告は無かったわ――私が依頼したのは、あくまで君弘の行方ですからね。調査が及ばなかったか、報告に値しないと考えたのでしょう」


「色々ありまして、その共同生活者に面会することができました。その男は今も渋谷のとある界隈でホームレスをしていて、どうも……村長と言うか、ホームレスの長みたいな感じで周囲から尊敬されているようでしたよ。頭が良さそうで」


「根無し草のインテリというわけね。そういう人は、昔からいたわね」


「はあ」


「……それで、その人が、君弘は既に亡くなっていると。そう言うわけですか」


「そういうわけです」


 理事長はタバコの先を灰皿に落として、思慮深げにゆっくりとした吸い方をし始めた。手許にも目許にもアルコールの気配は無い。真剣に考え事をするときはタバコをお供にする、古いタイプの人間なんだろう。見たまんまだが。


「私が気がかりなのはね」と、煙を天井に吐き出してから質疑を続けてくる。「そういった人たちが、きちんとした思考力を持っているのか、ということなのよ」


「はい」


「佐竹君にはその人が頭の良さそうな人と映ったかも知れない。けれどね……長く路上で生活をしていると、段々と頭に靄が掛かってくると言うか、昔の記憶が曖昧になってくることがあるようなの。私もボランティア活動で何度かそういう方々と関わったことがあるから――その、あなたが話を聞いたという人は、本当に君弘と生活を共にした人で間違い無いのかしら?」


 この質問は想定していた。


「その男は、新藤先生の名前を知っていたんです。ああ、理事長のことではなくて、甲塚の父の、ですよ。桜庭で教師をしていたということも、知っていました」


「……なるほど。名前をね……」


 ここで俺は意外に思った。これほどの状況証拠が揃っていながら、理事長はまだ俺が突き止めた真実を信用するつもりは無いらしい。慎重にタバコの煙を吐くことを繰り返して、他人事のようにこの話を反芻しているようだ。


 ここで、家の裏手に続く扉から甲塚が姿を見せた。丁度話の切れ目で現れてくれたのでホッとした。


「お祖母ちゃん。裏の冷蔵庫探したけど、ビール無いよ」


「……あら? それじゃあ、切らしてるのかしら」


 俺の目には理事長の演技は嘘くさく見えた。が、甲塚はふっと笑ってこう言ってくる。


「お祖母ちゃんがビールを切らすわけない。地下の倉庫にあるんでしょ。取ってくるわ」


「そう? 悪いわねえ」


 それで、また甲塚は軽い足取りで扉の向こうに姿を消した。


 ……って、待てい。裏手の冷蔵庫に、地下の倉庫だと? この家、なんか変……。


 ま、それは置いといて。


「理事長はその男の話も、何かの間違いかも知れないと思っているんでしょう。無慈悲なことを言うようですが、対面した俺の直感ですとその男はかなりハッキリした思考力を持っています。確かに高齢ではありますけど」


 そうだ。あの男は対面して初っぱなからケンドーとかいうホームレスのことを、自分よりも若いアル中に教えていたではないか。ケンドーが病院送りになったことについちゃごく最近のことだけど、身の回りの出来事はかなり明瞭に記憶しているのではないか。


 ノベジマか……。


 考えてもみれば、あの男はどういう人間なんだろう。ただ者じゃ無い知性的な雰囲気を漂わせていたが、どうして新藤君弘はあの男と連むようになったのか――


「それで、佐竹君のお話はこれで終わりかしら」


「……え?」


「他に、何か無いの? 君弘の死を裏付けるようなことは。その方が、かなりしっかりした人間だということは分かったけど」


「…………」


「そういうことなら、それで良いのよ。調査、ご苦労様でした」


「ちょ――ちょっと、待って下さいよ。何ですか、その反応」


「何でもないわよ。高校生の郊外活動としては、頑張ったじゃないの。……少々詰めが甘いようだけど。キコちゃん、普段そういうこと言わないのかしら?」


「な。……」


 俺の、詰めが甘いだと?


 同じようなことを、甲塚には死ぬほど言われたような気がする、けど。


「俺の言うことは、信じるに値しないってことですか? 何で!?」


「そこまでは言っていないでしょう。佐竹君が嘘を付いているとも思わないし、あなたがキコちゃんのことを思って、できうる限りの努力をしてくれたことは分かりました。そんなあなたが、苦しい考えで君弘が亡くなっていると結論を付けたことも、きちんと理解しましたよ」


 面と向かって甲塚への好意を指摘されて、俺は急に恥ずかしくなった。


「い、いや。何も、そう甲塚のことばかり考えてたわけじゃ……」


「だけど、私は君弘が死んだとは結論付けられないと思うわね」


「ど、どうしてですか!」



「え。――」


「佐竹君。あなたは、ようやく見出した一つの結論に囚われています。真実というものは、一つの結論を違う側面から検証して、始めて真実と言えるのですよ。あなたは実際に君弘の死亡証明を確認したの? さらに言えば――その、君弘の共同生活者」理事長は一つ息を吐いて、元教師らしい理性のある言い含め方をしてきた。「その人が、突然目の前に顕れた高校生に嘘を吐いている可能性は、考えなかった?」


