幕間 恋愛講座・上級編

幕間 第18X話 恋愛講座・上級編(1)

 クリスマスパーティーの一件が終わって、年の瀬ムード全開の年末……。


 郁は祖父祖母の遊びに行っているようで、カロリーたっぷりな事件の後の、ささやかな連休らしい連休がやってきたのだった。


 晴れて好き同士になったとは言っても、毎日デートに引っ張り出されちゃ流石に敵わない。ただでさえ、あれから終わりの見えないLINEのやり取りが続いているのだ。女の子が抱きがちな、メッセージのやり取りをし続けたいという欲求は一体何なんだろうか。適当にスタンプで返していたら通話で文句を言われるし……。


 最終的に辿り着いたのが、郁からのメッセージを数十分既読スルーというものである。こちらが返信をしなければ、言葉に困るようなメッセージも届かないわけだしな――って、これはこれでどうなんだ?


 というか、俺たちって付き合ってるってことになってるのか?


 後々になって考えてみれば、好きとは言ったしキスもしたけど、付き合う付き合わないの話は終ぞ出なかったように思う。この事実に気が付いたときは、衝撃のあまり膝から崩れ落ちそうになった。


 ただし、あれから郁との距離感が少なくとも恋人以上に近まったのは、事実。


「……」

 

 まあ、それは良いとして。


 部屋のベッドで足を八の字におっ広げてぼーっとしていたら、西原さんから電話が掛かってきたのだった。


 実は、美容師はクリスマス前の時期がめっちゃ忙しいねん、ということで、だから私の周りをうろちょろするのは止めろ、と仰せつかっていた。


 ……彼女の周りをうろちょろした憶えはないんだが、とにかくそういうことなのだ。


 とはいえ、西原さんから呼び出されるにしても十八時というのは珍しい。いつもはもっと遅い時間だし、この時間はまだ美容室で働いているんじゃないか。


 って、そうか。今年はもう仕事納めてるんだ。


 あー……。うっすら嫌な予感がしてきた。


 ……さて。そろそろ出るか。電話。


「おう! お前今暇やろ! 来いや!!」


 通話ボタンを押すなり、ガヤみたいな声量が俺の耳に突き刺さった。


「なんですか急に」


「なんもかんもあらへんっ。今忘年会やねん」


 そういえば、賑やかな環境音がマイクに乗っている。西原さんの呂律もなんか怪しいし、まだ早い時間だというのに相当な酔っ払いようなのではないだろうか。これは。


「別に行っても良いですけど、東海道先生が嫌な顔しますよ。盛り場に生徒を連れてくるなって」


「んにゃホォ!」


 アホォ、と言ったんだろうが、変な所で声が裏返っている。「カハハハハ」と後ろで笑っているのは南さんだろうか。


「その恵がこぉへんから、代打でお前を指名しとるんやないかい。つべこべ言うとらんとさっさと――来いッ!!」


 叩き付けるような大声を最後に通話が途切れる。


 仕方なしに外に出ると、そういえば何処で飲んでいるのか聞いていない。まあ、あの人たちが飲むところといったらこっからすぐ近くのエリアだろうし、行けば何とかなるだろう。


 *


 近所の飲み屋街は非常な賑わいだった。


 一応、この辺りは東京の中じゃお洒落で名が通っているエリアなんだが、今日ばかりは週末の新宿もかくやというばかりの様相である。ここでこうなら、実際の新宿は俺の想像も付かないような有様なんだろうな……。


 で、店の場所なんだが、追って連絡してきた南さんが(西原さんのスマホで)教えてくれた。前のような個室とは違う、一階は隣客との距離が極小のカウンター席、二階は汚らしいが、一階に比べたらゆとりがあるカウンター席という店である。お嬢様二人が飲むにはちょっと解釈違いだが、飲み慣れた人間は自然とこういう場所に行き着くんだろう。


「どうも。来ましたけど」


「おおー。ほんとに来たんだ。ほら、座って座って」


 二階のカウンターに座っていた二人に声を掛けると、平静そうな南さんが席を隣に移して中の席を空けてくれた。有り難いが、顔を赤黒く変色させた西原さんの隣とは……。


「なんやねんお前……」


 早速、隣に座った俺を怪訝な目付きで睨み付けてきてるし。

 

「何言ってんですか。西原さんが俺を呼び出したんでしょ。東海道先生の代打ですって? 言っとくけど、ホームランは期待しないで下さいよ」


「……あ。冗談やんけ~!」


 早速肩を組んで酒臭い息を吐いてきた。我の強い関西人って面倒臭い酔い方をするイメージがあったのだが、少なくともこの人に関しちゃ的中しているらしい。


「いや。明らか忘れてたでしょ。どんだけ飲んでるんですか?」


「大して飲んでないよー。ここ一件目だし。いすずって、酒が好きな癖に弱いんだ」


「言うたやろォ~! こいつ、こいつ……蓮! な。あたしのこと好っきやねんて! お前、あたしのことストーカーしとるんやないかい。ストーカー同好会!」


 そう言って豪快にビールのグラスを傾けるのだが、口元から溢れて胸を濡らしている。


「蓮、蓮。溢れてもうた。溢れてもうた」


 あっ、めんどくさ。


「酒弱いんですか? それで酒癖が悪いんじゃ手が着けられないじゃないですか!」

 

「そう言わないで相手してあげなー? 恵が来ないから寂しいんだ、きっと。それでね、私達、恵の悪口大会してたの」

 

