第183話 甲塚のあとしまつをするには

 記憶が正しければ、人間観察部に入部したコトの始まりは、俺が甲塚にすけべ絵師であるという秘密を知られたからなのだった。


 今でもその手口の大胆さにはめまいがするのだが、こいつは俺の帰宅路にデカイ狸の置物をドカンと設置して、俺がそれを写真付きで投稿したために特定されてしまったのである。返す返す考えるにストーカーの手口そのものだ。


 ――ストーカーの手口、なんだよな。


 幾ら俺が社会の底辺で、その割に郁というカースト上位層の幼馴染みがいてと、甲塚にとって御しやすい人間に見えたとしても、それが俺を利用して仲間に引き入れる……という思考に直結するというのが解せない。手段を選ばなかったというのなら、選ばないにしても妥当な手段はあった筈なのだ。


「今考えてみれば、郁がショウタロウと連絡を取り合っていたなんて情報は、俺を呼び出した時点のお前は知らなかったんだろ。どうして、いの一番に声を掛けたのが俺だったんだ?」


「……だって同じクラスだし、声を掛けやすいと思ったから……」


「それだって変な話だろ。お前は、クラスの声を掛けやすそうな男子に、声を掛けるためにあの馬鹿げた罠を仕掛けたっていうのか? だったら、一ノ瀬はどうなる」


「一ノ瀬?」


「生徒会の、一ノ瀬ゆいか。お前、元々あいつの秘密知っていたんだよな。あいつは俺と違って一応スクールカーストの上位層に分類される人間だし、ショウタロウ軍団の筆頭だぞ。……あの軍団にリーダーがいるのかは知らんがな……。その上、あいつと郁が知り合いだったように、一番に仲間に引き入れるんなら女子とのハブが広いあいつの方がマシだった筈だ。それを、何で俺に決めたんだよ。それも、俺が声を掛けやすそうに見えたからってことか?」


 甲塚は、ぽかんとした顔で頷いた。


「俺が、お前のように学校生活に不満を持っているように見えたっていうのか」


 また、頷く。


「俺が――俺と、仲良くなりたかったのか?」


 甲塚は頷かなかった。まずい所を指摘された顔をしている。


「――俺が、……?」

 

 甲塚が、ぼそぼそと何かを呟いた。耳を寄せると、


 ――横顔が、似ていたから……。


 その言葉を聞いて俺は、膝から力が抜けるような思いがした。


 俺の横顔が似ていた。


 誰の、というのは聞くまでもない。


 甲塚の、父親……。


 今までのことを考えて、喉の奥から熱いものが込み挙げてくる。吐き気というには塩気が強い。


「アホか!! あーっ!!」


 甲塚を突き飛ばして、早足で郁が待つ部室へ向かい始める。すると、三歩歩いた所で俺の背中に体重がのし掛かってきた。甲塚が、腰に纏わり付くように俺の体を引っ張っているんだ。うう……と、彼女の呻き声が背骨を伝って響く。


「離れろ。郁を待たせてるんだよ」


 冷たい声を出して引き離そうとすると、甲塚はますます纏わり付いてきた。最早、俺を背後から抱きしめているような格好になっている。


「何で宮島なの? だから、私を裏切るの!?」


 俺は甲塚の腕の中でぐるりと回れ右をして、真正面から彼女と向き合い、言った。


「郁のことは関係無い。お前なんだよ! 俺は、お前がな……!」


「……」


「お前の味方でいたかったんだ、俺も。でも、お前が――お前が、少しも変わらないから。お前が、少しも変わろうとしないから。お前が変わりたいと思ってくれなかったから」


「変わるって……」


「お前は、話に聞く子供の頃からちっとも変わってないじゃないか。消えたお父さんの影を、スクランブル交差点に今も探し続けているんだろうが。それで、今度は俺にお父さんの代わりになれって? 馬鹿じゃねえのか? 俺に一体何の責任がある? いい加減気が付いたらどうなんだ。お前のお父さんはな、お前はな」


「……」


「もう、お父さんがいないまま、大人になる時期が来てしまったんだよ。お前はこれから、そういう世界を生きていかなきゃならないんだよ」


「やだ!」


 俺は驚いて目を瞠った。


「やだって……」


「やあだあ!」


 あの甲塚が、やだやだ言いながら、頭を振っている……。


 え? イヤイヤ期? 高一で?

