第160話 佐竹蓮、爆笑する

 意を決して試着室のカーテンを開くと、ニヤけた面の甲塚と郁が頭の先からつま先まで視線を流してきた。


「あ~! 良い、良い!」


 郁は強かに手を叩いて興奮しているが、本当にこんなんで良いのかな……。


 我がことながら心配になってしまう。今俺が着ている服は、紛れも無い甲塚セレクトなんだが、どうにも地味というか……。


「甲塚、これ、ほんとに俺に似合ってるか……?」


 ジャケットの襟を摘まんで呻くと、


「似合ってる、似合ってる!」と、何故か甲塚ではなく郁が答える。「蓮! 尊いよ!」


「オタク特有の褒め方やめろっ。俺は、甲塚に聞いているんだよ」


 この店に来るのは二回目だ。


 一度目の来店で数着のジャケットを試着させられたと思ったら一枚も購入しないまま店を出て、別の店でスラックスを買って、また違う店でシャツを買って……と、勝手に完成しているらしい甲塚のイメージを補完するべく俺たちは渋谷を散々歩き回ったのである。


 ……で、完成したのがこのコーディネート。


 濃紺のテーラードジャケットに、オフホワイトのシャツ。下は灰色のスラックスと、お洒落なのかどうなのかよく分からない合わせ方だ。しかもこのジャケットが二万三千円でシャツは量販店産、下は古着屋の掘り出し物と上から下にグレードが下がっていくのが悲しい。


 まあ、それでも合計二万九千二十円。三万円の予算は八十円を残してクリアしているわけだから、一応甲塚にも人の心はあるのか。


「……うん。量産型には違いないけど、三万円で揃えるなら上々だと思う。サイズもジャストだし、スラックスも質は良いしね。流石私だわ!」


「うーん」


 甲塚のありがたいコメントで、俺はますます不安になってきた。


 量産型って――こいつはどうも、宇宙で闘うようなロボットを作っている気でいるらしい。

 

 ……いや。でも、ちょっと冷静になって考えてみよう。


 世の中のお洒落男というものは、基本的には量産型なんだ……と言ったら各所から反感を買うだろうか。でも、インターネットで公開しているコーディネートをパクったところで誰が気付くわけでもないし、テレビの俳優だって世代によっちゃ似たような服を着ているような気がする。……それは、俺が鈍いだけかな?


 無難、なんだよな。多分。うん。


「で、結局似合ってるの? 似合ってないの? 俺の有り金全部注いでんだけど」


「心配しなくてもいい」甲塚は自分の前髪を摘まみながら言う。「私のセレクトに異議を申し立てるのなんて、そもそも生意気なのよ。言っとくけどこれ、お金貰っても良いくらいの作業なんだから」


「……じゃ、じゃあ、これにする。すいませーん」


 余計なことを言ったらまた変な因縁を付けられそうなので、大人しく店員さんにジャケットを包んで貰った。甲塚は甲塚で、一応予算内でアイディアを出してくれたのだ。ならばこちらも誠意を見せるのが筋というものだろう。


 三店舗分の紙袋を提げて路上に出ると、爆買いによる充足感が湧き上がってきた。元手が東海道先生の財布から出た金とは言え、経済を回すということは精神的に良いことなんだろう。


「よーしっ。帰るか!」


「ちょっと待ってよ」


 歩き出した俺の鼻先にいきなり郁が立ちはだかるので、強かに体がぶつかり、俺は後方に吹き飛ばされた。今の瞬間の一体何処に斥力が働いたのだろう。


「な、何だよ。突然暴力を振るうな」


「いや、蓮が勝手にぶつかってきて一人でぶっ飛んでんじゃん……。それより、この三人で渋谷に来てるんだよ?」


「ん?」


 俺たちの視線が、腕を組んでぼーっとしている甲塚に止まる。三秒くらい見つめているとようやく視線に気が付いて、慌てて俺たちの顔を交互に見てきた。


「……え? 何? なんか言った?」


「そうだな。そういえば、学祭の打ち上げじゃ甲塚はドタキャンして帰っちゃったんだっけ。せっかくだし、もう少し街を歩くか」


「良いね」


 呆然としている甲塚の肩を、郁が掴む。すると、甲塚の表情が段々青い物に変わってきた。郁に肩を掴まれるということは、甲塚にとって体全体の自由を奪われるということを意味するのだ。


