第230話 地球と月

 家の前で顔を合わせた郁は、気合いの入った格好をしていた。


 衣服自体はグレーのトップスに膝丈の黒ワンピースと、宮島ガールズ色を前面に出している感じだ。しかし、靴は見たことがない黒のレザーブーツだし、何より髪の毛が――いつも美取がしているような編み込み方をしている。いつもは肩までの髪の毛をそのままにしているか、ポニーテールにしているかくらいだというのに……。


 物珍しさに編み込みの部分を触ってみると、郁は気持ち良さそうに俺の手に顔を寄せてきた。


「ふっふっふ。良いでしょ、これ。この間、飯島ちゃんに教えて貰ったの」

 

「不器用な郁が? よくできたな」


「蓮から誘ってくるなんて珍しいから、ちょっと本気出しちゃった。まあ、ママに手伝って貰ったんだけどね」


「え、おばさんが?……うおっ!」


 宮島邸の玄関を見やると、そこでは細く開いた隙間からおばさんが目をかっ開いて覗いているのだった。


 流石に向こうの親に見られてたんじゃいたたまれないので、速やかに宮島邸の前から移動を始める。


「前回のタコパで薄々気付いていたけど、やっぱり宮島のおばさんおじさんは俺たちの関係に気付いてるっぽいな。もしかして、言ったのか?」


「え? 言わないよ、そんなこと」郁は顔の前で手を振る。「今日だって蓮とデートするから、髪の毛手伝ってって言っただけだし」


「デートって……。それ、殆ど言ってるようなもんだよな。別に良いけど、なんか、外堀から埋められてるみたいで怖いんだよ」


 自分で言ってから、いや、俺たちに必要なのはそういう外堀を埋める作業なのではないかと思い直した。そういう逃げ道があるから、俺は甲塚に曖昧な感情を持ってしまうのでは無いか。


 外堀どころか高い塀でも築いて、事実を受け入れてしまえば俺の気持ちも安定するのかも。


 俺の心配を他所に、郁はニヤニヤ笑いながら後ろ歩きになる。


「あれ~? 『別に良い』って? 蓮って私達の関係秘密にしたいんじゃなかったっけ?」


 この様子を見るに、郁の方も確信犯のようである。誤用かどうかはおいといて。


「言ったけど、それ学校での話だから。でも、もう学校でも俺たちのこと話して良いよ、別に」


「ほんとに!?」


「うん。なんか、女子の間ではもう噂されてるみたいだしな。あと、いつまでも校舎裏で飯を食べるのも寒いし」


「ん。確かに。……ふっふふ。私達も、いよいよメジャーデビューだ」


 問題は、俺が多数の男子のヘイトを惹いて、否が応でも注目を集めることだろうか。……それも、いいだろう。それも、学校生活というものかもしれない。


 甲塚は、俺にハッキリと別れの言葉を言った。もう、これ以上甲塚を学校に引き留める手筈は無い。


 俺たちは、甲塚がいなくなった後の学校生活を、過ごさなければならない。


 郁は見るからに上機嫌になって、殆どスキップするような足取りで俺の前を歩いて行く。


「それにしても、蓮から誘ってくるなんて珍しい! なんか、舞い上がっちゃうな」


「……え? いつも誘ってるじゃん」


「蓮が誘うのなんて、殆どラーメンとかじゃない。今日みたいに朝から街に……なんて、全然無いじゃん! ていうか、待って。今日はどうする? カラオケ行く? ゲーセンとかにする? 映画とか美術館とかでも良いけど」


 一応、俺の足は昨晩調べたイベント会場に向かって歩いているつもりではある。渋谷という街は年柄年中、本当に毎日毎日様々なイベントが開催されていて、たまには高校生でも参加できるような催しをやっていることもあるのだ。俺の直感だと、今回の行き先は郁の感性に刺さるチョイスだと思うんだが、一応聞いてみることにした。


「これがギャルゲーだとすれば、どれが正解とかあるわけ?」


「あはははっ! それって、私が攻略対象ってこと!? なんか新鮮! ていうか、それ私に聞いちゃったらゲームにならないじゃん!」


「良いから教えてくれよ。……あ。郁のことだから、スポーツ関連――スポーツセンターとかだったか? ちょっと頭から抜けてたな」


「スポーツは、いいや」


「……ん?」


 予想外にも郁が冷えた声色で否定してきたので、少し驚いた。


「お前、スポーツとか好きじゃないの? いっつも筋トレしてるじゃん」


「別にスポーツ自体は好きだけど……。うん、もう、中学の時に満足しちゃったから。今はゲームが一番」


 中学時代?


