第181話 すれ違いの未来予想

 甲塚は顔を近づけてニヤリと笑うと、機嫌が良さそうに足踏みをしながら喋り始めた。


「実は私も、臼井の秘密がちょっと衝撃に欠けるんじゃないかってことは気がかりだったのよ」


「……あ?」


「言っておくけど、臼井が飯島美取と血が繋がっていないことなんて、こっちはとっくに察していたのよ。そういう前提で臼井の言動を観察していれば、あいつが血の繋がらない姉に恋をしているなんて一目瞭然じゃない」


「……」


「それにしたって、コトは臼井と飯島美取のことでしょう。あいつの秘密を暴露したところで、それが美談で片付けられやしないかと心配だった。……それを、あんたはねっ!」


 下手くそなステップを踏んで、俺の胸を突いてくる。


「やるじゃない!」


「――俺たちの会話、全部聞こえてたのか……」


「聞こえてるどころじゃない」甲塚はスマートフォンを目の前で振って言う。「会話は録音させて貰ったわ。これが、臼井の秘密の証明になる。……あいつを地獄の底にたたき落とせる!」


 嬉嬉としている甲塚に、こっちは全然テンションが付いていかない。……会話を録音していただと? 地獄に落とせるだと? これから他人を不幸にするというのに、どうしてこんなに――クリスマスプレゼントを貰った子供みたいに、純粋に笑うんだ。こいつは。


 それから、甲塚は夜の、誰もいない校舎を我が物のような顔をして歩き始めた。まるで、廃墟を闊歩しているようだ……。


 取り敢えず。――取り敢えず、最悪な展開であることは、認識した。


 オッケー。


 郁のことは気がかりだけど、今はこいつを看過するわけにはいかない。しかし――どうする?


 重たい頭を振って彼女に付いていくと、優雅に歩き続ける甲塚がこんなことを喋り始める。


「蓮、あんたは、臼井の秘密が学校中にバラされたらどうなると思う?」


「……。正直、考えたことなかったよ」


「私はこの数ヶ月、ずっとそのことを考えていたのよ。私の予想では、まず臼井は不登校になるか、退学するかね」


 甲塚は今日の献立を報せるような軽さでえげつないことを言う。


 だが、確かにそうだと思った。


「まあ、ショウタロウは美取でオナニーしてるっつーんだからな。単純に性癖がどうの性欲がどうのという話じゃない……あいつの秘密は、あいつの人生に関わる秘密なんだ。学校で立場が悪くなった程度の話にはならない……」

 

「その通りよ。最高だわ」


「それだけじゃないぞ。話はきっと、学校の中に留まらない筈だ。……なあ、お前、男子が自分でオナニーをしていると知ったらどう思う?」


 前を歩く甲塚が、一つ咳払いをした。振り向いた彼女の顔は少し赤くなっている。


「あんたね。その……お、……そういうこと、あんまり女子に聞くもんじゃないよ」


「実際に、美取はそういう立場になるんだ」


「……」


「分かるか? もう、ショウタロウだけの話じゃないんだよ。殆ど無関係の美取にまで、この件は飛び火する。臼井家の事情が、世間の目にさらされるんだ」


「そうね――くくく。まさか、桜庭どころかヤマガクまでぐちゃぐちゃに出来るなんて、期待以上の成果だわ」


 俺は目の下を押して、溜息を吐いた。


 幾ら言ってもこいつに迷う気持ちは一切無いという感じだ。俺が言うどんなことも、都合の良い風に受け取られてしまう。こんなのは甲塚らしくない。普段の彼女なら視野を広く持って、様々な事象の意図を冷静に探るのに。……今の甲塚は、何か、目の前の成功を盲信しているようじゃないか。


 俺が、拒否するなんて露とも思ってないらしい。


 ――あなたは誰かを拒否することを覚えないといけません。


 そんなこれからのことを見透かしたような東海道先生の言葉が、なんだって今身に染みるんだ。


「甲塚。お前は、本当に、とんでもないことをしでかすつもりなんだな……」


 思わず、呆然と呟いた。


「何言ってんの。こんな最高な秘密をあの臼井から引き出したのはあんたじゃない。正直驚いたわ。今まで失敗ばかりだったのに、最後の最後でホームランを打つなんてね。聞き耳を立てていて驚いたのよ。見事に、臼井の心につけいったものだと思ってさ」


「――ちなみに、お前はショウタロウの秘密をどうやって暴露するつもりなんだ。何か、考えはあるのか」


 甲塚は薄らと光る窓辺に寄りかかる。光の加減でか、彼女の肌が銀色に光っているようで、綺麗だと思ってしまう自分がいた。


「そうね。証拠になるのが音声データだから。SNSで桜庭生徒に向けてデータをばらまくっていうのはどうかしら。生徒全員に行き届かないにしても、臼井の秘密は噂話でどんどん広まっていく筈よ」


「噂か……」


「ああ。でも、皆は飯島美取と臼井ショウタロウが家族だってことすら知らないんだった。となると、同時にその辺り、報せないといけないわね。学内の掲示板に勝手にポスターを貼るとかさ。あんた、ポスター作り手伝いなさいよ。そういうの得意なんでしょ」


 寄りかかった甲塚の真正面に対峙して俺は、散々考えた挙げ句にこんな言葉で彼女の肩に触れた。

 

「甲塚。こんなこと、やっぱり止めにしないか?」


 すると、甲塚は横を向いてドライな皺を口の端に寄せる。


「それも良いかもね。私達が長い間追いかけてきた計画の成功をみすみす逃して、あとの二年間の学生生活を死んだ気持ちで送るのも悪くないかな」


 ――そんな軽口を返す彼女は、あくまで俺が冗談を言っていると思っているようだ。


 そんな彼女が痛々しくて堪らず、俺は両肩を掴む。


「俺は本気で言ってるんだ。甲塚っ」


「……へ?」


 甲塚の反応は、俺が予想していたものとは全然ちがう。俺がこんなことを言い出すとはちっとも予想していなかったような声で呻くので、逆にこっちがショックを受けてしまった。


「お、俺たちは、ショウタロウの秘密を知ることができた。もう、人間観察部の計画はここがゴールってことにしようぜ。これ以上の行程は誰かを傷つける作業しか残っていない」


「え……う――な……何で……」


「もう、終わりにしよう。全部」

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