第152話 シンドウ理事長の腹の底

 甲塚のお祖母ちゃん――もとい、シンドウ理事長の暮らす家は、ここらでは珍しいような間取りの一軒家で、まず家の扉を抜ければ走り回れるくらい広い玄関があるのだ。左手には和室があるようで、畳まれた布団がちらりと見えたし、いつもはそこで寝ているんだろう。


 単純な部屋の数なら郁の家ほどでも無いかもしれないが、とにかく、広い。屋敷と呼ぶのがぴったりな家だ。昔の造りのまま、数世紀を渡って現代まで残っているという感じか。


 右手の扉はそのまま居間に続いていて、テレビの前の低い卓には鍋が用意されていた。それに、茶碗蒸し、大きなペットボトルのお茶、空のコップ、海鮮が並ぶ大皿がと色々置かれている。海老、蟹、魚の切り身……東京で食べるには高すぎるものばかりだな。

 

「甲塚。お前、良いもん食ってるんだなぁ」


「馬鹿。よしなさいよ……」


 甲塚は、罰が悪そうに顔を赤くすると、コートを脱いで行儀良く鍋の前のソファに座った。他にも座る場所はあるんだが、俺が座るべき場所が良く分からないので、取り敢えず甲塚の隣に腰を降ろす。


「別に、年柄年中こんなものを食べているわけじゃないわよ。お祖母ちゃん家に来るのは月一くらいだし……。それに、この蟹とかは買ってきたわけじゃない。漁をやっている人だとか、野菜作ってる人とか色々伝手があって、送ってくるんだって」


「へえ。そりゃ羨ましい話だな」


「そりゃね。……あんたには言ってなかったけど、お祖母ちゃんは学校の偉い人だから」


「それ、どんな偉い人なのか聞いたら答えてくれるわけ?」俺は、質問の答えを知ってはいながらも聞いてみた。「こんなに立派な屋敷に住んでるんだから、相当なもんだろ」


「理事長よ」


 言った……。


 俺は、少し意外に思いながら甲塚が注いでくれたお茶を一口飲み込む。


 甲塚はタートルネックセーターの袖を捲って、卓上の皿をそれぞれの席に並べ始めた。


「昔は、校長先生をやっていたの。その時の生徒達が今は大人になって、季節のものを送ってくるそうよ。あのボランティアグループにせよ……お祖母ちゃんはこの土地で暮らして古いからね。何かと顔が広いみたい」


「そんなこと、全然知らなかった」


「そりゃ、言ってないからね」


「……言えよ」


「あ? 何でわざわざ私から言わなくちゃならないのよ」


「俺、多分お前が思っているよりお前のこと知らないんだよ。もう、付き合いも短くないだろ? 俺たち……」


「はい、はい、はい」


 その時、湯気が立ったご飯と海老の頭が入った味噌汁をトレーに載せて、ニコニコ笑うシンドウ理事長がやってきた。こうして見ると理事長なんて風格も無く、どちらかと言えば食堂のおばちゃんって感じの雰囲気だ。……桜庭に食堂は無いけど。


「あ……これは、すいません」


 俺も何か手伝おうと立ち上がり掛けると、「ああ、いい。いい」と、心の底から迷惑そうな顔をして静止してくる。続いて、箸、海老や蟹の殻入れなど細々とした物を台所から持ってくると、床に正座をして一息吐いた。


「私抜きで楽しい話をしないで欲しいわね。せっかく二人が遊びに来たんだもの。普段、学校で二人がどんな生活をしているのか聞かせてくれる?」


「はあ、俺たちの学校生活ですか」


 こめかみを揉みながら、こっそり隣の甲塚を見ると、彼女も同様に困りあぐねた眉の潜め方をしている。爺さん婆さんってのは、どうしてこう、こちらの負担が大きいトークテーマを求めがちなんだろうか。


 そして、シンドウ理事長を交えた夕食が始まった。


 豪勢な食事を食べながら学校生活について理事長に(!)話すというのは、口で皿を回しながらお手玉をしろと言うようなもんである。ましてや、俺たちなんて学校生活を破壊するために学校生活を送っているわけで……。


「……」


 孫である甲塚が口火を切るのを待っていたら、彼女はそんなことには構わず自分のお椀に鍋の具をよそい始めるではないか。えのきの一塊を口に運んで、


「あ、ふぁっ、あふっ」と、一回噛んだえのきをお椀に戻してしまう。……俺の視線を感じたのか、噛んだえのきを手で隠して、「何よ。あんた、私を観察してないで喋りなさい」と睨み付けてきた。


「……あ。俺が喋るの」


「そりゃそうでしょ。私の話なんていつもお祖母ちゃんにしてるもの」


 言われて見れば、それもそうか。


「っても、学校生活なんて、改めて話すようなことは何も……」


「あら。私は二人の学校生活が聞きたいのよ。キコちゃんもお話して欲しいわ。それとも、二人にとって桜庭の生活はあまり楽しくないのかしら」


 甲塚は今度こそえのきを口に入れて、


「別にお祖母ちゃんが心配する程のことは無いよ……」と、咀嚼しながら答えた。それきり物を食べるに集中してしまったので、結局俺がメインで話をすることになるらしい。


「……まあ、俺たちは何だかんだで楽しく学校生活送ってますよ」


「佐竹君は、どうしてキコちゃんの部活動に入ったのかしら?」


「えーと」事実ありのままを言えば、騙されて強制的に入ったということになるんだが――そうだな。「俺と甲塚、同じクラスで。彼女に新しい部活作るんでってことで誘われて入ったんですよ」


「……私、あんたのこと誘ったっけ……?」


「細かいとこで突っかかってくんなよ。大体、マイルドに事実を解釈すればそんな流れだろうが」


 取り繕っている俺と甲塚のやり取りが面白いのか、シンドウ理事長は楽しそうにビールの缶を口に付けながら「ええ、ええ。それで?」と先を促した。


「それから、俺の幼馴染みが同じ部活に入る、っていうことになって。でも、甲塚のヤツそいつのことが気に入らなかったらしくて、無茶な入部テストを吹っかけて……。でも、最後には何だかんだで手助けしてくれるんだから、こいつのことよく分からないんですよね」

 

 それからの俺は、殆ど料理に手を付けずにああだこうだと婉曲にさらに婉曲を重ねて、合宿のことや定期テストのことをくっちゃべった。


 よくもまあ、次から次へとこんな嘘を吐けたもんだと自分を褒めてやりたい。話がヤマガク文化祭に至る頃には、何故か俺は二度の悲恋を経験し、甲塚は一度画家を目指そうとして次の日には止めたことになっているのだった。改めて考えると訳が分からないが、嘘が非常に下手くそな甲塚が言い繕うよりはマシだ……と思う。


「――まあ、そういうわけで。俺たち人間観察部は結構楽しく可笑しく学校生活を送っていると思いますよ。部長はどうか知りませんけどね。はぁ……」


「佐竹。あんたさっきから全然食べてない。お椀貸しなさい。私がよそってあげる」


「あ!? お、おう……」


 もしかして甲塚は俺を労ってくれているのだろうか。


 ……と思ったら、如何なる肉も除けた野菜スープがお椀に誕生していたので、唖然としてしまった。確かに適当なことをあれこれ言いはしたが、意趣返しにしてもやり方が狡猾で性格が悪い。


 ところで、シンドウ理事長はと言うとそんな俺たちを、やっぱりニコニコして見つめていた。なんだか、何でもお見通しと言うような――


 ハッとした。


 そういえば、シンドウ理事長が甲塚の企みについて何一つ感づいていない、ということはあり得ないのではないだろうか……?

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