第180話 聖夜の悪夢

 ――冷静に考えれば、俺がリアルですけべ絵師だと明かした男は、こいつが初めてということになるのか。郁に対して絵を見せたときは、人前でパンツを脱ぎました! みたいな照れがあったけど、今は目の前の男の性癖に刺さるのか、すけべ絵師として緊張している俺がいる。


「凄いな……」


 ショウタロウは心から感心しきった風に呟く。しかし、性癖に刺さった、というよりは絵を閲覧した人の、リアクションの多さに驚いているようであった。


 少しガッカリした気持ちでスマートフォンを取り上げると、お伺いを立てるような声色でこんなことを言ってきた。


「いや。本当に凄いよ、蓮。絵を描いてるとは知っていたけど、こんなに上手だったとは……。めっちゃフォロワーいたし、プロになれたりするんじゃないかい」


「俺の将来なんて、今はどうでも良いだろ。同級生が、すけべな絵を描いている奴だったんだぞ。まずその辺りにショックを受けろよ」


 ショウタロウは不思議そうに俺の顔をじっと見つめると、次第にニタニタと笑い始めた。


「なんだよ、蓮。急にそんなことを言い出して、一体どういうつもり? もしかして、僕を担いだりしている?」


「担いでなんかいない。……笑うなよ?」と、無意味とは感じながらも一応忠告して続ける。「お前が毎日オナニーをするように、俺は毎日すけべな絵を描いているんだよ。……いや、何を言ってるのか自分でも良く分かってないけど、とにかくそうなんだ。動機は性欲とは言い難いし、お前みたいに性欲があるからハッキリとあの子が好きだ、なんて分かるわけでもない」


「……」


 ショウタロウは尚もニタニタ笑っているが、それはどこか感情と顔の筋肉が乖離しているように思えた。被った仮面を外し忘れているみたいだ。


「けどな。これで、毎日すけべな絵を描くってのも大変なんだぜ。俺のすけべ絵なんてどんな奴に需要があるのかも知らないし、ある日突然、全人類から見放されるような夢をたまに見るんだ……。けど、俺はこうして、毎日毎日コツコツと、すけべを研究してはすけべな絵を描いているワケだよ。そういう生活、お前にはあまり想像付かないだろ」


「付かないね~」


「だろ? そういうわけだ。お前、今度俺のすけべ絵で抜いてみろよ」


「ダハハハハハ!!!」


 ショウタロウは今度こそ爆笑し始めた。

 

「笑うどころか、爆笑してんじゃねえか。何なんだよ」


「いやいや……ハハハハ!! これを笑うなって無理だって! 意味分からないし! え!? 蓮がエロい絵を描いている絵描きで、僕に『俺の描いたエロ絵で抜け!』って……そんな真面目くさった顔で何を言い出すんだよ!? ハハハハ……」


「まあ、正直抜かなくても良いんだけどさ。世の中には、お前と同じくらい馬鹿ですけべな思春期が生きているってことを言いたかったんだ」


「ハ、ハハ……」


「どうしようもなくオナニーをして、死にたくなるような賢者タイムに俺の絵を見て笑うんでもいい。同い年の男が必死こいて描いたと知れば、ただのすけべ絵でもこの世に一人じゃないって感じが――しないかな?」


「……」


 笑いを収めたショウタロウは、いきなりスマートフォンを取り出して何か操作をし始める。それが済むと、スッキリした顔で俺に向き直った。


「オッケー。蓮のことフォローした」


「あ、そう」


「でも、『俺の描いたエロ絵で抜け!』って言うんなら、一日二回は投稿してもらわないと困るね」


 俺もスマートフォンで、自分のフォローしているユーザの中からショウタロウを探そうとした。だが、有象無象とも言えるフォロワーの中にはデフォルトアイコン、プロフィールも無しなんてユーザーだけでも数え切れないくらい存在する。それに、フォロワー数なんていつも減ったり増えたりしているし……アイコンだけじゃ分からないな。


「それと、僕は着衣エロが好きなんだよ」


「そんなん知るかっ。お前の性癖に寄せるつもりなんて毛頭無いし、興味も無いっつの。あと一日二回なんて絶対無理。こっちは学生なんだぞ?……というか、ちょっと待て。お前SNSアカウント持ってたのか? アカウント名は?」


「ばっかだな。教えるわけないだろ。それに、見たって僕のアカウントとは分からない。何にも投稿してない裏アカだからね」


「ハア?」


 隣に座っていたショウタロウが、胸を揺らして笑いながら立ち上がる。


「……帰るのか?」


「うん。なんか、今日はもういいや。帰って寝る」


「……」


「宮島と仲良くしなよ。君は多分、君が思っているよりは、ほんの少しだけ良い奴だよ」


「それ褒めてんのか? 貶してんのか?」


 俺の問いには答えず、ふらふらと職員玄関の方へ向かって行くショウタロウの後ろ姿を見送った。


 ……さて。俺も早く郁が待つ教室へ向かわなければ。とんだ時間を食ってしまった。


 と、俺も立ち上がったところで突然廊下の奥から「ダハハハハハ!!!」とけたたましい笑い声が聞こえてきたのでギョッとした。その方向に懐中電灯を向けると、曲がり角から顔だけ出したショウタロウがこんなことを言う。


「おい、蓮。今日はクリスマスだよ!? こんなクリスマスある!? ハハハハ!!!」


 ……そういえば。今日はクリスマスだったな。


 聖夜に俺たちは、オナニーだのすけべだのと、何を深刻に話し合っていたのか。そう考えたら思わず噴き出してしまった。


 その時、今度こそ俺のスマートフォンの着信音が鳴る。小さく笑い声を挙げながら耳に当てると、スピーカーの奥から静寂が鳴っていた。


「郁。待たせて悪かったな。今校舎にいるけど」


「よくやったわね、佐竹」


「え。……こっ」


 俺は慌ててスマホの画面を見た。――通話相手は郁じゃない。


 急速に汗が冷える。


「甲塚、お前……!?」


「ここよ」


 逆の耳から聞こえた声が、僅かに遅れてスマホからも聞こえてきた。


 目の前のトイレを懐中電灯で照らすと、女子トイレ出入り口の影からドレス姿の甲塚が優雅に登場する。胸を支えるように腕を組んだ彼女が俺の前にやってくるのを、悪夢を見ているような心地で見つめた。


「――お前、いつから!?」


「最初からよ。あんたと別れた後、臼井の様子が変なことに気が付いてね。パーティーからずっと尾けていたってわけ」


 本気を出した甲塚の尾行を発見するのは、素人には非常に難しいことを俺は知っている。それは単に身を隠したり、距離を離して跡を追うという技術のことじゃない。人間の心理の隙を巧みに付いたり、時には神がかり的な予知能力を発揮するのだ。


 こいつはストーカーなのだ。


 俺と美取の視界から消え去り、郁の捜索から免れることなど、息をするのと同じくらい簡単なことだった――


「あんたのお陰で、やっと臼井の秘密を確認できた。ありがとうね、蓮……」


 甲塚は俺の思惑を他所に、少し俯きながら俺の肩に手を置いて笑った。こんな仕草は彼女には珍しいが、当然かも知れない。半年間もの間――甲塚にとっては、それこそ入学以来求めていたショウタロウの秘密を、今手にしたのだから。


 きっと青ざめている俺の顔色は、この暗がりで見えないんだろう。懐中電灯の明かりは俺の足下を情けなく照らしていた。

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