第164話 制服の理由
後ろ手に体育館の出入り口が閉まると、人混みの奥から湧いたTiktokerたちが窓に張り付き、ガチガチと顎を鳴らし始めた。氷室会長が涼しい顔でカーテンを閉めて、俺たちをステージ前へ案内する。
「この狂騒のしようは一体何なんですか。というか、クリスマスパーティーにこんなに人が来るとは聞いてませんよ」
体育館の中は誰も彼もが走り回っていて、埃が浮くほど騒然としているのだった。働きに出ている連中はどうも生徒会だけじゃないらしい。どこぞの運動部を手伝いにでも駆り出したんだろう。
そんな状況ではあるけれど、いつもの体育館と雰囲気が違うのは一目瞭然だった。
中央に開いたスペースをぐるりと取り囲むようにテーブル席を作っているのだが、その席数がよくもまあ運び込めたな、と感心してしまう位にある。きっと金曜から作業を進めていたんだろう。で、テーブル一台に大して六脚くらいの椅子が割り当てられている――のだが、奇妙なことにせっかく用意したテーブルや椅子を、みんな片付けているようなのだ。
氷室会長は歩きながら作業員を見やって、
「おおい! そこのテーブルもばらしちまえ! 人入らんだろがーっ。立席増やせよ、立席ーっ」と命令を飛ばす。と思ったら恵比寿目になって、蝿の様に手を擦り始めた。「飯島ちゃん、ごめんねええ。絶対時間までに準備終わらせるからねええ。お菓子食べて待っててねええ」
「……この騒ぎは、もしかして私に関係あるんでしょうか。私が、このパーティーに参加したから?」
「迷惑を掛けたと思っているんなら、それ検討違いだから」
「うひゃあっ!」
驚いた美取が俺の方に飛び跳ねてきた。
いつの間にか背後に小薮先輩――お化けのようなルックスでお馴染みの生徒会副会長が付いてきている。相変わらず前髪で顔を覆っているから表情は見えないけど、俺たちが反応すると早足で横に並んできた。
「あくまで、このパーティーの主催は私達生徒会。今外にいる人たちを誘ったのは私たちだし、この人数増加を見込めなかったのも私達の落ち度。美取さんは、今日を楽しむことだけ考えてくれれば良いの。心配しなくても時間までに会場は作るから、働いている様子でも眺めてゆっくりして」
「!……」
流石の美取もこのルックスに驚愕したのだろうか。
唖然とした様子で小籔先輩の顔を眺めると、
「――え?」と、小さく呻いた。
「ん?」
その美取の様子が、俺が思ったものと少し違う。これは信じがたいものを見るような、ショックを受けたような……?
そのまま、氷室先輩の案内に従ってステージ前のテーブル席に美取が座り、対面に小薮先輩が座った。
周囲じゃどったんどったん作業しているので全然落ち着く雰囲気でもないが、一応俺たちを――というか美取を、客人扱いしているってことか。何故か氷室会長が立ったままなので俺も立っているけど。
「ご活躍のようね」いきなり小薮先輩が喋り始める。「雑誌買って、読んでるわ。モデルの仕事は楽しい? 学生との両立じゃ大変でしょう」
「あ――えっと」
「私のこと、忘れちゃったの?」小籔先輩は前髪を掻き分けて片目を出した。「小薮。小薮真理。中学の頃一緒だったんだけど」
「小薮……」
美取が口を手で覆って、驚愕の面持ちを浮かべる。
「小薮、会長。桜庭にいらしていたなんて、知りませんでした」
「……えっ? 美取さんと小薮先輩が、同じ中学?」
「蓮、蓮」
急に氷室会長が慣れ慣れしく肩を組んできた。
「えっ、ちょっ、なんすか、なんすか」
そのままテーブルを後にして、校舎への出入り口に歩き出す。
「男は男で話そうぜ。俺もちょっとお前には言いたいことがあったんだよな」
