第175話 臼井家の母親
今夜のパーティ-もいよいよ終演が近づいてきたようだ。
これが最後の一曲になります。皆さんふるってご参加ください――というアナウンスが流れ出すと、今の今まで様子見をしていた男女カップルが、異性の相手がいない男連中、女連中までもが、これも思い出だとダンスフロアに乗り込んで滅茶苦茶な動きをし始める。
俺たちは、そんな様子を遠巻きに眺めて苦笑していた。
結局、俺と美取は二度フロアに立ってダンスをした。二度目は多少落ち着きを取り戻して、その時は会話よりも体を動かすことを純粋に楽しんで……。なんだか、俺という人間が、ようやく世間というものの一員になれたような、というか元々一員でしかなかったと気が付かされたような、不思議な気分を味わった一夜だったな。
……ただ、一つ気がかりなことがある。
さっきから、甲塚の姿が見えないのだ。
わざわざ郁が誘って連れてきたというのに、どこかのタイミングで隠れてしまったのだろうか。熱狂から距離を離して眺めている俺たちの下に、困った顔の郁がやってきた。
「ね、甲塚さん見なかった……?」
俺と美取は揃って頭を振る。
こんな時だから、キャットウォークにでもいるんじゃないかと上を見上げても姿は見えない。
「郁。あいつを最後に見たのはいつ?」
「えーっ。分かんない……。飯島ちゃんと上に行くまではいたんだけど――というか、連の方が一緒にいたんじゃない?」
「俺か? 俺は東海道先生のステージが始まる直前で別行動になったんだけど。美取さんは?」
「私も見かけて無いですね。まさか、何も言わずに帰ったりとか……」
「え? まさか――」
郁と目を合わせて、お互い同じ想像をしていることを察した。
「……あいつなら、有り得るかも」
「はあー!? 甲塚さん、ほんとに帰っちゃったのー!? あんなに一緒に踊ろうって言ってたのに、ひどい!!」
「お前が一緒に踊ろうって何度も脅したから帰っちゃったんじゃ……」
俺が冷や水を浴びせかけると、郁は怒りを引っ込めて自分の態度を思い返したようだった。それから、急に元気を取り戻す。
「……。いいや! 甲塚さんは絶対どこかにいると思う!! ダンスが終わった途端に出てくる気なんだよ、きっと! 私、ちょっと探してくる!」
「別に良いけど、ショウタロウに一声掛けていけよ。それと……」
俺がアイコンタクトで「告白の件、忘れんなよ」と念を押したら、郁は首をぐっと縮めて「ん?」という顔をした。
「……俺たち、やることあっただろ。部のことで」
「部のこと? 何?」
「……」
どうやら、マジで忘れているらしい。俺は呆れ返ってしまった。
「もういいよ。後で連絡するから……」
「え? うん。じゃあ、ちょっとショウタロウ君に声掛けてくる!」
そう言うと、郁はドレスに似合わぬ走り方で会場を移動していった。
……結局、ショウタロウの告白はダンスが終わるまで引き延ばされてしまったな。まあ、生徒会の仕事をほっぽり出していきなり姿を消す、というのはあいつの立場的にダメなのかもしれないが、この調子だとパーティーが終わった直後にでもコトを起こすんじゃないだろうか。
そこで、俺はちょっとマズいことに気が付いた。
パーティーが終わった後でとなると、どうしても美取の送り迎えとタイミングが衝突してしまう。これは、思いつきそうで思いつかなかった問題だ。
こんなに着飾った美取を一人で帰すわけには行かないし……かと言って、ショウタロウとの直接対面をすっ飛ばすのはますますマズい。
こうなったら、どうにかして美取を足止めしておく他無いだろう。
「美取さん。今日は送っていこうと思うんだけど――」
「……ごめんなさい!」
「ん?」
何故か、美取の方が困った顔をして頭を下げてきた。
「実は、今日はお母さんが迎えに来ることになってるんです。そろそろ校門の辺りで待っているんじゃないかと……」
「え? そうなんですか?」
「はい……」美取が、珍しく不貞腐れたような顔をした。「お母さん、ちょっと心配症なんですよ。渋谷から家に帰るなんてすぐなのに」
「いや、美取さんのお母さんが心配するのは当然だよ。あんたはもう少し自分が美人だって自覚した方が良い」
「やだな、冗談は止めて下さいよ」
美取は少し顔を赤くして、手を振った。
「いや、本気だから。……あのね、美取さん。もし、俺やお母さんが、美取さんを一人で帰す日があったとして、そのとき非道いことがあったらどうなると思う?」
「……」
「俺たちは、一生後悔して生きていくことしかできない。だから、俺たちが美取さんを心配に思う気持ちを冗談とかで流すのは止めて欲しいかな……」
「――」
美取は気まずそうに親指の腹で親指の爪を擦っている。これで少しは薬になると良いんだが……。
「今日は、美取さんを誘えて良かったよ。本当に楽しかった」
「そんな、私こそ蓮さんに誘って貰えて」
