第187話 新たな目的
普段は息も吐かない程に人口密度の高い渋谷も、一月一日ともなれば普段と比べて随分閑散としている。
普段と比べれば、だ。全く人がいないわけじゃない。
スクランブル交差点の路上には、昨晩のカウントダウンイベントの名残だろう、飲み物や食べ物のゴミがそこらに散らばっていて、ふらふらと二日酔いらしき人間が何処かへ向かって歩いている。
何処となく、祭の後という雰囲気だ。
かと思えば、ビルの中から数人の若者が赤らんだ顔で出てきた。驚いたことに、今日の昼間でも営業している居酒屋や軽食を出す店があって、そこに訪れる客がいるのだ。チェーン点の多くが閉まっているので賑わう程じゃないが、どこも休眠モードだと思っていたので結構意外だ。
……で、甲塚はどこにいるんだろう。
前に聞いた話だと、週末はスクランブル交差点を見下ろせる喫茶店で時間を潰しているとのことだったか。周囲のビルを見渡せば、あっという間にここだろう、という店を発見できた。しかも、チェーン点なのに年末年始の休業日は無し……と。
店内にはそこそこの客が入っている。渋谷の喫茶店なんて普段はざわついているものだが、今日は店内のBGMがハッキリ空間を支配している位に落ち着いているようだ。
店員の視線をスルーして階段を上がって行くと、三階カウンター席にスウェット姿の甲塚がいた。
……こんなに予想通り見つかってしまうとは。
逆に心の準備ができていないんだが。
彼女は後ろに立っている俺の存在に気が付いていないらしい。窓際の席で背中を丸め、口先だけでストローをツンツン追いかけている。完全に――徹底的に、気を抜いているって感じだ。部室はまだしも、教室でさえこんな腑抜けた彼女は見たことが無い。
「甲塚」
「……」
「甲塚!」
「……」
無視された。
……いや。よく見たらワイヤレスのイヤホンを着けているんだ。
そっと彼女の背中を叩いても無視される。気のせいかと思ったんだろう。人差し指で肩のツボを突いたら、「ウギャッ」と、跳び上がるような勢いで海老反りになってくれた。慌てた様子で振り向いて、俺の姿を認めるともっと慌て始める。
「ちょ!?……」
「甲塚。あけましておめでとう」
平凡な挨拶をすると、怪訝な目で俺を見やって、再び窓に向かってしまう。
仕方が無いので隣の席に座ろうとしたら、
「あんた、注文もしない癖に席に座るなよ」と、釘を刺されてしまった。
だけど、まあ、彼女の言うことは尤もだ。
俺は急いで一階まで降りて、「やっぱ注文するんかい」という店員の視線を受け止めてコーヒーを注文すると、急いで三階へ駆け上がった。
すると、なんということでしょう。甲塚が店を出る仕度をしているじゃありませんか。
「お、おい。ちょっと、待てよ」
「……何よ」
「お前は、相変わらず陰険なことをするよなあ。こっちはお前のお祖母ちゃん家に行って、今は一階まで走ってコーヒーを取りに行ったんだぞ。少しは話をさせろよ」
「私たち、話すことなんてないし。……もう他人同士でしょ。どきなさいよ」
他人同士ですか。なるほど。甲塚の中では、俺たちは絶交した扱いになっているらしいな。
「……いいよ。勝手にしろ」
突き放すようなことを言うと、ショックを受けたような表情を浮かべる。
「どうせそう言うと思って、テイクアウト用の容器で注文したんだ。お前が何て言おうと、こっちは勝手に付いていくからな」
「……」
甲塚は、口端に力を込めて視線を落とした。そのまま、喫茶店の中でお互いが立ったまま身動きできない時間が発生する。
俺は困った。
とにかく、甲塚とまともに話し合う口実が欲しかった。
「……なあ」
「?」
「クレープとか食べないか?」
「クレープ?」
「さっき、街歩いてたら正月に営業してる店見かけたんだよ。甘い物、苦手?」
「別に、嫌いじゃないけど」
「お前もお年玉貰ってんだろ。二人で食べに行こうぜ。どうせ正月暇してたんだろ?」
「……。……食べたらすぐ帰るから」
*
さっき見かけたクレープ屋でお互い別のフレーバーのクレープを頼むと、外国人の兄ちゃんが良い笑顔で手早く用意してくれた。彼にとってはこの店で働く方が家にいるより落ち着くんだろう。
それで、普段は混み合っているハチ公前広場に落ち着いた。
咄嗟に言い出したことなんだが、よく考えたら俺の方が生クリーム苦手なんだよな……。顔を顰めて食んでいると、「それ、そんなに美味しいの?」と、勘違いした甲塚が興味を示してきた。
「一口食べてみるか?」
「ん……」
甲塚の口元に食べかけのクレープを突き出すと、端っこの方を口いっぱいに含んで、結構美味しそうに咀嚼する。
「何よ。こっちの方が美味しいじゃない」
「そっちは?」
特にねだったつもりはないのだが、甲塚がクレープを突き出してきたので食べてみた。……って、こっちは甘さ控えめで結構美味しいのかよ。
「俺もそっちの方が好きかも。交換しない?」
そんな提案をすると、クレープに付いた自分の歯形をまじまじと見て、結局俺の方に差し出してきた。言わんとしていることは分からないでもないが、なけなしのお年玉で買ったんだから、少しでも満足感が高い方が良いじゃないか。
それから、ちまちまクレープを食べながらどうでも良いことを話した。
クリスマスからの連休をどうやって過ごしていたのかとか、お祖母ちゃん家でどんな料理を食べたとか、郁が黒い着物を着ているから、もしかしたら宮島家のイメージカラーなのかもしれない、だとか。
気付けば、生クリームに苦戦している俺を差し置いて甲塚が食べ終わってしまったので慌てた。ところが、彼女は別に帰る様子も無く手すりのようなベンチに腰掛けてぶらぶらと足を踊らせた。
「……それで。これから、どうする?」
「帰るけど」
「いや、今日の話じゃなくて、人間観察部のこれからのこと」
「人間観察部にこれからはないわよ。部長の私が学校辞めるんだから、どっちにせよ部活も消滅するじゃない」
「なんだよ。部長の責務を放っぽりだすって言うのか?」
「それは……だって……」
「人間観察部の役目は無くなったって?」
「うん。……あんたに裏切られてね。だから、あの部活を存続させる意味は無いでしょう」
「ああ、そう。甲塚は学校辞めるワケか。それじゃあ、俺が貰おうかな」
「……貰う? 何を?」
「人間観察部、部長の座に決まってるだろ。お前にとっちゃ用済みでも、俺にとってはまだやることがあるんだ」
「やること?」
「ああ。……探すんだ。お前の父さんを」
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