「え……」
テーブルに残された二人を気にしながらも、俺は強引な氷室会長に騒がしい通用口に連れて行かれてしまった。
*
生徒たちが椅子やスーパーの袋を持って往来する騒がしい廊下で、氷室会長はいきなり俺の肩を叩いてきた。
「お前、くのぉ。やりやがったなっ」
「……俺、何かやっちゃいました?」
「カーッ」氷室会長は喉を鳴らすと、不貞腐れた様にブレザーのポケットに手をツッコんでそこらをうろつき始める。「俺もそんな台詞言ってみたいもんだね。話には聞いてるよ? お前が飯島ちゃんを誘ったんだって? そりゃそうだよな。一緒に来てるわけだし」
「ええ……はい」
「――今の桜庭高校じゃ、飯島ちゃんという女の子はYoutuberやお笑い芸人より人気があるんだ。もしかしたら、面白い猫の動画に匹敵するレベルかも知れん。……全く恐ろしいね」ポケットから片手を出して、茶色掛かった黒髪を掻き上げる。「考えても見ろ! 隣の高校に通うド級の美少女が、突然ウチの高校の芋臭い男子に発掘されたんだぞ」
「芋臭い男子って俺のことですか?」
「結果、彼女の存在は大いにバズって、今じゃ屋上から地下の配管まで彼女の顔を知らない人間はいないってんだろ?……おまけに、芋臭い男子まで有名人になっちまった」
「芋臭い男子って俺のことですよね?」
氷室会長が、じれったそうに指を立てて俺の顔の前で振る。
「俺が言いたいのは、彼女の影響力は侮れん、ということだ。学校に集まった連中は見たな? 奴らの多くは飯島ちゃんを一目見ようと――あわよくば写真を撮ってバズろうと――あわよくばお近づきになりたいと――あわよくば……エヘヘヘヘ!」
「はー」
なんとアホらしいのだろう。壁に寄りかかって座り込むと、ようやく少しだけ落ち着く。
「あー、おい。ちょっと」
氷室会長が突然一人の生徒を呼び止めて、彼が持っていたスーパーの袋から缶ジュースを二本取り出す。
その一方を俺に寄越してきた。遠慮無く受け取る。
「お前の気まぐれのお陰で、俺の努力が無駄になったのは、確かだ」
「……」
俺は黙って缶ジュースの蓋を開いた。
「こっちはこっちで、必死に根回しやってたんだぜ? 今の生徒会の体制で、最後の大仕事だからな。客席が空いているパーティーの主催なんて、皆嫌がるだろ?」
「……ちなみに、根回しって何を?」
「それが、大変だったんだよ」氷室会長が俺の隣に座り込んできた。「コトは土曜の、クリスマスの夜に時間を拝借したいって頼み込むわけだからな。馴染みのある部活を一つ一つ訪問してさ」
「土下座でもしたんですか?」
「いや、勝負を挑んだんだよ」
「……ん?」
「各部活の分野で、部活チームバーサス生徒会軍団で、負けたらパーティー、勝ったら部費の真剣勝負さ」
「はあ?」俺は思わず溜息を吐いてしまった。「あんたって、ほんっと……」
「……」
「愉快なことを考えますねえ」
「そうだろお? そうなんだよお。生徒会っつーのはこうでなくちゃいかん。幾ら真面目ぶってたって、青春したいのは高校生全員の共通認識なんだ。生徒会の仕事を、青春を犠牲にした罰ゲームにしちゃいけねえよ」
「で、勝負の成果は?」
「バスケ部と茶道部と文芸部と漫画研究会とコンピューター部とEスポーツ部と将棋部には勝ち星を上げたよ。ああ、それと料理部もな。それ以外は俺が一席落語を振るって、部費のことは有耶無耶にした」
俺は一口ジュースを飲み込んだ。
「あんたは、馬鹿なのか器用なのか分からんな……。他の文化系は分かるにしても、茶道部に勝つって一体どういう?」
「単純だよ。どっちの淹れたお茶が美味いかって、シンプルなもんさ」
