第233話 ちらし寿司をパックに詰める男
新藤理事長は、アポもなしにやってきた不躾な客が俺だと分かっていたのだろうか。甲塚の後に続いて居間に入ると、「はいはい、はいはい」と、俺に驚く様子も無く大きな平皿を運んでいるところだった。鮮やかな赤い色味とアクセントになる緑色が、黄色の絨毯に乗っかっている。近くに寄るとほのかに酢の香りが漂って……ちらし寿司か。それも、かなり本格的な。
「これ……二人で食べるつもりで?」
にしては量が多い。普通こういうのって親戚が集まった場でみんなで食べるようなもんだよな。甲塚の母親がいるわけでもないし。
「本当なら東海道先生にもご一緒して頂こうと思っていたの」甲塚に尋ねたつもりなんだが、新藤理事長が俺の質問に答えた。「あの人、良いところのお生まれでしょう。そういう人が好きな食べ物よく分からないから、取り敢えずちらし寿司にしたんだけど」
「はあ。……先生、帰っちゃいましたけど」
「そうなのよね」理事長はえっちらほっちらダイニングチェアに腰を落ち着かせると、すぐさまコップに瓶のビールを注ぎ始めた。「なんだか、そんな雰囲気じゃ無くなっちゃったみたいだわ。それに、あのスーツ……。今時、若い人は気軽に家に呼べないのね。くくく……」
それからキュッと一息でビールを飲み干すと、もう一杯を注ぎながら、「職場の人との集まりなんて、昔はもっと~」的な昔話を一方的に捲し立ててくる。だが、東海道先生や西原さんのように滅茶苦茶酔っ払っているというわけでもないようだ。単純に、相手に耳さえあれば話相手としては構わないという感じか。
俺が立ったまま理事長の話を聞いている横で、甲塚は粛々と台所から食器を運ぶ。……いつもは全然こういう仕事しないくせに……。
「蓮、いつまでも立ってないで座りなよ」
「あ、うん」
「それにしても、最近の若い子って、本当に子供みたいだわ。まさか泣き出すとは思わなかったわよ。あの子、何歳だったかしら?」
「二十六。……いや、もう二十七でしたかね。学校の教師陣で一番若いんでしたっけ」
「私の時代の二十七歳なんて、もう一人前の大人よ。子供がいるのも普通だったしね。人前で泣く人なんていなかったのよ。……今時の大人は、泣くのねえ」
「蓮、座りなさいってば。邪魔」
甲塚に怒られたんで椅子に座ろうとしたら、すかさず理事長が俺に喋りかけてくるんで、また立ったまま傾聴する形になってしまった。
「東海道先生、恋人はいないのかしら……? 私の時代では、ああいう家柄の子は大抵子供のころからフィアンセがいて、大学時代には婚姻してね――」
困り果てた顔を甲塚に向けると、にやにや笑いながら俺の背中を押してきた。
「良いから座りなさい。あんた、お祖母ちゃんにからかわれてるのよ」
「ええっ?」
驚いて理事長の顔を見ると、口端が上がっている。……そういえば、この間も空の如雨露を向けられてビビったことがあった。もしかして、悪戯好きなのか? 偉い人がちょけても誰もツッコめないだろ。厄介な……。
ところで、前回鍋を食べたのはテレビの前の低い卓だったよな。今回は台所近くのダイニングテーブルで食事をするようだ。何でかと甲塚に聞いてみたら、「今回は鍋じゃないわよ?」と、さも当然みたいな感じで言われた。よく分からない文化だ。
*
突発的に開催された新藤家の食事は、ほぼ無言で終わった。
一応理事長が俺に近況を尋ねたりもしたんだが、それも長い話にはならない。暫く経って驚いたが、俺が突然やってきた理由にすら話が向けられることはなかった。
学校を辞める甲塚に気を遣っているのか、気を遣って欲しいのか、気を遣って欲しくないのか、気を遣わせないようにしているのか……。
結局、甲塚と理事長が庭の植物についてあれこれと話を交わすのを横に、ひたすら料理を食べる時間が流れていく。
