第185話 幼馴染みの二人の過去と今
目の前の郁は喉に何かを詰まらせたように目を丸くすると、すっかり意気消沈してしまったようだ。
「……それ、今言うこと?」
「え」
「もうちょっと、雰囲気とか考えて欲しかったよ。というか何で今日? 蓮、明日告白するって言ってたよね」
「え。あ。うん。だって、ショウタロウは来ないし、今日クリスマスだし……なんか、怒ってる?」
「別に怒ってないけど」
何となくだが、さっきまでの暖まったテンションが冷えてしまった気がする。
時期は別にしても、実際に思いを告げる時と場所なんて考えもしなかったことだ。確かに、夜の校舎に体育館前の通用口と、大事な話をするにしても場所ってもんがあるだろって感じなんだが、言っちゃったもんはしかたがないじゃないか。
だが、郁にとってはそういうものが結構大切なファクターだったのだ。
「……。それじゃ、このことは明日、改めて……」
気まずい雰囲気になってきたので体を離そうとした――ところが、郁の腕が俺を離さない。恐る恐る顔を見ると、赤らめた頬にぎろりと上目遣いで俺を睨んでいる。
「私も、蓮のこと好きなんだけど」
「あっ、はい」
反射的に答えてから、額に汗が噴いてきた。よく見ると、郁の額にも同じように雫が浮かんでいる。
「ごめん……。私、なんか、照れ隠ししちゃって……。ほ、本当はね、死ぬほど嬉しい。あはっ。嬉しいよっ、嬉しいぃ……!」
「お、おお」
「お互いの好きなところ発表しよ」
「ええ……」
そういうのって、付き合った直後の頭がパッパカパーになったカップルがよくやる恥ずかしい奴じゃないの――と思ったが、言わない。
人は、言わない言葉の数だけ大人になるのだ。多分。
「じゃ、私からね。私はね、蓮の、バカみたいなところが好き」
そう言って、唇をまるっと食んで絵文字みたいな笑い方をする。
「面と向かってバカなことを褒められたのは初めてだな……」
「私が見つけた蓮の良いところだよ。私しか知らないから、一番特別で好きな部分」
恥ずかしがってそう言うので、結構本気で褒められているらしいことが分かった。
そりゃ、自分でもたまに我ながら馬鹿な事をしているな、と思うことはたまにあるけど……言われて見れば、確かにショウタロウにはない素質かも知れない。
「で? 蓮は? 私のどこが好きなの?」
「え。顔――」
次の瞬間、俺の鳩尾にドゥンと突き上げるような衝撃があった。途端に喉が塞がったような息苦しさに見舞われて、もんどり打つ所を郁に支えられる。
「冗談……だろうが……!」
「今、マジでそういうの要らないから。で? どこなの?」
「い、いや。改めて聞かれても困るというか……俺は、郁っていう存在そのものが好きなんだよな。だから、顔ってのも嘘じゃないし――仕草とか、雰囲気とか、性格とか、一緒にいて落ち着くんだ。……いや。一緒にいたいって思う」
ぼそぼそと郁を褒め称えると、当の本人は少し顔を傾けて耳から下の綺麗な首筋をこちらに向けてきた。
「……こんなんじゃ駄目か?」
「駄目じゃないけど――それだけじゃ不安になるよ。私の顔が好きって言うんなら、飯島ちゃんは? 雰囲気が好きって言うんなら、甲塚さんは? 私、色んな所で誰かに負けてる気がして……もし、いつか蓮の前に完璧な女の子が現れたらどうするの?」
「ヤだな。そんな就職活動みたいなこと聞かないでくれよ」
「真面目に!!」
「……真面目にと言われても、俺ってそういう奴だし……」
郁が、心の底から冷めた目で俺を見つめてきた。
「郁の言うとおり、俺ってバカだし。ちょっと自分でもどうかなって行動を起こすときがあるし、打たれ弱いし、自分から人と関わろうとしないくせに、人からの好意を自分勝手な理屈でいなしがちだし、友達いないし、人間関係の優先順位整理できないし、最低だし」
「そこまで言ってない!」
反論してくる郁の手を撫でて、俺は突然せり上がってきた嗚咽を俯いて堪えた。
「――だから、郁、郁のお陰で俺は、変わりたいと、思ったんだよ……」
「あ。……」
どうして、俺はこんなに湿っぽい気持ちでこんなことを言うんだろう。俺が変わろうと足掻く横で、絶対的に自分の立ち位置を変えない甲塚を知っているからだろうか。その彼女が、最後の最後で俺に縋ってきたからだろうか。
それから撫でていた郁の手が指に絡んできて、何故か指相撲が始まった。ただし、勝敗なんてのはどうでも良くて、多分触れ合っていることが大事だったんだ。何故かトロい動きをしている彼女の親指をぐっと抑えた途端、
――ドゥン、と今度は顔に衝撃があって俺は悶絶した。
撲たれたのは下唇辺りか。……鉄の味がする。
「痛いな!? 何すんだよ!?」
流石に顔面を殴られる憶えが無いので抗議をすると、彼女は黒目を右に左にと漂わせて自分の唇を震わせている。
「あっ、ごっ……あっ、あのっ、キ、キス、キスしようと思って、て」
「キス?」
……よく見れば、郁の唇に血が付いている。それは多分俺のだ。
キス? キスしようとした?