「バスケ部やEスポーツ部にしてもそうですが、よく勝ちましたね。一応相手は本業なわけでしょ?」
「そりゃお前、はははっ!」氷室会長はからりと笑い声を挙げた。「勝負を挑んでいるのはこっちで、勝負の内容を決めたのもこっちだからな。本業が相手と言ったって、事前に準備しているのとしていないのとじゃ結果は全然違うよ。茶道部に関しちゃ、背中にスターバックスの抹茶ラテのパックを仕込んで、チューブを袖に通していたんだ。昔の映画と同じ仕込みで、こう……お茶を点てる動作を隠れ蓑に、抹茶ラテを注ぐんだな。茶道部の奴ら目を剥いて驚いてたぜ。空の茶碗が、みるみる抹茶ラテで満ちていくんだから」
「それ、味の勝負じゃなくて、会長のマジックに感心して、負けてあげたってことだと思うんですけど……うん、なるほどね。俺が会長の努力を無駄にしたっていうのは確からしい」
「恨んではいないがな。……ちょっと虚しいだけだ。なんか、俺ってこういう空回り多いんだなあ。どうやら伝説になる器じゃないらしい」
そう呻く氷室会長は、ちょっと本気で残念に思ってるらしい。ぼんやりと頬を擦りながら、働く連中を眺めている。
……?
ふと気が付いたのだが、見知った生徒会の顔ぶれの中に、パーティー向けの衣服を着ている人間は一人もいない。そういえば氷室会長だって制服だし、小籔先輩も、……あの一ノ瀬でさえ制服だ。
「もしかして私服禁止ですか?」
「あん?」
「生徒会ですよ。みんな制服ですよね?……あとで着替えるってわけでもないよなあ」
氷室会長はぶふふ、と唇を震わせて笑うと、一息に缶ジュースを飲み込んだ。
「そりゃ、俺たちが着飾るわけにはいかんでしょうが」
「なんでえ。生徒会だからって」
「俺たちは生徒会でもあり、パーティーの主催なのよ?……良いか? 普段着ているから忘れているのかもしれんが、制服ってのは立派な正装だよ。冠婚葬祭どこに着ていったって恥ずかしくない、高校生の戦闘服なんだぞ」
俺は盛大に溜息を吐いて立ち上がった。このくらい制服の比率が高いんじゃ、わざわざ甲塚にコーディネートを頼む必要も無かったかも知れない。
「あー、馬鹿馬鹿しい……。俺なんて、今日に備えてこの服買っちゃったんですよ」
「蓮と俺とじゃ立場が違う。参加者がお洒落をするのはむしろ歓迎だよ。パーティーが華やぐしな」
氷室会長も立ち上がって、俺の脇腹を肘で突いてきた。
「イカしてんじゃん、そのジャケット。飯島ちゃんの隣を歩くには悪くないんじゃないの」
「はあ」
「……桜庭高校って、生徒数多いだろ」
「ええ」
「それだけ、様々な家庭事情があるってことだ。飯島ちゃんのように気合いの入った服を着る奴もいるだろうし、蓮みたいになけなしの金でジャケットを買う奴もいるだろ」
「……」
「中には一生懸命バイトをして、家庭の助けをしているって奴もいる。たとえ話じゃないぞ。俺の親友がそうなんだ。……そんな奴らでも、制服なら着てこられるだろ?」
氷室会長は制服の襟を誇らしげにつまみ上げた。再び体育館へ戻っていくので、俺も付いていく。
「戦闘服ですか」
「そーうだよ。戦闘服だよ。制服だったら、少なくとも桜庭の生徒は胸を張ってパーティーに来られるんだ。だから生徒会は制服を着て、率先して、誇りを持ってそういう空間を作ろうじゃないか……っていう俺の思いつきに、皆が乗ってきたんだな。まあ、今年限りになるだろうが」
俺は、鼻白んでいた態度の自分が恥ずかしくなってきた。
……少しだけ、氷室という男が生徒会長に収まっている理由が分かった気がする。
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