第176話 闇の奥から呼ぶ音

 急いで体育館に戻るとすっかり撤収作業は終わっているらしかった。すでに照明もステージ前のもの以外全部落とされていて、残っていたのはその僅かな明かりを頼りに、何かを話し込んでいる氷室会長と小薮先輩だけ……。


「おーい。どうしたーっ」と、暗い会場に姿を見せた俺に声を挙げる。「もう出入り口閉めるぞー!」


 え!?


「出入り口、もう閉めるんですか? 校内に残った生徒はどうするんですか?」


 慌てて二人に駆け寄ると、首を捻った小籔先輩が「校内に人なんて残っていないでしょう。立ち入り禁止の看板、見ていないの。中には入れないわよ」と逆に聞いてきた。


 ……見覚えはないが、身に覚えはあるな。


 甲塚の化粧を直しに廊下へ行ったとき、三角コーンで作られた仕切りのようなものを越えている。特に気を払わなかったが、仕切られているということは向こう側は立ち入り禁止だったってことなんだろう。


「……パーティーのついでに、教室に忘れ物を取りに行った奴がいるんですよ。そいつと合流したいんですけど」


 すると、氷室会長と小籔先輩が困ったような顔を見合わせた。


「小薮さん。今の話、聞かなかったことにするのが良いと思うんだけど」


 氷室先輩はさらりと酷いことを言い出す。


「そうね。聞かなかったことにするわ」


「……小籔先輩まで!? なんで!?」

 

「私達が出入りを禁止にしているのはね、外靴のまま校舎を歩かれたら困るからなのよ。今日はみんな土足で入れていたでしょう?」


「あ……」


 言われて見れば、そうだった。出入り口に靴底をこそぐマットがあったとは言え、体育館には靴の履き替えもなしに上がり込んでいる。


「年末の大掃除でどうせ綺麗にしちゃうからそういう風にしているんだけど。パーティー客が校舎の中まで踏み込んだとなると大変なのよ。きっと、校舎中を掃除しろ、なんて言われる。私達がね」


「校舎に上がりこんだのなんて、その女子一人なんだろ? それで校舎中掃除するなんてアホらしいだろ。だから、蓮も他言無用で頼むな」


「じょっ――女子とは言ってないでしょ……」


「お前、男子の友達なんて俺以外にいるのか?」

 

「……」


「まあ、それは置いといて。体育館から校舎への通用口は、もう鍵閉めちゃってるんだよ」


「え……。だったら、開けて下さいよ」


 気軽に頼み込むと、氷室会長は眉間を開いて笑いだした。


「あっちの鍵持った先生も、もう引き払っちゃってんの。忘れ物したっていう友達のことは残念だけど、まあ、休み明けに冷たい遺体になって見つかるのを待つしか無いね」


 とてもつまらない冗談だったので、普通にイラッとしてしまった。「冗談は良いから、早いとこ開けてください。こっちは急いでるんですよ」と低い声で呻いたら、氷室会長に代わって小薮先輩が話し始める。


「悪いんだけど、そこは冗談じゃないのよ。私達、外に出るところの鍵しか持ってなくて。トイレとかは見て回ったんだけど、校舎に人が残っているとは思わなかったの」


「……それじゃあ、郁は校舎から出られないってことですか!?」


「そんなことは無いわ。警備員さんが定時で巡回している筈だから、見つかったら摘まみだしてくれる筈よ。……それか、一階の窓から外に出るか、かな。多分警報なるけどね」


 ……え? マジ?


 それじゃあ、今校舎の中じゃ郁とショウタロウが二人きりってこと? しかも、俺は侵入すら許されないの?


