第165話 肩を掴んだ手の意図は

 体育館ステージ前の席に戻ると、周りに生徒が集まっていた。


 皆、作業の途中なんだろう。椅子や掃除用具がテーブルの周りに散乱していて、なんとなくウキウキした表情で美取と小薮先輩のやり取りを眺めている。


 とはいえ、流石に美取の隣に座る厚顔無恥な奴はいない――いや、一人いるな……。


「オイオイ! コラコラ! 何やってんだお前らァ! 作業の手休めてんじゃないよ!」氷室会長が手を叩いて注意すると、彼らは追い立てられた羊のように会場作りに戻っていった。……席に座っているショウタロウと、彼の後ろでニコニコしている一ノ瀬だけがその場に残る。


「おいショウタロウ。お前も早く作業に戻れ。イケメンだからって特別扱いはせんぞ」


「あれっ。怒られるの僕だけですか? 一ノ瀬先輩は?」


「そいつはお前が働けば勝手に働くだろうが。そうだろ?」


「うん! イーッヒヒヒ」


 一ノ瀬の奴、ショウタロウくん好き好きが悪化している気がする。生徒会引退した後はショウタロウのストーカーにでもなるんじゃないだろうか?……まあいいか。


「それにしても、本当に蓮が美取さんを誘ってくるなんてなあ。なんか不思議だよ」


「ねえー! ショウタロウ君と飯島ちゃんってどういう関係!? 教えてよーっ」


 一ノ瀬のウザ絡みを無視する風土は生徒会の隅まで広まっているらしい。一応後輩である筈のショウタロウですら、背後の彼女に笑いかけもせず続ける。


「取り敢えず、立ってないで座りなよ。一応蓮も招待客なんだからさ」


「一応は、余計よ」小籔先輩の目玉が、ゆらりとショウタロウの方を向いた。「……私は席を外した方が良さそうね」


 と、立ち上がりかけた小薮先輩の肩を氷室会長がゆったりと押し止める。


「副会長は座ってて良い。一応現場監督なんだからな……全く、ショウタロウはもう次期生徒会長って気でいやがるのか」


「何度も言いますけど、僕は生徒会長やる気無いんですよ」


 取り敢えず、俺はショウタロウの対面に座った。美取とは一席開いて、小籔先輩の隣になる。何となく、ショウタロウと美取がどんなやり取りをするのか見てみたかったのだ。


「そういうショウタロウは、郁を誘ったんじゃなかったか?」


 勿論、ショウタロウは美取との関係を公言をしていないようなので、その辺りは気を付ける必要がある。

 

「別に宮島のことを誘ってきたわけじゃないよ。こっちは生徒会の仕事があるんだから、蓮みたいに連れ立ってくることもできないからね。ただ、ダンスを踊ろうかって話をしているだけなんだ。そういや、美取さんってダンス踊れるの?」


「あはは……。私、そんなに運動得意じゃないよ。蓮さんに誘われてからネットで勉強したくらいかな」


「えっ! えっ!? ショウタロウ君が宮っちと――え!?」


「……来るんだよね? 宮島」


「郁は来るから心配しなくていい。まあ、うちの部長を誘って来るとは言っていたけど」


「甲塚さんを!? ははは! 宮島らしいな」ショウタロウは立ち上がって、美取の肩を叩く。「美取さん。今日はあんまりお構いできないと思うけど、楽しんでいってよ」


「うん。ショウタロウ君も、生徒会のお仕事頑張ってね」


 ……これが姉弟のやり取りなのか? いくら何でも他人行儀と思うんだが。


 ニコニコ笑いながら、今度は俺の肩を叩いてきた。


「蓮。美取さんをよろしくな」


「痛っ……」


 俺の肩を掴む、ショウタロウの力が強い。

 

 *


 体育館の仕様変更作業が終わって、生徒会が体育館の中に客を誘導し始めた。


 今、俺たちはステージ横の体育準備室でこっそりその様子を眺めている。氷室会長の提案で、会場に入るのは人が入りきって、照明が暗くなった頃合いが良いだろうということになったのだ。


 確かにいきなりステージ前の席に美取がいたんじゃ、さっきの二の舞になるのは目に見えているしな。


 生徒会を手伝っていた運動部の連中は、ステージ前のテーブルを陣取って既にジュースで一杯やっているらしい。彼らは一目美取を目にしたんで満足したんだろう。後から誘導されてきたパーティー客はそんな運動部連中を訝しりながらも、キョロキョロと美取の姿を探している様子だ。


 ……で、美取本人は細く開いた扉の隙間を覗いている。こちらに尻を突き出す奇妙な姿勢で……何をそんなに一生懸命見ているんだろう。


「パーティー客を見るの、楽しい?」


「楽しいですよお。ウチの高校じゃ、こういう趣向のイベントって意外とありませんからね。それに、パーティードレスって体のラインが出てエッチだと思いません?」急に振り向いて、俺を睨んでくる。「ちょっと。蓮さんもサボってないでおっぱいが大きい人探してくださいよう」


