第173話 氷室会長と小薮副会長

 東海道先生がステージを去ると、いつの間にか美取と二人きりになっていたことに気が付いた。演奏に夢中で気が付かなかったが、丁度中央のスペースの反対側でショウタロウと一緒にいるらしい。


 ……あ。そうか。この後、いよいよダンスがあるんだ。だから俺は美取と一緒で、郁はショウタロウと一緒だと。なるほど。


 先生が演奏したのは主に邦洋今昔問わないクリスマス曲だったのだが、意外にも最近流行しているアニメのオープニング曲を前口上無しに演り始めるので、ステージに集まる生徒達を大いに盛り上げてしまった。


 ……そのせいか、中央スペース辺りに屯している男女のテンションは軒並み高い。ある男子は「俺、全然ダンスの練習してこなかったんだけど」とテスト直前みたいなセリフを呻き、ある女子は「ねえ……マジでやんの?」と及び腰になっていたりする。何となく、消極的ではあるが積極的な――矛盾しているけど、本当にそんな感じなんだ。


「蓮さん」


「あ……はい?」


 ダンス交流会の準備で生徒会が慌ただしく駆け回る中、隣の美取が声を掛けてきた。


「誘ってくれて、嬉しかったよ、ありがとう――今日」


 驚いて彼女の方を向いた。俯いて、顔を赤くしているのは突然敬語を止めたからだろうか。


 美取が真面目ぶった口調だから俺もそれに合わせていたのだが、そもそも俺たちの関係の始まりはインターネットで、そこでは敬語が標準語みたいなものなのだった。俺はすけべ絵師のrensで、美取さんはすけべ絵愛好家の3take――そういう関係の一線を、彼女の方から超えてきたような、そんな感じがする。


「お礼を言うのはこっちの方だよ。今日は来てくれて感謝してる……。こういうの、一人で来るのってちょっと敷居高くてさ」


「私も、一人じゃこういうのは行かないですねえ」


 あれっ。敬語に戻ってる!?


 ……まあいいか。この人は、やっぱりこういう言葉遣いの方がしっくり来るし。


「その割に、クリスマスっていつも一人で寂しくて……。今日は色んな人と喋れて……」


「どちらかと言えば、ウチの高校の恥ずかしい部分がフィーチャーされた一日だった気がしますがね。Tiktokerに追っかけられたり、Tiktokerに写真写真とねだられたり――Tiktokerって何であんなに禄でもないんだろう」


「それでも、私楽しくってえ、え、う、うっ……」


 さらに驚愕した。


 祈るように手を合わせる美取の目に、涙が浮かんでいる。


「泣く程のことですか!?」


「あ、あ、すませっ」


「あなた、美取さんを泣かしたの」


 いきなり喋りかけられたと思ったら、小籔先輩が背後に立っているじゃないか。目の前では生徒会連中が慌ただしく働いているというのに、こんな所で油を売っているのはキャラに合はないと思うのだが。


「いや、別に俺が泣かしたワケじゃ――小薮先輩は現場監督、でしたっけ?」


「それもあるけど、そろそろ活動の主体を一年生に譲らないとね。仕事を引き継ぐっていうのも、これで色々考えないといけないの」


 言われて見れば、今働いているのは殆どが一年生……何故か一ノ瀬の軍団が混じってはいるけど、大多数が一年なのは間違いない。


 ただし、郁の隣に立って笑うショウタロウは別だった。あいつだけは、何故か作業に参加することもなく郁の話に機械的な笑みを浮かべて、視線はどうしてか、俺たちの方に向いている。


 ……いや。見ているのは俺たちじゃなくて、美取……?