事実を認識して俺は、今ここに立っているのが非常に恥ずかしいことのような気になってくる。
今衝撃があったのは、どう考えて唇の右下――腔内で言うところの、歯茎の辺りなんだが。
キスはキス、なんだろうが……。
「下手過ぎないか? 唇、血出ちゃったんだけど」
「だ、だって、暗いんだもん。そんなに偉そうなこと言うんなら、蓮がちゃんとしたキス、してよ……」
「え」
……え!?
顔から火が出るようなリクエストだが、もう彼女の方は優しく目を閉じてスタンバイの状態になっているし。なんか、こういうのは俺のキャラに合っていないというか、出来ればもうちょっと俺の気持ちを整理した上で挑みたいチャレンジというか――ああ、もう細かいことを考えるのは止めだ。
郁がミットを広げているんだ。なら、俺は全力投球せねばならんでしょう。
意を決して目を瞑り、唇でツンと突いた。一秒にも満たない瞬間だった。
「ん? 今のじゃないよね?」
「いや。今のだよっ……! そう言われると俺まで下手みたいじゃねえか!!」
「下手なんだもん。今、私の顎にキスしてたよ?」
言われて見れば、唇って感じの感触ではなかった気がする。
「……暗いのが悪いんだな」
「言い訳しないで、もう一回! ねえもう一回!」
冷静に失敗の原因を考察する俺に対して、郁は飽くまで直感的にもう一度を要求してくる。
だけど、今ので失敗の原因は大体分かった。唇を触れ合わせる瞬間に、俺も郁も目を瞑ってドゥンと行くから的が若干ずれているんだ。
だとすれば解決策は簡単なこと。懐中電灯の明かりで口元を照らして、目を開いたままなら――って、それじゃもう雰囲気ぶち壊しだし。ならば仕方が無い。
右手を郁の首筋に廻して固定すると、左手では顎の下を支えて顔を持ち上げる。首筋の動脈から、彼女の動悸が……。警報のようなけたたましさで、体全体に異常事態を告げているようだ。
「――あ」
そんな自分の格好に既視感があった。そうだ。そういえば俺は丁度こんな風に、甲塚の顔を……。
「なに?」
「いや。……」
邪念を払って目の前の郁に集中する。照準は合わせた。ここから、ドゥンと突っ込まないようにして、息を止めて、唇の輪郭の端から印鑑を押すような要領で――
「……」
終わった。
終わって見れば、なんじゃこりゃという感じだ。
唇を合わせる程度のことに、何で俺は特別感を持っていたんだろう……。そもそも郁とは日常的に接触しているんだし、今更キスなんて。
と、急速に冷静になった自分を鑑みて気が付く。
……俺は一線を越えたんだな。
「蓮、ファーストキスっていつだった?」
出し抜けに、目の端を光らせる郁がそんなことを聞いてくる。
「今だけど」
「ふ~ん。ふふふ」
「なんだよ。……あっ、もしかして、初めてなの俺だけか……」
俺にとって郁の中学生時代は暗黒の闇に包まれている。その中で一体何が起こっていたかなんて殆ど知らないが――ドラマたっぷりの郁の人生なんだ。恋人がいないにしてもキスの一つや二つあってもおかしくない。
「私はね、小四が初めてなんだ」
「しょ――小四!? 小学四年生!? どこで!?」
「私の部屋」
「…………」
俺は、何でこんなことを聞かされなきゃならんのだろう。
「誰とって、聞かないの?」
「名前も知りたくねえよ……。その頃って、俺たち結構仲良かった時期だろ? うわ。なんか、めっちゃキツいわ……」
「蓮だよ」
「あ?」
「寝てる蓮にこっそりキスしたのが初めて。知らなかったの? だから、そっちもそのときが初めてだよ」
