第174話 小籔先輩の秘密?

 どうやら、氷室会長が小薮先輩をダンスに誘った、という状況らしい。


 なるほど……。


 生徒会一年の段取りミスによって空気が冷え切り始めた会場だ。ここは生徒会長が気を利かせて先陣を切ろうというわけか。相手を小籔先輩に選んだのは、考えてもみれば副会長だからというだけで説明が付く。彼女は責任ある現場監督なんだ。


 ところが、ダンスの誘いは二つ返事でオーケーとは行かないようだった。顔を赤くした氷室会長を前に、腕を組んだ小籔先輩がこんなことを言い出す。


「何で私? 私が副会長だからって、大人数の前で恥をかくのは同意しかねるわね」

 

 俺は、あまりにも空気を読まない小薮先輩の発言に驚愕した。


 女子にこんなことを言われたら、普通の男子なら二度と立ち上がれないだろう。少なくとも俺なら、一目散に会場から逃げ出して服も脱がずに布団の中に入り込むに違いない。周囲の男も同じ感想を持ったのか、一様に冷や汗を流して氷室会長を見守っている。


 だが、そこは生徒会長なのだった。


 軽く肩を竦めて、「別に副会長だからってわけじゃない。今日はこの会場で一番の美人をダンスに誘うって、決めてただけだよ」と、黒歴史になることがほぼ確定しているような台詞を喋り出す。


 小籔先輩を、この会場一の、美人だと――


 相変わらず表情が前髪に隠れてちっとも見えないが、小籔先輩は組んでいた腕を解き、腕を組み、再び腕を解く。


「その台詞、昨日の夜にでも考えてきたわけ?」


「一週間前から。大事に大事に暖めてたんだぜ」


 ……その割には、ありきたりな台詞だった気がするが。

 

「ナルシストは跳び上がって嬉しがるでしょうけど、私にはちょっとクドいかな」


「い、頂いたご意見は次回の参考にさせて頂きます……」


 小籔先輩が自分の前髪をちょっと掻き分けて片目を出す。


「じゃあ、今考えてくれる。もっと気の利いた誘い文句」


 おっ……。面白くなってきたぞ。


 次の瞬間、氷室会長が今にでも死にそうな顔で俺を見てきた。


 俺が黙って頭を振ると、絶望したように頭を掻きむしり、自分の太ももをパンと叩く。


「よし。……よし。分かった――土下座をする前の俺と、土下座をした後の俺。一緒に踊るならどっちが良い?」


「それを言われたら、弱るわ。あなた本当に土下座するし」


 驚いたことに、小籔先輩が片手を氷室会長に差し出した。それから二人は――小薮先輩までちょっとギクシャクした動きでダンスフロアに歩き出していく。


 すれ違いざまに氷室会長が、


「これが男ってもんだぜ」と勝ち誇った顔で言ってくるので、思いっきり顔を顰めた。あれで勝った気になっているらしいのがこの人の凄いところだ。


 それから踊り出した彼らだったのだが、これがてんでお話にならないものだった。両手を繋いで足を前に、後ろに、右手を引き、左手を引きと、Youtubeで見たお手本とはあまりにも程遠い――というか、ジャンルすら違う、お爺ちゃんとお婆ちゃんみたいな踊り方をする。


 ――誘い文句は考えてきたくせに、全然踊れてないじゃない――そ、それは、小薮さんだってさ……。あ、痛っ。あ、痛っ――


 曲に紛れて、そんなやり取りが微かに聞こえてくる……。


 練習もしていない素人二人なので、当然足もぶつけ合っているし。だが二人は――小籔先輩の表情は全く見えないが、弱り切った顔をしている割には楽しそうではあったのだ。


 だから、これはこれで良いんだろう。


 というか、二人がこれはこれで良い、ということにしたのか。


「なんか、先超されちゃったなぁ」


「そ、そうですね。ああ、ビックリした。さっきまでここにいた小薮先輩が、……ねえ!? ドラマのワンシーンを見た気分ですよう」


「うん。……ああして二人が恥をかいているんだ。後輩の俺たちが続かないとな」


 元々覚悟を決めていた俺たちなので、思わぬ先行者の出現に驚きはしたものの却って軽い足取りで空間に踏み出すことができた。


 そして、中央に立つなり美取がスカートの両端を摘まんだ優雅な挨拶をしてくる。……そういえば、こういう儀式はアニメで見たことがある気がする。ぎこちなく挨拶を返すと、早速片手を相手の脇の下に回し、もう一方で相手の手を握る基本姿勢に落ち着いた。


 俺の付け焼き刃的な知見では、社交ダンスというのは兎にも角にもこの姿勢を保てばそれっぽくなるんだ。


 動画で見た基本的は、上半身はずっとこの姿勢だったように思う。女性をくるりと回す技は、確かこう、相手の手を頭の後ろに引っ張って、肩を軽く内側に押し込んで……おおっ!!