……まあ、いいけどな。そもそも俺だって食事中に会話をするのが苦手なんだし。
そんなことを考えながら黙々と食事を進めていると、いつの間にか食事が終わる雰囲気になってしまった。俺はもう腹が一杯だし、理事長は暫く前からビールを飲んでいるだけだし、甲塚は余ったちらし寿司をパックに詰めてるし。
これからどうしよう。甲塚が離席してくれれば助かるんだが、どう考えてもそんな理由は見当たらないし。
……しょうがない。出直すしかないな。
平日に理事長の家を訪ねるのは無理だけど、運が良ければ来週末辺りには――
「キコちゃん。ちょっと頼まれてくれるかしら」
「何?」
理事長はビールの瓶を振って言った。
「ビール無くなっちゃったわ。裏の冷蔵庫から瓶持ってきてくれないかしら」
「うん。分かった」甲塚は気軽に呟くと、空のパックを俺に寄越してくる。「蓮はこっちやってて。これ、あんたのお土産分なんだからね」
「……あ。そうだったの? なんか悪いな……」
「あんた、休日に碌な物食べてないでしょ。傍から見ていてニキビができそうなのよ。たまにはちゃんと料理しなさい」
「う、うるさいなあ」
甲塚が去ってから、
「役得ね。佐竹君」と、新藤理事長が意味深なことを言ってきた。
「なんですか?」
「ちらし寿司、キコちゃんの手作りよ。正確には、私との共同制作ですけれど」
「……!!」俺はまじまじとパックに詰めているちらし寿司を眺めた。どう見ても立派なちらし寿司である。多分一番手間が掛かるのは細切れながらもふわふわな卵焼きだろうけど。「甲塚が料理を?」
「するのよ。たまにね。今日は、お世話になった先生が来るっていうからね。……まあその先生は、泣いて帰っちゃったけど。でも、佐竹君が来てくれて良かったわ」
「東海道先生が泣いて帰ったっていうのはやっぱり……」
「ショックだったみたいね。担任を務めたクラスの生徒が退学する、っていうのは、東海道先生にとって初めての経験なのでしょう。それに、部活でも色々あったんでしょう。彼女のせいじゃないということは、私の口からも再三伝えたのですけれど」
「……まあ、……ですね……先生からすれば甲塚は……利害関係であり、師弟関係であり、……ライバル……?」
「まあ、良いわ。それで、何か話があるんでしょ?」
「ああ。……ええ。やっぱり分かりますか」
「あれだけ妙な態度だとね。でも、キコちゃんの件なら、見ての通り話は付いているのよ。全く……おかしな話だわ。もしかしたら、桜庭高校は私の家系を呪っているのかもしれないわね」
いやいや、あんたのおせっかいが元凶だろ――と、心の中でツッコんでから俺は言った。
「どうもそんな感じですね。けど、そっちの件じゃないんですよ。……また、よその家庭事情に首を突っ込むようで恐縮なんですけど」
「良いから早く言いなさい。キコちゃんの前では話せないんでしょう。そろそろ戻ってくるわよ」
「……甲塚の、父のことなんですが」
「ええ」
「甲塚から聞いているかと思いますが、彼の行方を調査してたんです」
理事長は鼻で笑って顎を掻いた。
「くくく。それは聞いていますけどね。高校生の郊外活動でやる調査なんかじゃ、大した成果は出ないでしょう。探偵のような調査業務っていうのは、然るべき人脈や技術が身に付いていないといけないわ。でも良いのよ、それでも。キコちゃんの気がそれで済むのならね」
「それが、成果が出たんですよ。高校生の校外活動でやる調査でも」
俺がそう言った瞬間、理事長の瞳に様々な思考の影が蠢いた気がした。
「……それで、君弘は、今どこにいるの?」
「亡くなったそうです」
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