第159話 ご機嫌な甲塚と、恨む郁
ほぼ勢いだけで決定してしまったクリスマスの予定だが、俺は粛々と準備を進めることにした。
まず俺を悩ませるのは当日何を着ていくかという問題で、勝手に皆制服で来るものだと思っていたのに、どうもクラスの雰囲気を察するにそういうわけでは無いということが分かってきたのだ。女子がおめかしをしていくことは理解出来るのだが、男子は男子でわざわざ礼服を用意する連中までいるらしい……。
そんな中、一応美取を連れていく役周りの俺が制服で登場したらどうだ。彼女に恥をかかせることになりはしないだろうか。
スマートフォンでパーティー向けの衣服を調べながら人間観察部の扉を開くと、先に到着していた甲塚がいつものようにノートパソコンを操作している所だった。どうやら郁はまだ来ていないらしい。
「話は聞いたわ」
甲塚は忙しそうにキーボードを叩きながら、いきなりそんなことを言い出した。
「美取がパーティーに来る話か? やっぱり、寝てるフリしてしっかり聞き耳立てていたんだな」
「違う。臼井がパーティーに来る件よ」
あ。そっち。
……そういえば、この件についちゃ珍しく甲塚だけが蚊帳の外にいたんだっけ。
俺はスマートフォンをしまって、対面の席に座った。
「土曜は、クリスマスだ」
「そうね」
「お前の『推測』じゃ、ぼちぼちショウタロウの奴は秘密を漏らすってことだったけど……?」
「その通りよ。もうじき臼井からボロが出る筈。私達が急いで行動を起こす必要は無いから安心しなさい」
「ふーむ」
腕を組んで唸る。
甲塚には一体どんな未来が見えているんだろうか。彼女がこれほど言い切るのだから、きっと彼女なりの法則で決定的なものが見えているんだろうけど。
「そうは言っても、どうやってショウタロウの秘密を突き止めるつもりなのかは聞いておきたいな。まさか本人に聞くってんじゃないだろうな?」
「違うわよ。私の予想では、宮島からその話は聞ける。わざわざ馬鹿げたパーティーに顔を出さなくったって、後から聞き出せば事足りるわ」
「郁から聞くって……。なんで郁が隠し立てしないと分かる?」
すると、甲塚の方が首を傾げた。
「何でって、別に隠し立てする必要はないじゃない。あいつも人間観察部の一員なのよ?」
「そ、そうか。それもそうだな。じゃあ甲塚は土曜来ないのか」
俺は慌てて話題を転がした。
……どうやら、郁が入部以来に抱えている「甲塚の企みを阻止する」という野望についちゃ考えが及んでいないらしい。
甲塚は他人に猛烈な程の猜疑心を持っている割に、身内の人間に対しちゃこうも純粋な信頼を寄せているのか。そう考えたら、彼女を裏切ることに一抹の不安が差してくる。でも鉄の意志を持った甲塚を退学させないためには、こうする他無いわけで……。
「何で私が、行かないといけないわけ?」
「いや。何でって、特に何でってことは無いんだけど」
「生憎、私を誘うような男子がいないし」
……。
これは、当て付けられているのだろうか?
「昨日教室でも行ったけど、別に絶対に異性を連れ立っていくようなイベントじゃないぞ。演劇部の演し物とか、面白いかもしれないじゃん」
「嫌。人間観察部の平部員二人が異性を連れて歩く会場で、部長の私が一人隅っこで紙コップを持ってるなんて」甲塚は、こちらが心配になるほど項垂れて呻いた。「……惨め過ぎる。想像するだけで気分が沈む。現実になったら、本気でこの世を恨む」
「そんな、悲観的な。参加してみれば、意外とダンスに誘ってくれる男子の一人や二人いると思うけどな。そもそも、俺だって一人で参加するつもりだったんだしさ」
甲塚は盛大に首を捻った。
「何言ってんの? 佐竹は元々惨めなんだから、惨めな人間が惨めなことになっても誰も気にしないでしょう」
「んなっ――」
その時、ドカンと部室の扉が開いた。
「蓮が飯島ちゃんを誘うってえー!?」
大の字に足を開いた郁が前振りも無く大声で叫ぶので、俺も甲塚も肩が跳ねる程驚いてしまった。ここの所、部室の雰囲気がすっかり落ち着いていたんで、完全に油断していた。
驚愕した俺たちは、仁王立ちしたままの郁に文句を言うでもなく、怒るでもなく、ゆっくりと息を吐いて胸を撫で下ろした。我々のような人種は、こういうとき急激に跳ね上がった脈拍に、心の底から疲れてしまうのである。
郁は、そんな陰キャ二人の大事なクールダウンに構わず俺の方にずかずかと歩み寄ってきた。
「なんでえ!? なんで蓮が飯島ちゃんを誘うわけ!? 私のこと好きだったんじゃないの!? なんでえ!?」
「落ち着けよ、郁。というか、一旦落ち着かせて……」
「な、ん……で!?」
耳元で「で!?」の部分を怒鳴って来たんで、キインと耳鳴りがする。