「は? 何? 何?」


「ねえ甲塚さん。せっかくこの時期の渋谷に来たんだし、イルミネーションで写真撮ろうよ!」


「しゃ、写真!? 嫌! 嫌だ! 写真は嫌!!」


「オッケー。それじゃあ宮下公園へレッツゴー!」


 何がオッケーなのか知らないが、郁は全力でジタバタしている甲塚に構わずそのまま歩き出してしまう。


「落ち着けよ、甲塚。写真を撮ったって、ネットに上げるわけじゃないんだから」


「そういう問題じゃないっ! 私が写真嫌いなの、夏にも言ったでしょ!? あの時は流れで撮らされたけど……!」


 甲塚の暴れようは壮絶だ。まるで病院前で大暴れする猫だ。


「そんなに写真を撮られるのが嫌なのか?」


「……」


 甲塚は尚も、足を突っ張って靴底を擦っている。


 そんなに嫌だというのなら、無理強いするのも流石に悪い気がしてきた。ところが、甲塚を掴んでいる郁が予想を超えたことを言い出すのだ。


「甲塚さんの考えてること、今は分かるよ。慣れないとか色々言ってるけど、本当は私達と思い出を作るのが嫌なんだよね」


「そ、……」


 突っ張っていた甲塚の足が崩れて、たたらを踏んだように歩き出す。


 郁が何を言い出そうとしているのか俺には分からないが、どうも甲塚の痛いところを突いたらしい。


「蓮から、そのうち人間観察部を廃部にするつもりらしいってことは聞いたよ。甲塚さんが何をするつもりなのか私にはよく分からないけど、きっと本気なんだよね。だからこそ、写真を撮らなかったり、打ち上げから逃げたりしたんでしょう。人間観察部に情が湧くのが嫌だったんだ」


 甲塚がぎらりと俺を睨んできた。何をお前はバラしているんだ、ってところだろう。


「甲塚――そうなのか?」


「……分かった。分かったから、一旦離して」


「逃げないよね?」


「逃げないから、離しなさい。痛いのよ、さっきから」


「……じゃあ、離すよ」


 郁の手が、甲塚の肩から離れる。


「あっ」


 次の瞬間、俺たちの前から甲塚がびゃっと逃げ出してしまうではないか。ややがに股気味の変な走り方で、バタバタと音を立てて路上を駆けていく。


 ……と思ったら、郁が三、四歩のスキップで軽やかに追いついて、呆気なく捕まえてしまった。


 そのまま、俺の元まで連行されてくる。


 ……。


 ん? 今何が起こった?


「……は? 何見てんの? キモッ」


 恥辱で顔を真っ赤にしている甲塚が、いきなり俺に当たってくる。


「いや、お前――ふっ。あっはっはははは!!」


 腹の底から愉快さが込み挙げてきて、俺は盛大に笑い声を挙げてしまった。


 だって、こんなの笑うしかないではないか。あのいつもはクールな甲塚が、いきなりバタ足で逃げ出したと思ったら三秒も経たずに捕まってしまったのだ。で、何故か郁じゃなくて俺の方に文句を付けてくるんだから。……事実を整理すれば余計に笑えてきた。


「うわっ、蓮が爆笑してる!?……はははっ! なんか珍し」


「あはははははっ! ふ、はははは……!!」


 笑いを堪えようと思っても、ブスッとした甲塚の顔を見れば見るほど面白くなってくる。なんて愉快な連中なんだろう。俺の笑いに吊られてか、郁まで笑い出してしまうし。


「何よ。何なの? コイツのツボって一体どこにあるわけ?」


「あっははは! 蓮のツボは甲塚さんなんだよ。ねえ、どう?」


「どうって、何!?」


「人間観察部、結構良いでしょ? 皆でお洒落してさ、クリスマスパーティーでまた思い出を作ろうよ。いくら甲塚さんが嫌がったって知らないよ。蓮が甲塚さんを誘わないのなら、私が甲塚さんを誘う。……私達二人でダンスを踊ろ!」


「はあ……はあ……は、ははははっ! くっくっくっく……! ひゃーっ!!」


「あんたは臼井に誘われているし、そもそも女子同士じゃない。わけわかんないわよ」


「私は別に誘われて行くわけじゃないもん。元々クリスマスパーティーには行くつもりで、そこで臼井君と踊ろうってことになってるんだから。一人としか踊っちゃいけないなんてルールはないし。女の子同士で踊っちゃいけないなんてルールも無いでしょ?」


「それは、そうだろうけど……」


「私達に情が湧くのが嫌なら、もっと情を湧かせてあげるんだから。甲塚さんが、人間観察部を廃部にしたくなくなるくらいね」

 

「うう……はあ……はははは……はっ! はあ、はあ、ははははっ! はあ……く、苦しい……だははは!!」


「あ、あれ? なんか蓮、苦しそう」


「体力無いから、笑いすぎて酸欠になってるんでしょ。こいつもう放っておいて良いんじゃない?」


「だね。それじゃあ、行こっか」


「はあ……。幾ら言われても、私が考えを変えることは無いけどね」


「はははは……はっ!?」

 

 腹を抱えている俺を置いて、郁と甲塚は本当に宮下公園の方に向かってしまう。


 というか、笑いすぎて突っ込む暇も無かったけど郁が甲塚を誘うって!? 


 確かに、このクリスマスパーティーを逃せば人間観察部的にもイベントと言えるイベントはもう残っていない。展開によっては、年が明けて部を解体するまでは集まる機会も無いかもしれないんだ。


 郁の言うことは正しい。これが、俺たちが思い出らしい思い出を作る最後の機会になるかも知れない。


「はははははっ……はあ……」


 そんな未来を回避する手段はただ一つ。郁がショウタロウに呼び出されたタイミングで、俺たちが奴の秘密を聞き出すのだ。そして、何としてもその秘密を隠し通させる――甲塚は俺たちがこんな計画をしているなんて知らないだろうし、大して注意も引かない筈だ。


 だが、本当に上手くいくのだろうか……?


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昨日は更新できず、すいません。

今日はもう一本投下します。

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