第171話 東海道先生の大事なお話

 体育館に戻ると、既に教員の演し物が始まっていたので慌てた。


 何時の間にか東海道先生と約束した時刻を過ぎている。甲塚の化粧を直している間に、随分時間が経っていたらしい。


 今、ステージでは生徒会顧問の大室先生――地味なお爺ちゃん先生が、ハンカチを広げて立っていた。それで何をするのかと思えば、大袈裟にハンカチをはためかせて鳩の人形を出している。


 普段の授業で見慣れている教員が立っているからからだろうか。ステージ前には先程以上の人だかりが出来てはいるが、何となく白けた雰囲気ではある。よほど大室先生の手品がつまらなかったんだろう。


 そんな空気の中、甲塚とふらふらステージに近寄ると知らない女子から声を掛けられた。


「あ、佐竹く~ん。東海道先生呼んでるって」


「……東海道先生? どこに?」


 見知らぬ、多分先輩の女子生徒があらぬ方向を指差した。


「あっちだって。私も人伝で訊いたからあんまり知らないの」


「はあ」


 その方向を辿っていくと、また「佐竹く~ん」と喋りかけて来た女子に、今度は来た方向を指差された。どうやら東海道先生のいる場所というのは口伝から口伝に継いで、すっかり出所不明になっているようだ。彼女の出番はまだのようだから、どこかで待機している筈なんだが……。


「ちょっと。さっきから何うろうろしてるの?」


 勝手に背中に隠れていた甲塚が、迷惑そうに抗議してくる。


「東海道先生探してるんだよ。多分ステージに立つと思うんだけど、どこにいるのかな」


「馬鹿馬鹿しい。休日返上してまで教師と顔を合わせるっての? 私、嫌よ」


「……だったら、付いて来なけりゃ良いだろ……?」


 すると、甲塚は驚いたように立ち尽くしてしまう。


「人混みの中を一人で歩くのがそんなに不安か?」


「馬鹿にすんなっ。佐竹の癖に。……良いわ。勝手にしなさいよ」


 それから、少し猫背になって体育館後方の方へ向かって行った。

 

 なんだかショックを受けたような顔をしていたが、元はと言えば甲塚は郁が連れ回す筈なんだよな……。そういえば、郁と美取はどうしているんだろう?


 体育館上方を見渡すと――いた。キャットウォークの柵に背中を預けている郁と、それに対面するように窓辺に寄りかかる美取。背中を向ける郁の顔は分からないが、美取の方は白い歯を見せて笑っている。


 取り敢えず、あっちは……少なくとも美取は平穏そうで何よりだな。


「佐竹く~ん」


 キョロキョロしていたら、いきなり低い声で例の呼ばれ方をしたので血の気が引いた。


「……先生!?」


 いつの間にか、目の前にはさっきまで手品を披露していた大室先生が立っているじゃないか。俺はこの人の授業を受けたことも、世話になったことも、話したこともない。


 だが、対面してみれば気安そうなお爺ちゃんなのだった。いつものカーキのスーツで、ポケットに手を突っ込んで笑っている。ショボい手品で空気を白けさせたことなんか、ちっとも気に病んでいない様子だ。


 何となく、何となくだが氷室会長に似たアトモスフィアを感じる……。


「東海道先生が君を探していたんだよ」


「実は、俺も東海道先生を探しているんです」


「そうかい。だったら行ってあげると良い。彼女、随分緊張していたようだから。出番、すぐだろう」

 

「東海道先生が緊張を……」


「あの人もまだ若いからね。こういう機会に慣れちゃいないんだよ。生徒たちを盛り上げようだとか、期待に応えようだとか、色々考えちゃうんだな。その点、私なんかホラ。な~んも考えてないんだも! ハハハ!」


 東海道先生なんて、場慣れしているどころじゃないと思うんだが。彼女は売れっ子インディーズバンドの、ボーカル兼ギターなんだぞ?