「それは楽しそうですね……!」


 俺は心の底からウキウキしてきた。好きな人間の悪口を聞くのは、何故か楽しい。


「恵な。あいつ、最近付き合い悪いねん! クリスマスも、なんかうにょうにょ言い訳して来なかったしな」


「クリスマスなら仕事してたんですよ……」


「仕事ォ!?」


「学校の体育館使ったクリスマスパーティーがあって。で、先生は演し物してたんです。ギターで弾き語りですよ。……聞いていないんですか?」


 俺越しに、西原さんと南さんが怪訝に見つめ合う。


「それ、聞いてないなー」


「なんやねん。仕事ォ!? あいっつ、私達には彼氏を臭わせるようなこと言いよって、クソ腹立ってきたわ。ハッタリやんけ。どういうことやねん」


「知りませんよ、そんなの。仕事の内容なんて一々説明しないんじゃないですか?」


 そのテンションのまま、西原さんがカウンターの中の店員を呼び止めて追加の注文をした。ついでに、俺はコーラともつ煮込みを頼んどこう。多分お金なら出してくれるだろうし。


「まあ、それは良いとして。もっと東海道先生の面白い悪口無いんですか? 南さんは?」


「えっとねー。いすずはこんなんだけど、恵も意外と酒癖悪いよ。結構強い方だけど、一回飲み始めたら潰れるまで飲み続けるタイプだし。放っといたらうろちょろしてよく物にぶつかってる」


 めっちゃ思い当たるフシがある……。


「そういえば、この間酔っ払ったときも自分から電柱にぶつかって爆笑してましたね。はははっ」


「せやろぉ? あたしなんてマシな方やで。あいつに比べたら――って、ちょっと待て。あいつ、あたしたちには嫌な顔する癖して自分は教え子を飲みに連れ歩いとるんかい」


「食事に行ったら東海道先生が飲み始めて、止まらなくなったってだけです。まあ、勧めた俺が無知だったんですがね」

 

 あの時のことは返す返す考えても溜息を吐いてしまうような出来ごとだった。酒癖が悪いのは別に良いんだが、それで一線を越えるようなことをするのは良くないと思う。


「ん……あれ。蓮君って、恵と……」


「あ!! じゃあお前、これ知っとるか!? 恵な、滅茶苦茶酔っ払って、おしっこ漏らしたんやで!!」


 俺は飲み込み掛けたコーラを噴き出してしまった。


「いきなりドぎついネタ寄越さないでくださいよ……! え? マジですか?」


「いやー。いすずが盛ってるだけだから、それ。ていうか、めっちゃ前の話だし。大学生の頃の話でしょ?」


 南さんの冷静なフォローで物凄くホッとする。


「なんだ。そうなんですか?」


「うん。飲みの帰りに歩いてたら、恵がいきなり『おしっこしたいですわ』って言い出してさ。でも、丁度トイレに使えるような店も締まってる深夜でね。それでもまだ『おしっこしたい、おしっこしたいですわ』ってうろうろするから、どうするのかなーって見てたら、こう……ほっそーい路地裏? 人が通れないような、配管とかがごちゃごちゃ入り組んでるとこね。恵、そこに体を縮めて入っていてさ。なんかスッキリした顔で出てきたの」


「……。……」


 あまりのエピソードに言葉を失っている横で、ニョホホホホと呼吸困難になるくらい西原さんが爆笑している。女子校出身ってのは世間がイメージするほど上品では無いと言うが、それにしたって倒錯している。


「ね? 漏らしてないでしょ?」


「大して変わんないでしょ……! 漏らして恥ずかしがる方がまだ救いがありますよ――いや、無いか……」


「まー、似たようなエピソードは私にもいすずにもあるけどね。大学生っていう時代は、無茶苦茶だからさー」

 

 マジかよ。


 大学生ってヤバいな……。俺は一体どんな黒歴史を作ってしまうのか。今から恐々としてしまう。


「まだあるで。最近の話やと、恵のやつ金欠らしいねん。今日もそれで来ないねん。まあ、忘年会言うても大晦日も飲み行くって話してるけど。……あいつ、ほんま付き合い悪なったわ!」


「それはしょうがないでしょう。あの人、最近大変じゃないですか。親から援助の打ち切りを予告されて、引っ越さないといけないんですから」


「……」


 二人がまた俺越しに目を合わせて、


 ――えええええっ!!


 と、今日一の大声を挙げるではないか。二人の反応に逆に俺まで驚愕してしまった。


「これも先生から聞いてないんですか!? あんたら仲良いんでしょ!?」


「聞いとらんわ! は!? あいつ、とうとう親に見放されたんか!?……え? これからどうするん?」


「取り敢えず、自活のために貯金するんですって。あと、……酒は控えろと言いました。だから、今日来なかったのは俺にも責任あるかもしれないんですよね」


 西原さんが下唇をぶるっと震わせた。


「加奈。何でこいつ私らより恵の事情に詳しいの?」


「まあ、冷静に考えたら私達なんかより蓮君の方が恵と過ごしている時間の割合は大きいからね。色々知らないところで話をしているんでしょ。ねー?」


「そうなんですかね……」


「そうでしょ。だって蓮君の担任で、部活の顧問でもあるわけでしょ? 数週間に一回セッションするうちらとは比べものにならないよー」


「ケッ。けったくそ悪い。あいつが自活に、禁酒? 無理に決まっとる」


 西原さんがそんな言葉を唾と一緒に吐いて、それからも楽しい東海道先生の悪口が続いた。

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