「別に好きだから美取を誘うんじゃねえよ! ヤマガクの学祭で世話になったし、一応声掛けたってだけ! どうせまた女子の口伝で話が曲解して伝わってるんだろうが」
「あ。なーんだ。そうなの」
郁は突然平静なテンションに切り替わると、鼻歌交じりで自分の席に座った。そして、
「ねえ甲塚さん。蓮ってこんなんだけど、近くで見てたら腹が立ってこない?」と、本人を横に悪口を言い始めるから付いていけない。
「腹は立つし、立ってるわよ」
甲塚も、つらっとした顔で乗ってくるし。
「腹、立ってるのかよ」
「でも、飯島美取がクリスマスパーティーに顔を出すのは悪く無い成り行きだわ……。くくく」
「それで、甲塚さんも土曜は来るよね? せっかくだし人間観察部で集まろうよ。いつ集合する?」
……甲塚が結構気になることを言っていたんだが、郁はそんなこと気にも止めずにさっきの話を蒸し返してしまった。案の定甲塚はむっと不機嫌な顔になって、
「何を当然のように人を頭数に加えてるのよ。行かないわよ。行くわけない」と、ますます強固な姿勢を取ってしまった……。
そんな彼女達のやり取りを他所に、ふと見やった藍色の空には、バレンで雑に擦ったような暗がりが滲み始めていた。ナイトブルーに浮かぶ明度の高い部分は、雲が遠くの太陽の光を湛えているんだろう。
*
十二月もいよいよ年末に迫る午後五時の渋谷はクリスマス一色である。街路樹に仕掛けられた隙の無い程のイルミネーションは、夜になれば宝石の怪物が街中でパレードをしているのではないかと錯覚する程だ。例年思うが、絢爛ってのはこういうのを言うんだろうな。
……部室で、俺がパーティーに着ていく服のアテがないという話をしたら、「それはいかん」ということになった。
もう面倒だから、いつも着ているレザージャケットで良いかな、と続けたら「それは、ますますいかん」ということになり、俺たちは部活を切り上げて――いや、これも部活の一環なんだと渋谷へ赴いたのだった。
「くっくく。結局、佐竹が最後に頼るのは私なわけね。どうせ迷走するんなら、初めからセンスの良い私を頼れば良かったのよ」
甲塚は欠席を表明しているというのに、何故か機嫌が良さそうに前を歩いている。他人にマウントできると分かれば地平線の彼方から一目散にフライングボディプレスをかましてくるのが、甲塚だ。
「センスのことは全面的に落ち度を認めるから、早いところ良い感じの服を見繕ってくれないかな」
「そうね。パーティーに着て行けて、普段使いも出来る服っていうんならカジュアル系のジャケットを中心にコーデを決めるのが良いと思う。中にカーディガンとか着られるやつね。シャツだけでもスリムに見えるし、春先まで使えるんじゃないかしら」人差し指で頬を撫で、なお捲し立てる。「言っておくけど、あんたが普段来ているようなムサいやつじゃないわよ。きちんと清潔感を演出できて、スラックスが合うようなのね。幾つかショップに心当たりはあるけど――あんた、予算は?」
「三万円で、どうかな」
「……ふーん。てっきり五千円で全身コーデしてくれなんて言うかと思っちゃった」
「先生のバイトで、ちょっと懐が潤ってるんだよ。それに俺はそこまで世間知らずじゃないって。三万円で足りるかは分からないけどさ」
「ま、良いわ。付いてきなさい」
甲塚は軽い足取りで、俺と郁の前を歩き始める。
……こいつ、本当にお洒落が好きなんだな。変装で使う服を含めれば一体何着持っているのか検討も付かないし、思えばどの系統のファッションでも結構甲塚に似合った服のチョイスをしていた気がする。
「甲塚さん、楽しそうだね」隣を歩く郁が、小声で俺に耳打ちしてきた。「ま、気持ちは分かるけど。男の子のコーディネートなんて、お洒落な女の子からしたら絶対楽しいもん」
「他人の金で服を買うのが楽しい、とかじゃなければそうなんだろうな」
そっけなく答えると、郁はぐっと体を寄せて耳元に囁いてくる。
「蓮は、甲塚さんを誘うのかと思ってた。なんかショック」
「……なんで郁がショックを受ける?」
「蓮の中では、私じゃなければ甲塚さんなのかなって。好き合っているわけじゃ無いと思うけど、私は蓮に甲塚さんを誘って欲しかった。なんか、それが一番自然かなって」
「……」
「ごめんね。蓮が甲塚さんを誘わなかったこと、恨んじゃうよ。蓮が誘っていたら、甲塚さんもきっと出席しただろうにさ」
「恨むのは良いけど、お前、俺を板挟みにしている自覚はあるのかよ」
「あはは……! クリスマスだよ!? 十二月二十五日くらい、私は私の好きな人に囲まれて過ごしたいもん」
俺はしみじみと頷いた。
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