 ただ、確かに気がかりなことはあるんだよな。


 彼女のバンド活動は最重要秘密なわけで、演奏をするということはその片鱗を発表する機会でもあるのだ。


「で、先生どこです?」


「ステージ横の……ほら、なんちゅったかな。備品とか置いていない方の……準備室でもなくて……」


「控え室?」


 大室先生が人差し指を立てて指差してきた。合っていたらしい。


「ま、元気付けてやりな」俺の肩を叩いてくる。「君、先生に気に入られるのは悪いことじゃないよ。私が言うのもなんだがね」


 *


 緊張しているとは聞いていたが、控え室で椅子に座る東海道先生は平静に見えた。手番は最後のようで、他の教師が座っていただろう席もあるのだが、一人も残っていなかった。


 股に挟んでいるのは、アコースティックギターって言うんだっけ。先生は白いクロスで丁寧にギターのボディを拭いている。


「先生。来ましたけど」


 声を掛けると、あっと口を開いて俺を見た。


「佐竹く~ん! 遅いじゃないの! 一体何をしていたの!」


「いや、会いに来いとは言われてなかったもんで……。ていうか、何ですか? その服」


「あら、何か変?」


 てっきり先生のことだから、ゴージャス趣味全開、フリフリ満載のドレスでも着てくるのかと思っていたのに、ジーンズに深い赤のタートルネックセーターと、近所のお姉ちゃん感満載のコーディネートではないか。背低いくせに。


「変ですよ。地味すぎます。先生のことだからドレスなんて山ほど持っているくせに」


「なあに? お、ほほほ……」先生は薄っぺらい笑い声を挙げながらも丁寧にギターのボディを拭き続ける。「わたくしのドレス姿になんて興味があったの? それならお家にいらっしゃい。日が暮れるまでファッションショーを開催して差し上げますわ」


「あなたが言うと、本当に日が暮れそうだからぞっとしないんですよ……」


「今日の主役はあなたたちなのよ。生徒を差し置いて、わたくしが目立ってもしょうがないでしょう」


「はあ。立派なことを考えましたね」


「それはそうよ。わたくし先生だもの。たまには立派なことを考えないと失格だわ」


 生徒会しかり、東海道先生しかり、よくもそこまで気が回るものだ。冷笑しているわけではなく、本気で感心してしまう。俺なら、そういったささやかな配慮の余地にすら気付かないだろう。


「それで……どういう風の吹き回しなんですか? 学校で演奏するなんて」


 先生は少しうんざりしたようにウェーブの掛かった髪を手で流した。


「風が吹かなくとも、わたくしがステージに上がることは決定事項ですわ。若手教師っていうのは、なんやかんやと仕事を仰せつけられるものなのよ。一応、クリスマスの曲なら幾つか弾けるから、お茶は濁せるのだけど……あら。愚痴の相手にあなたを呼んだんじゃないのよう」


 先生は困ったように自分の頬を撫でる。


 そういえば、先生に今日の話を聞かされたとき「大事な話がある」とか何とか言っていた気がする。


「あ……もしかして、家の件ですか? お母さんと、決着が付いたとか?」


「ええ。……母に、話したわ。色々なことを。わたくし、佐竹君の言うとおりにしたのよ」


 先生が俺の言うとおりに……なんていうものだからドキリとした。あの夜は色々ありすぎて、アドリブにアドリブを重ねて先生を励ましていたような気がする。


 ――先生の人生が、大きく動く現場に立ち会っていたのだ。咄嗟に出た俺の言葉を、まさか鵜呑みにしてしまうとは思わなかったんだが。


「どうなったんです!?」


 思わず顔を近づけて聞いた。


 ……いや、なんかこの人ケロッとしているし、案外良い方向に事態が展開して――


「どうもこうも無いのよ。わたくし、あのお家を追い出されることになっちゃった」


「え゛」


「そういうわけで、佐竹君。責任取ってくれる?」


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更新が遅れてすいません。

本日はもう一本エピソードを投下します。

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