第232話 最終報告へと

 諸々の都合から、俺は新藤君弘の死を甲塚に隠匿しなければならなくなった。


 しかし、どうしても真実を伝えなければならない相手が一人いる。甲塚の祖母であり、新藤君弘の母である新藤理事長だ。思えば新藤君弘の謎を追うと決めてからは一度も顔を合わせていないし……。


 もしかすれば、いつの日か彼女の口から甲塚に真実が語られることがあるかもしれない。こう言うと責任の放棄に聞こえるかも知れないが、このままだと将来において甲塚が父親の死を知る機会が二度と訪れない可能性があるからな。


 本当なら、俺の口から伝えるべきだというのは分かってるんだけど。……俺は、残念なことに無力な一介の高校生に過ぎない。どう考えても、裁量には限りがあるんだ。


 寒気の増した夕方の街を、俺は桜庭高校正門から新藤理事長の家へと歩いた。この時間帯は部活の生徒も帰り支度はしているが、出てくるにはまだ早い時間なんだろう。非常に静かな行き道で、何とはなしに、俺の思いつきに協力してくれた面々の顔を思い出しながら靴で地面を擦り続けた。


 仮に高校生が主人公のミステリー映画があるとしたら、ここらでエンディングテーマが流れる頃合いだろうか。一人で道を歩く俺から段々とカメラが引いていって、道路向こうのアングルからロングショットになった画角で固定。それから、俺がゆっくりゆっくり左方向――美容室方面へフレームアウトしていく。


 オーディエンスは俺と郁の未来を想像し、思わぬ再登場を果たしたコーコのファン(いるのか?)は彼女に対する応援を胸で叫ぶ。……甲塚にんも。きっと、今どき学校から去る彼女たちにはそういう暖かな声援があるはずだ。


 現実の物語の幕引きなんて、こんなもんだろう。コーコのことや、ショウタロウと美取、甲塚の未来、俺と郁の残務処理みたいな学園生活、東海道先生のお引っ越し。語るべき物語はまだあるような気がするが、物語というのは得てして焦げ付いたような喪失感と、救われ無さを観客の心に残した時点で良い去り際なんじゃないかな。


 新藤君弘は死んでいた。甲塚の過去を変えられる筈の人間は、いなかった。


 救いがあるとすれば、甲塚には未来があること。未来の何処かの時点では父親よりも代えがたい存在が隣に立っているかもしれない。……なんか、恋愛映画の負けヒロインみたいな結末だけど、俺にはそれがありがたい。本心で。


 ――と、存在もしない俺の人生を見ている第三者に語るモノローグを考えてはみたが、現実として、俺はこれから新藤理事長の家に一人で乗り込むわけである。……重大な事実を抱えて。そういうの、想像できますか? これで緊張しない奴がいるとしたら馬鹿ですよ。あの人、苦手だし。


 現実逃避はここら辺までにしようか。草木が茂る家の生け垣が見えてきた。


 ああ、胃がキリキリしてきたぞ。くそ……。


 *


「あれ……。あんた、なんでこっち来てんの?」


 で、インターホンを鳴らして出てきたのが甲塚なんだから、現実というのは分からないよな。これじゃあ、こっそり理事長に真実を伝える俺の計画が台無しじゃないか。少しくらい、俺の思い通りに事態が転がる瞬間があって欲しいもんだ。


「あー。えー……と。こ、甲塚に、会いに、さあ……」

 

「ああ。ママがこっち来てるって言ったの?」甲塚は少し困った表情で居間の方を振り向いた。「なんか用事? ちょっと今立て込んでてね」


「うーんと、別に用事ってことも――」


 その時、居間に続く扉が開いてだだっ広い玄関に一人の女性が出てきた。目許から流れる涙をレースのハンカチで抑えている――というか、あれって……。


「東海道先生!?」


「うう、う……う?」先生は内股で立ち止まって俺に目をとめると、俺の視線に急かされたようにバンプスを履いて甲塚の横に立った。「佐竹君。嫌だわ、こんな顔……」と、涙で崩れた顔をハンカチで隠す。


 俺が一瞬彼女が東海道先生であると認識できなかったのは無理もない。今日の彼女は完全にカジュアルスーツ一色といったコーディネートで、フジッリ(ぐるぐるしたパスタだ)みたいな髪の毛すらも、上手に折り込んですっきりしたシルエットになっているのだ。


 だが、


「ご、ごきげんよう」――と、身に染みついた口調は健在らしい。


「ごきげんよう。……?」


 東海道先生は俺の視線を意に介さず、玄関扉を開いた甲塚の腕をくぐって外に出てきた。そのまま、逃げるように走り去って行く。


「今、用事終わったみたい」


「……そうみたい、だな」


 なんなんだろう。


 甲塚と新藤理事長に、東海道先生……。


 接点と言えば桜庭高校。東海道先生は甲塚の担任であり、理事長は東海道先生のかなり上の上司であり、さらに理事長は甲塚を桜庭高校に入学させた張本人。そして、東海道先生の涙。


「……なるほどね」


「何よ」


「何があったのか、大体事情は分かったよ。……学校辞めること、言ったんだな?」


「まあね」


「東海道先生を、わざわざ呼んで?」


「うん」


「労働基準法……休日業務……」


「馬鹿。これは仕事じゃない。今後のこと、一足先に耳に入れておこうと思って呼んだだけよ。あいつのこと、嫌いだけど――筋ってあるでしょ」


 俺は思わず唇をぶるぶる震わせて驚いた。


「お前が筋とは。……しかも、東海道先生に!」


「面倒掛けたとは思ってるんだから。担任に、顧問……。お祖母ちゃんには元々相談してたから、東海道のフォローもお願いしてさ。まあ、まさか泣くとは思わなかったけどね」


 確かに、担任件顧問をしている部活の生徒が学校を去るとなったら先生的にはがっくりくるかも知れない。だけど、そういうのは抜きにして、東海道先生は涙を流す人じゃないかと俺は思う。


 その時、居間の方から「キコちゃーん、お客さんなの?」と理事長の声が聞こえてきた。甲塚はそれに「うん! 友達!」と答える。


「……今日は、ここで晩飯か?」


「うん。あ、ちょっと待って」


 甲塚はパタパタと居間に入って行くと、理事長と短い会話をしてまた玄関に出てきた。


「あんたも食べていけば?」


「一応聞くけど、それって俺に選択の余地ある?」


「あるわけないでしょ。……と、言いたい所だけどあるわよ、普通に。あんたの親がもう用意しているんなら――」


「今日、親いないんだ」


「なら決まりね。お祖母ちゃーん! 食器もう一セット!」

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