第162話 異常に良いやつ、優しいやつ、可愛いやつ
いくら肩を揺すっても起きなかったので、郁は相当な寝不足らしい。
一旦彼女は放置して、俺は当初の予定通り夕方までゆっくりすることにした。パソコンで面白い動画を見たり、SNSで最近アップロードしたすけべ絵の反応をチェックしたり、最近は忙しくて遊び損ねていたゲームを遊んだり……。
ふと、そんなことを美少女が眠っている横でやっているのだと思い直して少し呆然とする。例えばこれが別の女子――甲塚や美取だったら、こうもまったり気を許すことはしないだろう。つくづく幼馴染みとは不思議なもんだ。
昼の十三時を回った頃、思い出したように腹が減ってきた。そういえば、宮島のおばさんは郁の昼飯を作っているんじゃないだろうか?
「郁。おい、郁」
「……んぐっ。ぐいいいい、ぎゅぎぎぎ。ぎちぎちぎち」
うわっ。怖っ。
なんだ、この口から出ている工事みたいな音は。……歯ぎしりか!?
「郁、郁ったら。おい、郁」
「ぎゅううぎぎぎぎ……んぐっ」
「郁、郁、郁」
耳元に向かってさらに呼びかけると、ようやく薄目を開いてくれた。
「あれ――あれ? 私の部屋に蓮がいる……」
「寝惚けてるのか? ここは俺の部屋。昼飯はどうする? おばさん作ってくれてるんじゃないの」
「あー。平気平気……だよね?」
「知らないよ」
ぽやんとした表情のままの郁が起き上がると、布団がずり落ちて肩の素肌が見えた。慌ててベッドに倒して、布団を被せる。やっぱり服を着替える前に寝落ちしていたらしい。
「蓮と食べるって言った気がする……?」
「分かった。じゃあ牛丼でも買ってくるから、寝てて良いよ。何食べる?」
「ネギ牛丼特盛りと豚汁。……なんか、今日の蓮、優しい。好き……」
ぼんやりと呻いた言葉に、胸の底の方がチクリと痛んだ。
俺は、俺の優しさに自信なんか無い。理性を効かせたと言えば聞こえは良いけど、一人の男として、本当に俺は優しいのか?
分からない。
「……まあ、クリスマスだし」
「その優しさが私だけのものだったら良いのに」
「何を言っとるんだ、お前は」
……ていうか、めっちゃ食うな。
*
牛丼を買って家に戻ると、服を着た郁が居間でテレビを見ていた。昔俺の家に泊まっていただけあって、この家の勝手は分かるんだろう。すっかり自分の家みたいに寛いでいるみたいだ
俺が牛丼を平らげる頃には、ぼちぼち郁の方が、パーティーの準備を始める時間が近づいていた。俺に関しちゃ服を着替えて美取を迎えにいくだけなんだが、女子は何かと身支度に時間が掛かるらしい。それに、彼女は本当に甲塚の家に迎えに行くつもりだと言う。
「何も家まで行かなくたって、そこら辺で待ち合わせれば良いだろ」
「それ、ちょっと心配でしょ。甲塚さんのことだから、迎えに行きでもしないと本当に約束ブッチしそうだし」
郁の方は、言葉の合間にまだ特盛りをかっ込んでいる。寝不足寝不足とは言っても、食欲は不滅なのか。
「……今更だけど、本当に甲塚を連れてくるつもりなんだな。計画のハードルが上がるの、分かってるわけ?」
「そんなの分かってるよ。でも、言ったでしょ? 私達は二人でいるわけじゃない。色んな人の幸福を考えて、トゥルーエンドを目指さなくっちゃいけないんだから。誰か一人でも不幸になったんじゃ、それは本当じゃない」
「はあ。郁って、ちょっと異常なくらい良い奴だよな」
「それ褒めてる?」
「真面目な話、将来悪い人間に騙されそうで怖いよ。……で、計画の方はどうする? ショウタロウに呼び出された時、俺はどう動けば良い?」
「うん」郁は特盛りの器を空にして、少し残していたスープを一口啜った。「その辺もちゃんと考えてるんだ。私が呼び出されたら、蓮にはラインで場所を連絡する。だから、良いタイミングで顔を見せて欲しいな」
「うん。……」
「……」
郁は上目遣いで、残りのスープを啜る。
「え。終わり?」
「ん? 他になんか考えないといけないことあるっけ」
ぞわっとした。
何が計画だ。こいつ何も考えてないじゃん。