その時、「本日は、ご参加頂きありがとうございました――」という終演の挨拶が流れてきた。パーティーの客たちはちらほらと出入り口に向かって移動し始める。
その流れに乗って、美取を校門前まで送り届けた。
頼りない照明が照らす校門前には、既に数台の車が並んで停車している。美取はその内の赤いセダンの扉を開いた。そこで、あっと顔を上げてこんなことを言い出す。
「そうだ。そういえばショウタロウ君はどうするんでしょう」
「ショウタロウ?」
ああ、そっか。忘れがちだけど美取とショウタロウは同い年の姉弟なんだった。美取が一人車に乗って帰るのに、ショウタロウを一人置いていくっていうのは不自然ではある。
「あいつの家って、結構遠いんでしょ。一人で勝手に帰るんじゃないかな」
「でも、近くの駅くらいまでは送れますよ。ね、お母さん」
そう運転席に声を掛けると、スマートフォンを光らせていた女性が冷たい視線をこちらに向けてきた。……美取によく似て、というか美取の母親と言われて納得する程の整った顔立ちだが、目の下に疲れ切ったような影を作っている。
「ショウタロウ君?……ああ……どうかしら。あの子は、別に構わないで良いと思うけど」
そう言うなり、また黙々とスマートフォンの操作に集中する。
……なんで、この人はこんなにショウタロウに冷たいんだろう。「くん」付けで呼んでいるし、あまり関心も無さそうに見えるのは、顔に掛かった影のためだろうか。
「それより、帰って仕事の連絡しなくちゃいけなくなったのよ。ドア開いていると寒いし。美取、早く閉めなさい」
「あー……。なんか、慌ただしくてすいません。また連絡しますね」
美取は、そう言うなり後部座席に乗り込んで扉を閉めてしまった。
見送ろうと車から少し離れてたら、運転席側の窓が突然開きだす。暗闇から美取の母親が無機質な顔を出してきた。
「今日は美取の面倒を見てくれてありがとう。あなた、名前は?」
「佐竹、蓮です」
「うん。クラスは?」
クラス?
「一年B組ですけど……」
「桜庭高校、一年B組のサタケレンくんね」スマートフォンで何かを入力しながら一つ頷く。……もしかして、俺の名前をメモしている?「それじゃあ、あなたも気を付けて帰りなさい」
「あ、どうも」
それから、窓も締めずにいきなり車道に出て行った。後部座席では美取が俺に向かって手を振っている。
今のは――もしかして、警戒されたってことだろうか?
確かに、現役のモデルとなると変な輩が寄ってくるのは日常茶飯事だろうが……。まあ、クリスマスに可愛い子供を誘い出した男に警戒心を持つのは当然だけど。ショックではないが、美取に友達が出来ない理由の一端を垣間見たような気がする。
車道を走るセダンのテールランプを、ちょっと唖然とした気持ちで見送った。
あの人が美取の母親。……ということは、ショウタロウの母親でもあるんだよな……。
その時、俺のスマートフォンが震えた。――郁からだ。
「蓮? いまどこにいる?」
「校門前。今、車で帰る美取を見送ったとこ。そっちは?」
「私は体育館から校舎に移動するとこ。もう皆殆ど帰って行ってる。二次会とか行く人もいるみたいだけど、生徒会はまだ仕事があるんだって」
「……それで、ショウタロウからは?」
「う、うん。作業が終わったら、ちょっと話があるって……呼び出されたよ」
――よし。なんとか計画通りにコトが進みそうだ。俺は体育館に歩き出しながら、スマホを持つ手を入れ替えた。
「場所は? 生徒会の作業はいつ終わる?」
「人間観察部の部室だって……。作業の終わりは分かんないけど、もう帰り始めてる人もいるみたい。今日は余った食べ物を片付けて、撤去とか掃除とかは月曜にやるんだって」
だとしたら、悠長に移動している暇は無さそうだ。
とうとう、今晩、俺たちはショウタロウの秘密を――
……待てよ?
俺は、立ち止まってセダンの去った校門を見やる。郁の言うとおり、高揚したパーティー客が二次会だのなんだの騒いで、近くで空いているカラオケ店を一生懸命調べているところだった。
だが、俺にはさっきの美取の母親の態度が、そこに影を残しているように見えた。あの人がショウタロウのことを話すときの、あの冷たさは……。それに、彼ら彼女らはそれぞれ別の住まいで暮らしているという。
――そうだよ。美取とショウタロウは同い年の姉弟なんだ。双子というわけでもなく、誕生月が離れた姉と弟。そんな形の家族は、俺はあまり聞いたことがない。
そんな事実が、今までのショウタロウの態度と結びついて、シンプルな結論に行き着いた。
「そういうことか……」
「え? 何?」
「ショウタロウの秘密が分かったかも知れない。……そうか。甲塚の奴は、だから……」
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更新が遅れてすいません。
本日はもう一本エピソードを投下します。
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