第六章 消えた人間達の秘密

第186話 正月の尾行染め

 郁からのLINEはどんな時でも、


 ――いまなにしてる?


 という、雑にも程がある決まり文句で始まるのだった。


 ――飯食ってたよ そっちは?


 続いて送られてきたのは、神社でカメラに向かってお祈りのポーズをする郁の写真だ。宮島のおばさんに撮影して貰ったのだろうか。花の様な柄が点在している黒い着物で、帯は白に近い金。


 あ。初詣ね。


 郁は年末から年始に掛けて祖父母の家に遊びに行っているのだ。都会で初詣となれば、こんなに落ち着いた雰囲気の写真は撮れないよな。


 着物には余り詳しくないが、明らかにレンタルしたような発色ではないようだ。これも、例の如くおばさんからのお下がりなんだろうか?……そういえば、夏は黒いビキニ、クリスマスは黒いドレスときて、正月まで黒い着物を着るのか。郁というか、宮島ガールズのイメージカラーなのかな。


 で。そんな郁の写真を保存してから思い出したのだが、正月だ。


 正月の我が家はと言うと、この時期ばかりは普段仕事で家を空けている父親も流石に帰ってきている。なので、最近じゃ非常に珍しい、一家団欒の時間を過ごしていた。


 子供の頃から例の鬼女のことが引っ掛かり続けているとは言え、別に父親を憎んでいるだとか、忌避しているだとか、特別な感情を抱いているわけじゃない。何があってあんな迷惑を被られたのかは知らないが、親父は親父で、母親は母親で、鬼女は鬼女である。


 ……まあ、別に、今更家族が集まってありがたいということは無いんだけど。


 ……いや、お年玉は嬉しいけど!


 *


 普段は一人で過ごしている家に、家族が一人も二人もいるというのは結構落ち着かないものだ。多少懐が暖まったコトだし、せっかくの正月なんだから少し散歩でもしようかと外に出た。


 とはいえ、家を出たところでそもそもお年玉を使うような店はやっていないのだと気が付いた。正月なんてのは国民全員が家でだらだらしているものか。


 ……それなら自販機でジュースでも買って、閑散とした街を散歩しようじゃないか。


 俺は取り敢えず、普段の習性で学校前の通りまでフラフラと歩いてみた。案の定、昼時だというのに学校には人一人の気配もない。いつもなら休日でも部活の生徒が出入りしているので、結構新鮮な光景だ。


 今日は太陽が空気をよく暖めていて、時期の割には肌寒さを感じない。加えて、穏やかな風が運んでくるふとした陽気は、この地球が日本の正月を知っているみたいだ。


 それから美容室の方面まで歩いて、西原さんがいないことにガッカリして(お年玉をせびろうと思ったのだ)、せっかく暇なんだし、今日は歩き慣れていない方面に行ってみようと思ったのだった。


 ――すると、どういうわけか以前甲塚と訪れた、理事長の家に足が向かっていた。


「……」


 クリスマスの一件以来、甲塚とはLINEのやり取りも途絶えたままである。


 あの日あの夜、甲塚は俺に裏切られ、俺は甲塚にそれよりもずっと前から裏切られていたような思いをしたんだ。


 それにしても――俺の横顔が父親に似ている、とはねえ。


 今思い出しても膝から力が抜けるような、しんどい気持ちになる事実だな。


 ……俺の顔が似ていたから、というだけじゃない。そんな子供みたいな理由で、甲塚が俺に信頼を寄せていたこと。甲塚が俺を信頼していたことそれ自体。そんな、俺たちの小さな認識のすれ違いが一気に崩れたような感じ。


 俺という男は、彼女の幼年時代とその終わり、その間に立つには適当な人間だったらしい。逆に言えば、甲塚の中で俺が立てる場所はそのちっぽけな隙間しか無かった。始めから。


 ……俺はどうしたいんだろうか。甲塚の父親代わりを御免被るのは確かだが、じゃあ彼女とどういう関係になりたいのかと自問すれば、思わず立ち止まってしまうような空白を自分の中に見つけてしまう。


 取り敢えず、友人程度には戻りたい……かな?


 よく分かんね。


 景気の悪いこと考えてたら、理事長の家に到着してるし。


 というか、理事長の家に来たところでどうするんだよ。甲塚の家知らんし。ここら辺に住んでいるとは聞いているが、ここら辺に住んでいるとしか聞いていない。


 いっそのこと、家々の表札を確認して回るか? それ、アリかも。


 なんかストーカーみたいだな……。


 どちらかが謝るしかない気がするんだが、どちらかが謝ったところでどうにかなる問題じゃないのが困る。


 ――そのとき、突然理事長宅の玄関が開いた。まずい、とは思ったが、うっかり如雨露を持ったその人物と目を合わせてしまう。


「あら? あなた」


 理事長は以前と同じく総白髪を後ろに引っ詰めて、すっきりとした顔立ちを見せている。だが、来ているのはお正月らしく和服だ。人と会う用事でもあるのかな。


 ……あ!


「あ、あの、あの」


「待ちなさい。まずは挨拶でしょう」


「あ……」


 勢い込んで話を聞こうとしたら、叱られてしまった。


 流石に元教職ということか……。


 一つ咳払いをして、


「あけましておめでとうございます。理事長」と、頭を下げる。


「はい。あけましておめでとう。佐竹君。……明けたわね」


「明けましたね」


「それで?」


「……甲塚、今います?」


 俺の切実な問いかけに、理事長は一から百まで察したような表情をした。


 ……って、男子が一人、女子生徒の祖母の家にまで会いにきているというのだから、そりゃ異常だと分かるか。


「午前中まではいたわ。そのうち戻ってくると思うけど、今うちにいるのはあの子の母だけね」


 言いながら、理事長は庭の草木に水をやり始めた。門の影に彼女の姿が隠れてしまったので、俺は少し敷地に身を乗り出す。


「え。ああっ、ぁ……あいつ、どんな様子……でした?」


「私にはいつも通りよ。話せば笑ってくれるけど」


「ああ……」


「でも、ちょっと目を離したら沈んだ顔をしている」


「……」


 不意に如雨露が俺に向けられた。


「うおおぉっ!?」


「空よ」


 恐ろしいことをする人だ。俺の額には、引っ掛けられたかも知れない水と、同じ分の汗が浮かんでいる。


「……俺、甲塚とちょっと……話したいことが……会いたくて――」


「会いたいのなら会えばよろしい。一々私に許可を求めることじゃないわ」


「じゃあ、会います」


「はい。会ってらっしゃい」


「……で、甲塚は何処に?」

 

「知~らない」


 膝から力がかくっと抜けた。


 俺、この人に嫌われてるのかな……。


「でも、あの子の行く先ならあなたの方が詳しいでしょう」


「……俺が……?」


 そんなこと言われても、さっぱり分からないから困ってるんだが。


「よく考えてみなさい。お正月とは言っても、近所を出歩くのに特別気取ったところは行かないでしょう。あの子が一人になるとき、行くところは何処?」


「……あ」


 そうか。


 この辺りで甲塚が一人ほっつき歩くとしたら――あそこしか無いな。

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