 

「……」


 俺はもう、心の底から呆れてしまった。もうこっちこそいやだ、という感じだ。こんな奴に付き合っていられるか。


 強引に甲塚の体を引き剥がして、さっさと階段へ足を進める。すると、やだやだ言っていた甲塚の声が、段々甲高くなって、それから、


 ――うええええぇぇん……


 と、子供のような泣き声だけが、俺の背中に追い縋ってきた。


 階段を昇る道すがら、俺は何度、その泣き声に、しゃくりあげる息に足を止めたのだろうか。


 でも仕方が無いじゃないか。


 人生で、二度と手に入らないものがある痛みに気が付く年齢だから。その痛みを知るからこそ、俺たちはこれからの人生を真摯に生きようと思わされるんだ。失った感情のあとしまつよりも、これから得られるものに手を伸ばさなければいけない……。


 俺は、数段目の階段に腰を降ろして溜息を吐いた。甲塚の泣き声に、足が強く引っ張られているように重い。


 ――いや、本当にそうなのかな。と、頭の別の部分から反論が上がる。それは理性だった。甲塚を思う気持ちだった。


 俺たちに、失った感情のあとしまつは許されないのだろうか。


「過去は、変えられる……」


 こんなことを言い出したのは誰だっけ。


 郁だ。発言者の顔を思い浮かべた瞬間、本当かよ、という感じがする。

 

 だが、信じてみたい話でもある。サンタクロースのいない世界で生きていた俺だけど、そういう言説を信じちゃいけない理由は無い筈だ。それに高校二年生は簡単に夢を諦められる程には大人じゃない。


 だとすれば。俺がやるべきことは……。


 ――気が付けば、甲塚の泣き声は段々遠くなっていた。


 *


 考え事をしながら人間観察部の前に辿り着いた。


 ようやくここまで辿りついたという感じだ。ショウタロウとの密談に始まり、甲塚の計画を阻止した。


 何てこった。俺は、この一晩で桜庭高校に渦巻く謎と陰謀をマルっと解決してしまったらしい。あとは、郁を連れて、家に帰ってベッドにひっくり返って寝ればハッピーエンドということになる。


「……ん?」

 

 意気揚々と部室の扉に手を掛けたところで、中から奇妙な音が聞こえることに気が付いた。耳をそばだててよく聞いてみる。


 ――フッ……ハァッ……ハッ……フッ!


 ……これ、郁の息づかいか?


 そういえば、彼女の方から全く連絡が来ていないし、コールを受けていたショウタロウは冷たくスマホの電源を切ってしまったのだった。


 とすると郁は今、孤独に苛まれているんじゃないだろうか。……くそっ。こんなことなら、早いとこ甲塚を振り切ってくれば良かったな。


 慌てて扉を開くと、黒いドレスに身を包んだ郁が、窓に向かって立っているところだった。その立ち方が奇妙で、足を肩幅に開き、両手は頭の後ろで組んでいる。


「フッ……」


 郁は力強く息を吐いて、尻を膝の高さまで降ろし、数秒静止して、ギュッとあげる。


「はぁ、はぁ、……フッ!」


 もう一度、繰り返す。よく見たら、背中の筋肉が艶のあるドレスに浮かんでいる。


「……」


 郁が、スクワットをしているな。

 

 どう見ても、スクワットをしているようにしか見えないな。


 懐中電灯のスイッチをオンにして郁を照らすと、手を組んだまま驚いた顔をこちらに見せた。


「うわっ……蓮!? ああ、びっくりしたなあ、もう」


「お、お前、夜の校舎で何やってんの? 怖……」


「ええっ!? いきなり酷い言いようじゃん。臼井君も来ないし、蓮も来ないし、私どうしたら良いのか分からなくなって、仕方なくこうして筋トレしてたんだよ!? 謝ってよ!」


 そういう郁の額には汗が輝いて、体全体がパンプアップしているようである。


 俺は今まで、郁のことなら結構詳しいつもりでいたのだが、まさかこいつに寂しくなったら筋トレする習性があったとは。


 いや、意味が分からないな……。

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