「……あ……。か……」


 俺の額から、ぼわっと汗が噴き出てくる。


 ノベジマが俺に嘘を吐いている可能性。そんなの頭の端にも登らなかった。だって、今まで出会ったホームレスは、大体がおかしくはあれど素直な連中だったし。それにノベジマを見つけ出すのは苦労したんだ。……いや、あんなに苦労したんだから、向こうは当然のように真実を語るものだと俺は思い込んでいた、のか。


「か、考えて……いませんでした……俺は……そうか……嘘……」


 ショックを覚えたのは、ノベジマが嘘を吐いたという仮説が、有り得る話だと直感したから。


 恥辱を覚えたのは、理事長の俺に対する指摘が尤もだったから。


 真実は、ただ一方の視点だけでは成立し得ない。


 ノベジマが、新藤君弘は死んだと言った。たったそれだけでそれが真実だと思い込むのは、なんと平面的な思考法なんだろうか。


 俺はノベジマについて、周辺の人間から情報を集めるべきだった。ノベジマがどういう人間かを見極める努力をするべきだった。ノベジマの心の内を覗くべきだった。――俺は……。


「お祖母ちゃん、ビール持ってきたよ。冷蔵庫に入れておくからね」


 いつの間にか、台所の前にダースのビールを抱えた甲塚が立っていた。


「あら。ありがとうね、キコちゃん」


「こっちこそ、色々話聞いてくれて……あ、ありがと」


「良いのよ。可愛い孫娘だもの。ね? 佐竹君」


「……は」


 突然話を振られても、衝撃が残っていて口が回らない。


「蓮。そろそろ私は家に帰るわよ」


「あ、おお。うん……ん?」


「佐竹君。キコちゃんの送り迎えをお願い」


 思考が一歩遅れながらも、理事長の言っていることは理解できた。辛うじて頷くと、甲塚はちらりと俺の目を見て、慌てたように顔の前で手を振る。

 

「お、送り迎えなんていらない。家近いもん」


「私に心配かけて、寝不足にさせるつもりなの?」


「……」バツ悪そうに唇をむぐむぐ動かして、ちらし寿司のパックを入れた袋を俺に突き出してくる。「ほら。……早く行くわよ」


 *


 今日の夜風は、一月の終わりにしては暖かく心地が良い。二人の行き道に、ちらし寿司が入った袋の擦れる音がお供してくる。


 ゆっくり隣を歩く甲塚は、胸いっぱいに息を吸い込んで、気持ちよさそうに吐き出した。


「お疲れみたいだな」


「うん……」


「東海道先生泣かせたの、悪いと思ってるんだろ」


「……うるさいわね」急に道の真ん中で立ち止まり、腕を組んで俺を睨んできた。「それで、結局私に何の用だったのよ」


「あ、用か。うん。えーと……」


 俺は少しその場を歩き回ってから、甲塚に向き直った。


「甲塚――」


「何よ」


「俺、……俺、間違ってた……」


「……何かあったの?」


「自分の詰めの甘さを痛感したって話なんだけど。俺にはどうも、それが結論だと一度考えたら、思い込みすぎる悪い癖があるみたいだ。……それで、ちょっと、痛い目をみたというか」


「……そうなんだ」


「俺は随分想像力があるもんだと自分では思っていたけど、全然違ったんだ。想像力ってのは、『ゼロ』から『一』を作りだす力だけじゃなくてさ――」多分、目の前の甲塚には俺の喋っている内容がちっとも理解できないんだろう。だが、それでも俺の喋ることに黙って頷いてくれるので、何だか救われる気分がした。「既に沢山ある『一』を認識して、研究して、理解して、世界の隙間に存在するゼロの部分を見つける。そういうのも、想像力の大事な部分だったんだな、と。俺って、馬鹿だ……ほんと」


「――要するに。乳首の位置に関しては再考の余地を見出したってわけね」


「え? 乳首?」


 こいつ……。


 まだ乳首の話を引っ張ってくるのかよ。――違うな。多分甲塚は、本気で俺が乳首の話をしているのだと思っている。彼女にとっての俺のイメージって、一体どういう……。


 ……。


 あれ? 言われて見れば、乳首の話と甲塚の父親の話が、リンクしているような……。本物の乳首を描くためには、画像だけでなくリアルの乳首を観察しなければならない。新藤君弘の行方を捜すには、ノベジマの話を鵜呑みにするのではなくその話の真偽を疑わなければならなかった。


「ん? 乳首の話じゃないの?」


「いや、遠からずだが……」


「何なの? ハッキリ言って――」


 甲塚の二の腕をそっと掴むと、彼女の体が分かりやすく跳ねた。胸を潰すよう体を縮める。


「お前の父さん、きっと探すからな。……今度こそは――」


「……。待った。乳首の話と、パパの話が遠からずってどういうこと?」


「画竜点睛を欠いたってことだ。この場合は、乳首」


「……ごめん、意味分からない」


「俺も」


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明日は更新をお休みします。

再開は5/8になります。

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