「あるよ! あるだろ!? 良いタイミングって、何だよ!? 甲塚の目はどう躱す? 計画の間、美取はどうする!?」
「えー? 面倒臭いなあ。徹夜明けの頭でそんなこと考えらんないよお。お腹一杯だし、血液が胃に集中してるんだ」
俺はこめかみを揉みながら、必死に頭を回転させた。
「……分かった。それじゃあ、郁がショウタロウに告白した後のタイミングを見計らって、顔を出す」
「うーん? なんかタイミング悪くない? その後に、臼井君の秘密を聞き出すわけでしょ?」
「多少タイミングが悪くても、あいつが告白するチャンスをうやむやにするわけにはいかない。そこは、筋を通さないとな。で、甲塚はともかく……問題は美取だなあ」
「飯島ちゃんのことは知らない。蓮が勝手に撒いた種でしょ」
スープの器に口を付けながら、郁は眉間に皺を寄せる。
「……俺は俺で、周りの人間の幸せを考えているつもりなんだけど、どうしてこう、状況が厄介な方厄介な方に進展していくのかな?」
「それは多分、蓮がちょっと異常なくらい優しいからだと思うよ」
「それ、褒めてないよな?」
「当たり前じゃん」
*
クリスマス――五時の渋谷駅。美取は壁に寄りかかって、少し虚ろに目を泳がせていた。彼女のすぐ後ろには流行の女優が白い歯を見せる広告があるのだが、どうも、俺の目には油断しきった表情の美取の方が、輝いて映るらしい。
「美取さん。先に着いていたんですか」
まだ集合時間まで十分くらい残しているんだが。
「あ。蓮さん……!」
美取は俺を見るなり、旧友にあったような表情で駆け寄ってきた。今日の彼女は上下を白に近い青に合わせていて、上はスタイルに合ったブラウス。下はふくらはぎの辺りからグラデーションに肌が透ける、不思議なスカートを着ている。
いや、それだけじゃない。
よく見るといつもはティアラの様に編み込んでいた髪の毛は肩の辺りまで降ろし、首の後ろでロープにするような複雑な編み込み方になっている。ヘアサロンにでも行かなきゃこんな髪型はできないだろう。
それに、耳に光る物があると思えば雪の結晶をあしらったイヤリングを提げている。喉元に光る物があると思えば小さいの付いたチョーカーを巻いている。足下に光るものがあると思えば、少し燐光しているストッキングの上にヒールの付いた靴を履いている……。
眩しい――全体的に、眩しい――!
ところが、そんな彼女が俺と顔を合わすなりこんなことを言うのである。
「わあーっ! 今日の蓮さん、凄くお洒落ですね! 凄い凄い!」
「なんか、すいません……」
「ん? えっ!? 何で謝るんですか!?」
今ハッキリと分かった。
センスというのは、自らの身なりへの投資額に、大きく左右されるのである。
俺が今着ている服に支払った三万円など、美取の上半身だけでトリプルスコアが付けられるのではないだろうか。
「俺なんかが、美取さんの隣を歩くのは申し訳無いというか……。こんなことならもうちょっと良い服着てくれば良かったかなあ」
「……ふ。はははっ」
美取は軽く笑うと、腕を絡めてきた。
「どうやら、前回の汚名は返上できたみたいですね。本気出した甲斐がありました」
前回って。……ああ。あのテカテカの高級ジャンパー着てきた時のことか。
「僭越ながら、現役のモデルとしてアドバイスしてあげましょう。お洒落というのは、誰かを楽しませるためにやるものなんですよ? 時には一緒に歩く人のため、時には自分のため、時には街で擦れ違う、名前も知らない人のため。お洒落は誰かを傷つけるためにあるんじゃない、皆で笑い合うためにするものなのです!」
「……なんか、少年漫画の主人公みたいなこと言いますね」
「言いませんでしたっけ? 実は私、少年漫画の主人公なんです」
「少女漫画じゃなくて?」
「私の人生には、」と、いきなり顔を近づけて囁いてきた。「えっちなものが不可欠なんです。知ってるじゃないですか」
「あ~、でも、最近の少女漫画はそれなりにすけべらしいですよ」
「――なんですってえ!?」
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