第226話 ノンバーバルスケジューリング
前回のテストに関しちゃ前々回の酷い結果があって……という流れがあったからまず基礎を立て直す必要があったけど、今回のテストに関して言えば授業に遅れているわけでもないし、最新の内容を理解出来ていないわけでもない。
丸い眼鏡を掛けてノートに齧り付いている郁は置いといて、正直、それほど身を入れて勉強する必要はないんだよな。
それでも、あまりにすいすいと勉強を進めては甲塚に怪しまれるかも知れないので、ときたまペンを置いては疲れたフリをして首を回さなければならない。むしろ、勉強よりも勉強しているフリに疲れ始めている俺がいる。
「ちょっと見せなさい」
と、一人パソコンを開いていた甲塚がいきなり俺のノートを引っ手繰った。今回彼女は殆ど自分の勉強には手を付けないで、郁の勉強を見たり、ときたま、こうして俺の勉強に首を突っ込んでくる。彼女が今、パソコンで何の作業をしているのかは、分からない。
……既に、新藤が死んだと知ってから三日が経った金曜日のことだ。
「あっ。おい」
甲塚は開いていたページにさっと目を走らせる。ぱしんと音を立ててページを捲った。
「うん。よく理解してる。教科書の総合問題も解けているし」
「……」
「これなら赤点はまず無いでしょ。勉強するのは結構だけど、あんたが心配するほどあんたの頭は悪くないみたいよ。良かったわね」
「そりゃどうも」
「宮島の方も、赤点取るほど酷くは無い……」甲塚の言葉に反応してか、眼鏡の郁がノートから顔を上げた。「数日様子見たけど、家でも勉強しているようだし。この調子なら部室で勉強する程崖っぷちってわけでもないみたいじゃない」
「郁は、これくらいで丁度良いんだ。放っておけば乙女ゲーで徹夜するような奴だからな。俺たちが勉強するモードになれば、周りに流されて勝手に勉強し始める。甲塚も雰囲気作りに協力してくれ」
甲塚は腕を組んで唇を尖らせた。理屈は分かるが、感情的には腑に落ちないという感じか。それは無理もないだろう。かなり突拍子もない提案だったし。
……けど、勉強の名を借りた千日手にも、今のところ付き合いはしてくれる。表面上では。疑いは抱きながらも、取り敢えず俺の出方を見ているということか。
「あのさ。甲塚さんも蓮も、私のこと舐めすぎ。これでも私、受験に対して結構モチベーション高いんだよ? ね? 蓮」
「……ん?」
急に話を振られたが、郁が俺にどんなフォローを期待しているのか分からない。「もーっ」と、笑いながら眼鏡を持ち上げて郁は、「この間、二人で話したでしょ。大学生になったら二人で同棲するのも良いよねって」と言い出す。
「えっ。どう、……」
「そういえばそんな話もしたけど、それがモチベーションが上がる理由?」
「うん。だって蓮、芸大志望とは言ってるけど、こうやって勉強するくらいだから普通大学も視野に入れているんでしょ? だったら、少しでも行ける大学増やしてフットワーク軽くしとかないと、同棲なんてできないじゃん。だから、私頑張んなきゃ」
そう言うと、また張り切ってノートに背中を丸める。俺とは違って、見せかけの集中力じゃ無いのは表情で分かった。呆れてしまうような動機だが、それで郁が勉強を頑張れるというのなら、俺としては何とも言えない……。
*
金曜の夜は郁の部屋で彼女の勉強を見た後、その流れで明日カラオケに行かないかと誘われたのだ。だけど土曜日の予定は空けておいた。特に約束は取り付けていなかったが、甲塚が家にやってくるような気がしたんだ。
こういう言い方をすると妄想に取り憑かれた変な男みたいだが、一応そう考えるに至った根拠はある。先週の日曜、俺は家まで押しかけてきた甲塚を一時間以上待たせて、……アポなしで来た彼女も悪いと思うんだけど、とにかく俺はデートの練習をすっぽかしたことになっているからな。
それだけじゃない。きっと――甲塚は――俺が敢えて調査活動にストップを掛けていることに気が付いている筈だ。手の怪我について突っ込まれ、勉強にも突っ込まれ、俺が一人で動いていたことも知っている。
俺の知っている甲塚なら、きっと来る。事前の連絡も入れずに、俺の都合なんか考えずに、俺の家に来る。
朝仕度を済ませて、コーヒーを飲みながら甲塚がインターホンかスマホを鳴らすのをじっくり待った。親はいないのでリビングで堂々とすけべな絵を眺めていたら、いつの間にやらカップが空になっている。
――来ないのか?
そりゃ、甲塚と予定を合わせたわけではないからな。今日彼女が来ないからと言って、それは裏切りでもなんでもないんだけど。こんなことなら、郁とカラオケでも行った方が良かったかな。
……なんか俺、土曜の朝に馬鹿みたいなことしてるな。はあ……。
一人でいたたまれなくなって、マンションを出てみると小雨が降っていた。本降りに変わる気配は無いけど、まだまだ濡れたら寒い時期ではある。だが、雨の降っている日の喫茶店は考え事に向いている。それが特に小雨なら――そうだ、今日は一人で喫茶店にでも行こう。そこで、今後の身の振り方を考えるんだ。
そう駅に向かい始めた俺の視界に、公園のブランコに座って空を眺めている女の子がチラリと映った。
それが甲塚だった。
肌に近いピンク色のワイシャツの裾をワイドジーンズに入れているのだが、小雨に濡れ始めているのか、肩の辺りが血に染まったようになっている。
一体、やってんだ。こんなところで。
ゆっくり近づいて、空を眺める甲塚の鼻先を傘で覆う。すると、初めて俺に気が付いたようにぱちくりと目を瞬かせた。
「濡れるぞ」
「あっ!……蓮か。不審者かと思ったわ」
「それ、こっちの台詞なんだけど……。取り敢えず、俺の家に来る?」
甲塚は俺の提案に面喰らったような表情をする。
「は? 何で?」
「土曜の朝にここまで来ておいて、惚けなくても良いって。俺に聞きたいことがあるんだろ。だから、わざわざ俺の家に来た」
「……そう、ね……」
甲塚の様子がおかしい。
行動の勢いが先走って、意志が付いてきていない、ような。自分でも、自分の衝動の発生源が分からなくて困惑しているような。
だが、そんなんでも甲塚は甲塚である。「よし、行こ」と立ち上がって、俺の傘から少し頭や肩がはみ出ると「遅い。しっかり差せよ」と、威嚇してくる。甲塚がこういう態度を取ると言うことは、いつも通りの彼女が戻ってきたと言うことだ。
「ようやく思い出したわ。蓮に聞きたいこと、――と、は、話しておきたいことがあるの」
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昨日の更新遅れてすいません。
今日はもう一本投稿します。
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