「ほら。分かったらとっとと出ろ出ろ。お前がいたんじゃ俺も小籔さんも帰れないじゃないか」


 氷室会長が、蝿を払うような手つきで俺を外に出そうとしてくる。なんだか気に食わないので、「……ところで、二人残って何話してたんですか?」と、聞いてみた。


「……」


 俺としては、少し二人の仲をからかってやり返すつもりだったんだ。ところが、途端に氷室会長の顔が赤く染まって、黙り込んでしまうじゃないか。


 ……気まずい空気になってきた所で、慌てた様子の小薮先輩が「ちょっと。違うのよ。普通に掃除の打ち合わせしてただけだから」と割り込んできた。


「そうなんですか? 氷室会長」


「あ。うん。……へへっ……」


 力なく笑う彼の表情には、心中を察するに余りある悲壮感が溢れている……。


 なんだか氷室会長の思惑を邪魔したらしいので、俺は慌てて体育館から外に出て行った。


 *


 正面玄関は始めから締まっている――体育館からのルートもダメ――と、校舎の周りをうろうろして侵入経路がないか探しているが、犯罪意外に思いつくものは無い。


 というか、ショウタロウは本当にいるのだろうか? あいつも俺と同じように締め出されているなんてオチじゃないだろうな。……取り敢えず、郁に連絡だ。


 誰もいないグラウンドのベンチに座って早速呼び出すと、一コールも鳴りきらぬうちに通話が繋がった。


「郁。ショウタロウは?」


「まだ」


 俺は思わず片眉を吊り上げた。


「……まだ、来てないのか? 体育館の仕事ならとっくに終わってるぞ」


「知らないよ、そんなの。とにかく臼井君はまだ来ていないの。……蓮は? 蓮は何してるの?」


「ちょっと困ったことになって……。もう体育館も、正面玄関も締まっちゃってるんだ。中に入るどころか、外にも出られないんじゃないか?」


「……」


「郁、聞いてる?」


「寒い――夜の校舎って、こんなに寒いんだ――」


 スピーカー越しに、彼女が肌を擦る音が聞こえてくる。心なしか、声も震えているようだ。


 暖房が付いていないんだ。この時期は校舎の何処に行っても暖房は効いているもんだが、それが全部停止しているとなると……室温はかなり低くなる筈だ。


「蓮、早く来て。なんか怖いよ……。皆、私を置いてけぼりにして笑ってたりしてないよね? こんなところで一人でいて、馬鹿みたいだよ」


 ……確か、不幸の順番はひもじい、寒い、もう死にたい――だっけ?


 あんだけピザを食ってたのに、ひもじい? いや。最初のステップを飛ばすにしても、郁は寒い暗闇の中一人でいるわけだ。誰だって不安な気持ちになるだろう。


「被害妄想だよ。とにかく、何とか侵入できるところを探すから。郁も、見切りを付けたら早いとこ人を探して出して貰いな」


「でも、臼井君の秘密はどうするの? 察しが付いたとは言ってたけど、確認はしないといけないんでしょ?」


「……それは後から考えれば良い。あいつが来ないなら、今夜のことはご破算だろ」


「私、ちょっと臼井君に連絡してみるね。蓮、とにかく早く来て」


「分かった」


 電話が切れた。


 しかし、どうしたものか……。早く来てとは言われたが、さっきから侵入するルートを探してうろうろしていたんだ。物理的に、という話なら窓をぶち破って入れば良いから簡単なんだけど――どう考えても、大ごとになるしな。


 ……そういえば、正面玄関にインターフォンがあったっけ。あれがどこに通じているのかは知らないが、正攻法となるとあそこしか無いか。よし。


「佐竹く~ん」


 早速、グラウンドから移動しようとしたところで、何処からともなく聞き覚えのある声が聞こえてきた……。校舎裏手の方をよく見ると、ギターケースを担いだお姉さんが歩いてきている。よく見ると――


「……東海道先生!!……東海道先生!?」


「あら。どうして二度も驚くのでしょう」


 ……そうだった。今日の彼女は常識的な服を着ているんだった。見慣れないので、近づくまで全然分からなかったぞ。


「あなた、こんなところで何をしているのかしら。早く帰らないと、ご両親が心配なさいますわよ」


「いや、それが――どうも、校舎に郁が閉じ込められちゃったようで、困ってたんです」


 東海道先生は大いに目を丸くした。


「宮島さんが? 閉じ込められた? どういうことかしら?」


「体育館も締めているし、正面玄関も締まっているんです。だから、迎えに行くこともできなくて、郁が出ることもできなくて……。俺、どうしたら良いんでしょう?」


「あはは。あなたたちって、たかがそんなことで大騒ぎできるのねえ」


 口を抑えて笑い出す。こっちはこれで切羽詰まっているというのに、なんか余裕そうだ。


「……あれ? そういえば、先生は何処から出てきたんですか?」


「職員用玄関に決まっていますわ。職員なのですから」


「あ――」


 職員用玄関。


 何で俺はこんな簡単なことに思いつかなかったんだろう。東海道先生が笑い出すのも納得だ。


 確かあそこは受付窓口があって、外部の人間が来訪した際に対応したりしているのだ。今は警備員辺りが詰めているところだろうか。……俺はアホだ。


 東海道先生は、恥辱に塗れた俺の顔をニヤニヤ眺めながら、「わけを説明して、入れて貰いなさい。ご迷惑をお掛けしないようにね」と言って去って行った……。


 ……にしても、ショウタロウは一体どういうつもりなんだろう。校門から出ていく人の中にあいつはいなかったから、校舎の中にいるとは思うんだが。だとしたら、ますます郁を呼び出しておいて自分が姿を見せないのは解せない。


 職員用玄関でわけを話すと、受付の気のよさそうなお爺さんが懐中電灯を寄越してくれた。何でも、数年前に同じようなことがクリスマスの日にあったらしい。


 ……照明の付いていない校舎というのは、これほど暗いのかと驚く。


 夜の学校ならヤマガクで見たことはあるけど、中に入ってはいないんだよな。見慣れた風景に全く光がないというのは、これほど精神を揺るがすのか。


 ひ弱な明かりを頼りに部室に向かって移動していると、急に着信音が響いた。多分郁からだろう。


 ――と、ポケットからスマホを出して見たら画面が暗い。


「……?」


 この着信音は俺のスマホから鳴っているものじゃ、ない……?


 俺は、懐中電灯の明かりを長い廊下の先へ先へと向けて闇を明かした。だが、そこには見通せない程の闇があるだけだ。


 聞き慣れた着信音は、闇の奥から鳴り響いている。

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