 思いつきで挑戦した技だが、拍子抜けするほど美取は簡単に答えてくれた。くるりと回った後は、また基本的なスロー、スロー、クイック、クイック、スロー。


 ちなみに、このスローだのクイックだのは、簡単な理解で説明すれば足を浮かしている拍子を数えているのだ。スローが二拍子かけて踏むステップで、クイックが一拍子だけで踏むステップ。この原則さえ分かっていれば、多少足を適当に動かしても何とかなる……と思う。


「美取さん、もしかして、結構、練習、したりしました?」


 ……なんか、スロー、スロー、クイッククイックを意識するあまり言葉の節目もそれに合わせてしまうな。


「そりゃそう、ですよおー! 男子に、ダンスに、誘われて……当日私が、踊れないんじゃ、恥ずかしい……。練習相手は、お母さん、ですけど」


 そうそう。社交ダンスの厄介なところは、基本的に相手役がいないと練習が捗らないってことなんだよな。俺なんて、今朝の郁との練習が初めての実践形式だったんだ。


 そういえば、今朝の踊りと今とじゃまるで違うな。やってるステップは殆ど同じ筈なんだが、既に上級者の域に達している郁はダンスというよりはスポーツって感じだし。――いや、スポーツというよりはアトラクションだったし。


 そんなことを考えてふと郁の姿を探したら、回る風景の中に右へ左へと大きくステップを踏んでいる彼女がチラリと見えた。あれじゃショウタロウの方は苦労するだろうな……。それに、今まで足下ばかり見ていたので気付かなかったが、ダンスをする人間が周囲に湧いてきているぞ。


 参加者の腕前は大体似たり寄ったりで、俺と美取のコンビはその中でも上手い方だと言えた。勿論上位には郁とショウタロウがいるのだが、意外にも明らかに素人ではない男女が他にもちらほら混じっていたりする。


 ちなみに最下位は相変わらずちょこちょこ足を動かしている氷室会長と小籔先輩なんだが……あまりにも動きが小さいからか、ずっとど真ん中で足を蹴り合っていたようだ。


「美取さんが小籔先輩と知り合いだったとは思わなかったな。中学時代は仲良かった?」


「私も、桜庭で生徒会やっているなんて驚いたんですよ」


 互いの呼吸が合ってきたからか、軽く喋りながらステップを踏めるようになっている。

 

「私、中学校では生徒会をやっていたんですけど、一つ上の生徒会長が小薮先輩だったんですよ」


「……ああ。だから、さっきは小薮会長って。しかし、あのキャラで良く選ばれたもんだな――幾ら有能な人とは言っても、あの見てくれじゃ第一印象ってもんがあると思うけど」


「それが、違うんですよ」


 美取は言いにくい話を始めたようで、踊りながらも器用に顔を近づけてきた。


「違うって?」

 

「今の小籔先輩、私の知っている彼女とは全然違くて。……中学時代は、生徒会長でありながら陸上部のエース! だったんですよ?」


「ははっ。冗談だろ……」


「ほんとですよっ!」


「あの小薮先輩が……。陸上部……?」


 流石に信じられない。あの人、体育会系の「た」の字もないだろ。


「写真を見ても、きっと分からないと思います。昔の先輩はミディアムカットくらいで、肌が焼けていて、それはそれは綺麗なスポーツ女子だったんですからね」


 俺は、そんな時代の小籔先輩を想像してみようとした。が、上手くいかない。冷静に考えたら俺は彼女の顔を直視したことが無いのだ。見えるのはせいぜい前髪の隙間から見える片目だけで……肌の色は、真っ白いし。

 

「――それが、どうしてああなっちゃうかな。変なオカルトにでも嵌まったのか?」


 美取が更に顔を近づけて、言った。


「……三年の夏に、交通事故で。……顔に傷が」


「え――」


 顔を離して、くるりと回ってステップを大きく踏む。


「事故以来、学校で姿を見ることは終ぞなかったのですが――この学校で、良い人が近くにいたみたいで、学校生活を楽しんでいるようで、私、嬉しいんです。クリスマスにお願いしたプレゼントが、急に枕元にあったみたい。あははっ。蓮さんがサンタさんだったんだ!」

 

 素朴に喜んでいる美取を目の前に、俺はすっかり血の気が引いていた。


 ――まさか、小籔先輩の見てくれにそんな理由があった、とは。


 あんたは不気味だ、なんて面と向かって言ったことはない。が、今までの俺の態度に、彼女を気味悪がる素振りがなかったとは思えない。だから、小籔先輩は勿論、俺が抱いている印象に気が付いていて……その上で……。


 理由を知らなかったとはいえ――いや、あんなに常識離れしたナリなんだから、理由はあると察するべきだったんだ。俺の馬鹿っ。


 考えてみれば、そうだ。氷室会長は美人だ女子だと騒いでいる割に、小籔先輩をその枠から一度も仲間はずれにしたことは無かったじゃないか。


「……あっ」


 ――そういうことか。


 氷室会長も俺と同じだったんだ。


 尊敬する人を憐れに思うくらいなら、自分が笑いものになる。そんな男なんだ……あの人も。ただし、氷室会長の場合はそれを突き詰める余り、いつの間にかそれが自然体になっていたんだろう。


 踊りながら一人反省会している内に、いつの間にか一曲目が終わっていた。


 始めから踊りっぱなしだったので、流石に体力的にキツい。逃げるようにテーブルのある一帯へ戻ると、後から氷室会長と小籔先輩がふらふらやってきた。緊張と運動の続けっぱなしで、全員が汗だくだ。


「蓮。蓮。ちょっと」と、ふらふらの氷室会長が俺を手招きするので、二人で体育館の角に歩いて行く。


「な、なんですか。……疲れてるんですけど」


「おっぱい、触れたか?」


「――? ……」


 幾ら考えても、話の流れが分からない。


「おっかしいな。俺、あんたとおっぱい触る約束しましたっけ? してたら、思いっきり後悔出来るんですけど」


「いや、そっち結構密着してたじゃん。だから、おっぱい触ったかなって……触ってないの? いや、敢えてやるっていうんじゃなくてさ、こう、ステップの食い違いで事故ったりして……」


「逆に、俺が触っていたとしたらどうするつもりだったんです?」


 氷室会長は、何も言わずにねっとりとした握手を交わしてくる。……間接乳揉みってことか? 気味が悪いので慌てて手を振り払った。


 ……こいつは――こいつは、本当に何なんだ?


 氷室会長という男が、俺には分からない……。

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