「……初耳なんだけど!?」
驚愕の事実である。
というか俺、全然一線越えて無かったじゃねえか。小学生の頃、寝てる間に越えてたじゃん。
郁が垂れ下がった前髪を耳に掛けて笑った。
「でも、私は今日の方がいいや。ファーストキス、更新しよ」
「それアリか?」
「アリだよ。二人の秘密にしてればね」
*
何だかぽやんとしてしまった郁を連れて校舎を出ると、十二月にしては寒くない空気が俺たちの頭を冷やしてくれた。
頭の熱を放熱したのが郁には良く作用したのか、一緒に歩いているのに彼女の方が段々足早になってポールライトの道を急いでいく。かと思えば興奮が再燃したのか、また笑顔になって戻ってくる。
「私、蓮とキスした! すっごお」
「うん。知ってるよ」
「すごくない? 私達幼馴染みだよ?」
「幼馴染みは関係無いと思うけど……」
「関係あるよ! ほら!」
郁が指差したのは、俺たちの家の近くにある例の公園である。そういえば、ここにあるのは昔の思い出ばかりだったというのに、今年になってから郁と色んな話をしたような気がするな。……高校に入ってからまともに会話したのも、ここで彼女が補導されかけていたからだし。
「この公園で遊んでいた、小っちゃい私達が、今こうなってるんだよ? 凄いよ!」
多分郁は、運命の巡り合わせみたいなものに感心しているんだろう。気持ちは分からないでもないけど。
「ねえ、蓮。これからどうしようか?」
「取り敢えず、何をするにしても着替えたい。高い服を着るのって疲れるな……」
「あはっ。確かに。私も一旦家に帰って……どうしよ。私が蓮の家に行く? 蓮が私の家に来る?」
「俺が行くよ。そっちの方が部屋広いし。お向かいさんと行っても、夜に一人娘が出歩いちゃそっちの両親が不安になるだろうし」
「うん。いいよ。それで――それから……?」
「ピザでも頼んで。マルゲリータがいいかな」
「うん。いいよ。私はキノコが乗ったやつが良いな」
「……郁に、少し話を聞いて欲しい」
「うん。いいよ」
俺は意外に思った。
「どんな話か、聞かないのか?」
「聞かなくても分かるよ。蓮がやろうとしていることは知らないけど、どういう所を目指しているのかは分かる。だから、うん。いいよ。話を聞くし、協力するよ」
気軽に快諾する郁を前に、もしかして俺は幸せ者なんじゃないかと思った。
これからどういうことになるかは分からないが、彼女が協力してくれるというのなら心強い。……人当たりの良さなら、俺なんかちっとも及ばないからな。
そういうわけで、俺たちは一旦家に帰った後に郁の家で合流したのだった。
ピザを頼もうという話だったが、郁の部屋には既に大皿に載ったクリスマス料理の数々が並べられていて、これは宮島のおばさんが拵えていたものだという。こんなこともあろうかと、でこんな料理を用意するなんて、流石に郁の母親だ。娘のことをよく知っているな。
――二人きりになって、俺は郁に長い話を始めた。
俺が知りうる、甲塚の全てを。
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更新が遅れてすいません。
次回からは章が変わります。良い切り時になるので、3日間お休みを頂きたいと思います。
休み期間中は切り抜きエピソードをアップ予定です。
本編の更新再開は3月17日を予定しています。
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