第154話 元新藤家の秘密

「佐竹君が言っているシンドウ先生というのは、シンドウキミヒロのことね。新しいに藤、君主に孔子で、新藤君弘」


 ――新藤君弘か。


 俺は理事長が言った名前を早速スマートフォンの検索ボックスに入力した。が、失踪する切っ掛けと考えられるようなニュース記事は出てこない。辛うじてヒットしたのは、何の関連性があるのか、タイトルも分からないネット掲示板の過去ログだが、アクセスしても内容は確認できなかった。


「検索しても当時の記事は出ない筈よ。確か、ネットの掲示板でも色々ウチの生徒がリークしたらしくて情報が出たそうだけど、私はあまり詳しくないものだから」


 俺は検索を諦めて、再度新藤理事長と向き合った。


「何があったんですか」


「今の桜庭に通うあなたたちに想像するのは難しいかも知れないけど、ほんの二十年から十年くらい前の桜庭高校というのは、有り体に言えば荒れていてね」


「……まあ、ネットで記事を検索したら、当時の荒れ様は想像つきますよ」


「そう? インターネットって本当に便利なのねえ。でも、教育機関に長く努めている私から言わせて貰うと、どんな学校だって過去を遡れば瑕疵はあるものよ。瑕疵っていう言葉、分かる?」


「分かりますから、続けて下さい」俺はまだ台所に立っている甲塚に視線を向けて、先を急かした。そろそろこっちに戻ってくる頃合いだ。


「特にここらは歴史の長い高校が多いですからね。私が理事長に就任する前からも、あちらで自殺者が出た、こちらで刺傷事件が起こった、なんて珍しくないのよ。あなたには言い訳染みて聞こえるでしょうけど、常に私達大人が全力で努力をしていても、そういうことは起こりうる、としか言いようがありません。……そう。あなたの言うとおり、桜庭高校でも生臭い事件は悲しいことに何度か起こっているのです。平和になったのは、ほんの2010年代くらいからかしら」


「つまり十年以上前でしょう。俺からすれば、昔って感じですけどね」


「そうでしょうね。生徒と学校の関わりなんて所詮三年程度ですもの。……君弘のクラスの生徒が自宅で縊死したのは、あれは何年前だったかしら……?」


 縊死、という言葉に思わず生唾を飲む。


 縊死っていうのは、首を吊ったということだよな?


「……甲塚の父親が担当するクラスで、自殺者が……?」


「ええ。当時のニュースでは、生徒の名前も出なければ担当教師の名前も出なかったのよ。けど、世間のバッシングときたら……まさしく、ああいうのを炎上と言うのでしょうね。実際、後に発足された調査委員会の調査で、生徒が自殺前に担任教諭へ相談していた……ということが分かって、それも燃料になったのでしょうけど」


「それは、そうでしょうね」


 俺は、「事実であれば」という部分を強調して言った。


 理事長が話をしているのは恐らく十年ほど前の出来事であり、想像するに生徒が自死に至る原因は複数あったんだろう。……ただ、教師に相談していた上で、ということになると理由は察するに余りある。


 が、十年後の桜庭に在籍する程度の俺では、それ以上のことは言えない。


「……驚いた。今の子供って、本当にリテラシーが高いのね。安直に物事を信じないというのか、疑り深いと言うか。時代なのねえ」


「個人的な自制心を時代で片付けないでくださいよ。俺が甲塚の友人じゃなかったら、もう少し安直に物事を考えていてもおかしくない……。そういえば、あいつの話じゃ父親が借金を抱えていたって話でしたけど?」


「借金? いいえ。そんなものは無かった筈よ。どうして?」


「当時、ポストにカッターの刃が投函されていたり、無言電話が着信したり……なんか、色々あったって聞きましたけど」


「あの子、妙なことを知っているのね。それは借金取りがよく使う手口だけど、事実は違うわ。新聞で生徒の自殺記事が出てからは、当時在職していた教諭殆ど全員が同じような被害を受けていたのよ。曖昧な情報と、インターネットの悪意というのは恐ろしいわ。正義感の強い一般市民を、あっというまに脅迫者に変えてしまうのだから」


「それじゃあ、甲塚の家族を脅していたのはただの一般人だったってことですか?……いや、でも住所とか、電話番号とかは……」


「それはあなた。当時はプライバシーという概念の転換期だったのよ。今では個人情報がネットに曝されたら事件にさえなる時代だけど、当時は無法地帯だったのだから! 厄介なのは、新聞記事だわ。生徒の名前も教諭の名前も公開されなかったけれど、生徒が自殺前に教師に相談していた、という情報が何故だか一人歩きして……自称学校関係者が、関係の無い教師の情報までリークしていたようなの。大変な騒ぎだったわ。怯えた教師がごっそり退職してしまってね。桜庭高校は外も中もボロボロになってしまった」

 

「それで、新藤先生は?」


 理事長は煙草の灰を空き缶の中に落とした。


「事件に誰より怒っていたのは、キコちゃんのお母さんでね。彼女も高校教師だったから、義憤に駆られたのでしょう。縊死した生徒が相談を受けていたのが自分の夫だった、ということを知った彼女は一にも二にも離婚っていう言葉を使うようになってしまった。……そして、君弘は姿を消してしまったの。家庭の問題も、学校の問題も全て放擲して。……放擲って言葉、分かる?」


「投げ捨てたんでしょ。家庭も学校も。……姿を消したって、まさか……」


「あなたが考えているようなことじゃないわ。文字通り、姿を消したの。失踪よ。その後、キコちゃんのお母さんは離婚調停まで立てて正式に離婚してしまってね。だから、キコちゃんの今の苗字は母方なのよ――甲塚、希子」


 俺はここで、ちょっと話が分からなくなった。


 新藤先生が姿を消したというのならば、彼の消息は謎のままの筈だ。早い話生きているかどうかも分からないのに、なんでこの人は死んでいない、ということが分かるのだろう。


「……新藤先生の消息、分かるんですか?」


「君弘が消えてから暫く経って、探偵を雇ってね」


「探偵ですか」


 俺は呆然とオウム返ししてしまった。


 金を持っている人間の世界というのは、よく分からない。


「調査報告によると、失踪してからの彼はホームレスをやっていたらしいのよ。渋谷にはそういう人たちが集まるエリアが数カ所あってね。呆れたわ。あの子はもう、家族や学校どころか社会的な責任から逃げてしまったのね」


「……渋谷!? 渋谷に、甲塚の父親がいるんですか……!?」


 思ったよりも身近な地名が出て驚いた。


 だとしたら、スクランブル交差点を眺めるという甲塚の習慣は――そうだ。たしか、彼女が尾行していた男というのは、三十代で……。


「落ち着きなさい。君弘が渋谷をうろついていたのは昔の話よ。最近は移動したのか――ホームレスをやっているにしても、どこでやっているのかしらね。数年前に、渋谷から消えたのは確かなんだけど」


「お祖母ちゃーん」


 不意に台所の甲塚が声を挙げた。


「なあに」


「このお皿、どこにしまえば良い?」


「ポットを置いてる棚の上段に入れて頂戴」


 ……気が付けば、洗い物の水音が止んでいた。

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