 二人になった途端急に本性現してきたな。

 

「いや、俺は、別にパーティードレスがすけべだとは――というか、あんたもドレス着てるし」


「固いことは言わないでくださいよ。これじゃ私一人がおっぱいを探しに来たみたいじゃないですか」


「おっぱいを探しに、パーティーに来たわけでもないんですよ……。美取さん、まさかそれ目当てで来たんですか?」


「あっはっは。まっさかあ。私は常日頃から大きいおっぱいを探しているもん。なんか、感動しちゃうんですよね。人間賛歌ってやつでしょうか? おっぱいが大きいと、人生楽しいだろうなあ」


 なんちゅうセクハラ発言だ。でも、この人が堂々と視線を落としたところで、この本性に気付く女性はいないんだろうな……。


「どうも、そういうわけでもないらしいですけどね」


 俺は甲塚を思い浮かべながら呻いた。彼女は胸が大きいあまり、人生が楽しいを通り越してコンプレックスになってしまっている。


 ――そういえば、郁はともかく、甲塚はどんな格好で来るんだろう?


 彼女のことだからパーティードレスは持っている気がするが、尾行が目的じゃないとなると……って、俺は一体何を期待しているんだ。


「蓮さん、もしかしておっぱいが大きい知り合い、いるんですか? 今度紹介して――いえ、絵で描いて貰ったりしませんか?」


「……」


 俺は黙ってステージに登る階段に座り込んだ。すると、直前までウキウキしていた美取が青ざめた顔をこちらに向ける。


「――ごめんなさい。私、絵師さんに、凄く失礼なことを……」


「いや、そこ怒ってるわけじゃないんだよ。その人をモチーフにした絵なら美取さんはもう見ているんだ。本人の意志を尊重して、どの絵かまでは言えないけどね」


 美取はホッとしたように顔色を戻した。


「え、えーっ? 余計気になりますよ、それえ」


「探してみたら。多分今日来ますよ」


「……ふふふ。今日の楽しみが増えました」


 そう言って、再び観察を始める。


「……」


 俺は彼女が突き出す小さな尻を眺めて、しみじみと男として見られていないらしいことを実感してしまった。


 俺たちの場合は出会いからしてどうにもならない気がするんだが、こう猥談を吹っかけられるようでは「本気になるな」と宣言されているようなもんじゃないか?


 ……明日、郁に告白するつもりの俺が、どの口がって感じなんだが。


 それはそれとして、世間で思われているほど俺の立場は羨むようなものではないのだ。その勘違いは少しだけ悲しいし、改めたいんだが……。


 ま、そんなことを嘆いても仕方ないか。

 

 俺は立ち上がると、美取の脳天に顎を乗せるようにしておっぱいを探し始めた。


「凄い人の入りようだな!」


 おっぱい云々の前に、まずそこに驚いてしまう。


 さっきまではまだガランとしていた体育館が、いつの間にやら中央のスペースを残して非常な人口密度になっている。満員電車というほどではないが、さっきの渋谷のメイン通りくらいはあるんじゃないだろうか。今も、俺たちがいる扉の前をすらっとした女子生徒が通過した。


 やっぱり着飾っている連中も多いらしい。


 特に女子は煌びやかなんだが、男子だって仕立ての良さが分かる服を着ている連中がたくさんいる。……勿論、制服の連中だって堂々と会場を回遊している。お互いがお互いの装いを恥ずかしがるような、見蕩れるような、それでいて気楽なような不思議な雰囲気だ。


 しかも、未だに出入り口からは人が入ってきているぞ。生徒会は必死に奥へ誘導してスペースを作るが、ジュースはともかく料理が全員に行き届くことは無いだろうな。まあ、皆料理なんて二の次だろうけど。


「蓮さん。あそこの人、良くないですか?……あれ、パッドかなァ」


「……ん? ああ……」


 気付けば、郁の姿を探す俺がいた。


 今頃、ショウタロウに絡まれてるんじゃないだろうか。あっ、すると甲塚はどうなるんだ?


「……あんまりこういうの興味ないですか……?」


「まあ――正直、俺の方はそこまで宝探しって気分にはならないかな。雰囲気は良いと思いますけど」


「あ~、はは……なんか、私だけ盛り上がっちゃって」


 美取が被虐的な笑みを浮かべるので、却って俺は眉間に力を込めた。


「あのね。そりゃ、俺だって盛り上がりたいですよ。おっぱいだのすけべだのは好きですよ。でもこの体育館を幾ら見回したって、美取さん以上に綺麗な人なんているわけないんだから。しょうがないでしょう……!」

 

「ヒューッ!!」


 突然、美取の脳天が俺の顎を強かに打ってきたので悶絶してしまった。

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