「小薮会長! じゃなかった……小薮先輩もダンス踊りますか!?」


 小籔先輩は、息で長い前髪をふわっと浮かすと、頭を振った。


「残念だけど、私は美取さんみたいに素敵な男性に誘われているわけじゃないから。それに私のキャラでダンスってのも、どうも」


「小薮先輩……」


「まあ、こんな不気味な女を誘う男なんて、こっちから願い下げだけど。あなたたちは私に構わないで、盛り上げ役でも請け負ってくれると助かるわ」


 この人、不気味な風体しているって自覚あったのかよ……。


 俺たちが曖昧な頷き方をした途端、スピーカーから生徒会女子の「みなさん、今晩はお集まり頂きありがとうございました――」という物寂しい過去形からの挨拶が聞こえてくる。いよいよダンスが始まるのか。……気が重くなってきた。


 そういうわけで、開始の挨拶がそのままダンス交流会が始まる合図ではあったんだが、いきなり音楽が流れ出した会場で、この空白地帯に文字通り躍り出るヤツはそういない。


 それもその筈だ。幾ら東海道先生の演奏でテンションが上がっていたって、今最初に出て行けば会場中の視線を集めることになる。しかも、殆どの人が慣れていないダンスで、だ。


 困惑した顔を美取と見合わせてから小籔先輩の方を向くと、彼女は俺に聞こえる程の溜息を吐いた。


「段取りミスよ。本当は、音楽を流す前に踊る人を呼び込む工程があったの」


「あー……。なるほど」


 そんな話をしながらも音楽は鳴り続け、本日の〆とも言えるダンスの時間は過ぎていく。次第に、中央スペースを囲う困惑はどよめきに転じてきた。


 ――この時俺は何を思ったのだろうか!?


 ちょっと会場の雰囲気がマズいかな、と思った次の瞬間には、汗ばむ手で美取の手を取り、「……行けますか!?」とヤケになって尋ねていたのである。


「……行けます!!」


意を決したように強く頷いた美取を前に、俺は今の一瞬に自分の思考の断絶があることを自覚したのだ。そして、


 この時俺は何を思ったのだろうか!? と、驚愕したわけだ。


 うん。


 誰もいないダンスフロアへ踏みだす自分の足を眺めながら、


 ――俺がヤケになった理由は三つ考えられる……と、嫌に冷静な自分が分析を始める。


 一つ。この会場に人を集めた責任の一端の、さらに端っこくらいは摘まんでいる自覚があったこと。


 一つ。泣くほど感謝していた美取に、最後の最後で変な思い出を持ち帰って貰いたくなかったこと。


 一つ。なにより、隣に小薮先輩が立っていた。俺は、本日の仕掛け人であるこの人を憐れに思いたく無い。


 どうやら俺は、尊敬している人を憐れに思うくらいなら、自分が笑いものになることを選ぶ人間らしい。


 その判断に覚悟や決断といったシーケンスは存在せず、ただ「この人可哀想だな」という気持ちの気配を少しでも感じたら、馬鹿な行動に突っ走ってしまうのだ。


 なんで今そんなことに気が付いたんだろう。


 でも、思い返せばそんなようなことは何度かあったような……。


「あれっ?」


 いざ踏み込む直前に、美取が足を止めてスペースの中央を指差す。


 誰もいないダンスフロアを、顔を真っ赤にした氷室会長が、ギクシャクと一人で横切っている……。しかも、目的地は俺たちが立っている場所らしい。


 ……。


 え? まさか、美取をダンスに誘うつもりなの!?


 確かに美人と聞けば万歳三唱するような氷室会長だが、この会場一の美少女をダンスに誘うような行動力があるとは――いやいや。そういうことじゃなくて、美取をパーティーに誘ったのは俺だぞ!? 主催者の権利を行使するつもりなのか!? そんなもんあるか知らんが……。


 ――と、心配する俺の横を通り抜けて会長は小籔先輩の前で立ち止まる。


 さっきまで動揺していた客達は、突然奇怪な行動に走った氷室会長を見ていた。これから何か凄いことが起こる予感が会場に漂っている。


 氷室会長の顔面はありもしない湯気が見えるほど火照っているようだ。対して小薮先輩は相変わらず表情が見えない。


「小籔さん。俺と踊ってくれないか……」

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