 中学時代の郁の学生生活というのは、俺にとっては完全に未知の領域である。一応通っている学校は同じだったけど、登下校は別だったし、クラスが被ることも無かったし、俺は俺で、その頃から絵のことに夢中だったから……。


 *


 スタッフにチケットを提示して入った会場は、大体子供から二十代くらいまでの若者で一杯になっていた。案の定カップルの客が多く、それ以外には家族連れや、女子で固まったグループも来ているらしい。ただし、男性だけのグループは非常に少数か。


 とても暗いので、郁と手を繋いで中の方に歩いて行くと、間も無くして幾つもの光の柱が頭上を駆け抜け始めた。とても指向性の強いスポットライトのようで、それが、流れ始めた背景音楽と共に幾何学的な光景を彩っていく。


「うわーっ。すごいすごい! 蓮! ほら!」


 郁は、すぐ上を駆け抜ける光の柱に手を翳して、はしゃぎ始めた。周囲の客も同じように手を挙げては掴みもできない光を捉えようとして笑っている。


 取り敢えず、デートの行き先としては間違いじゃなかったようなのでホッとした。


「お、おお……凄いな」


 俺の返答は、周囲の客の歓声でかき消された。郁が片耳を俺の口元に寄せてきたので、「凄いな!」と言い直す。


 名前は忘れたが、何でも新進気鋭で注目を集めるクリエイターグループが主催する『光の遊園地』という体験型のイベントらしい。これで中高生までは良心的な値段で入場できる。……で、俺は昨日、普段は使わないインスタグラムでこのイベントの情報を補足して、「これだ」と思ったのだった。

 

「なんか、宇宙みたいだね! SFっぽい!」


「そ、そうかあ?」


 そう言われれば、背景音楽もどことなく宇宙の荘厳さを感じさせる気がする。


「そうだよ! チケットに書いてた! 蓮、こういうの好きそう!」


 そういう俺の耳元で叫ぶ郁の肩に、別の女性がドシンと当たってくる。その勢いで、郁の体ごと会場の壁に押しつけられてしまった。ワンピースの胸元の金具が、俺の胸に食い込んで痛い。だが、体が近づいた分、お互いの声が間近に聞こえるようになった。


「着陸できた?」


「ん。……着陸?」


「言ってたでしょ! 月から地球に移住したいみたいなこと!」


「……ああ。言ってたな」


 それは結構前に、家の近くの公園で郁にした話だ。文脈は若干違うが、郁の言いたいことは分かる。郁と付き合ったことで、俺はようやく孤独な月から地球へと出発することができたのだ。


「うん。できたと思う。着陸」


 そう返すと、郁はにっこりと笑ってまた会場の中の方に俺の手を引いた。


 着陸は、できたと思う。今や俺の周りには色んな人間関係が渦巻いていて、贔屓目ではなく、俺も彼らの一部になっている自覚がある。


 俺は、ダンゴムシを卒業して、立派なスクールカーストの一員に食い込めたというわけだ。……これから郁と付き合っていることが広まることで、どんどん周囲の混沌具合は増していくだろう。


 SFチックな光の柱は、より高度な芸術と化してきた。様々な色の柱が、様々な混ざり方をして、そこに質量があるのではないかと錯覚させられる。凄いけど……SFなのか? これは。確かに光の螺旋は星々の瞬きを思わせるが、肝心なものが無いじゃないか。月だ。


 誰かが孤独で過ごしている筈の月。


 俺が暖かさを求めてやってきた地球からは、もう月へ手が届かないのだろうか。


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昨日は更新できずすいません。本日はもう一本投稿します。

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