第151話 お祖母ちゃんとの食事
部室で心の底からぼけっとしていたら、
「佐竹。あんた、私とご飯食べたい?」と、甲塚が言った。
「あー……とー……」
「どうなの?」
俺は、今甲塚が言った言葉を頭のなかで再構成しようと努力したが、面倒なのですぐさま放擲する。
「ごめん、話聞いてなかった。なんだって?」
「あんた、私とご飯食べたい?」
「俺は、誰とだろうが、美味いものなら何時だって食べる覚悟ができている」
「食べたいのね。オッケー」
「……」
軽快にスマホを弄る甲塚を見て、ようやくぼけっとした頭がシャキッとしてきた。モニターにゲームを繋いで遊んでいた郁も、俺たちの方を振り向く。
「ちょっと待て。ちょっと、待て。何なんだ今のは。流石に適当に喋りすぎた」
「え? 甲塚さん、蓮とご飯食べに行くの?」
「食べに行くわけじゃないわよ。佐竹が、私の家に来るの」
さっきから俺がびっくりするようなことを、次から次へとスタメンを発表する監督のように決めてくれている。なんなんだ、一体。
「ええ~!? 佐竹、甲塚さんの家に遊びに行くの? いいなあ」
「逆に聞きたいんだが、今の流れに俺の意志が介在する余地あったか?」俺はスマホを弄る甲塚に向き直って言った。「そうだ。飯を食うってんなら前の打ち上げのリベンジと行こうじゃないか。郁も一緒にさ」
「別に良いけど、今週の土曜じゃ宮島も都合が悪いでしょう」甲塚は、流し目で睨みつつ続ける。「こいつは男子との予定が詰まってるようだし?」
「う。土曜は……無理だあ」
ということは、郁がショウタロウと出掛けに行くのと被っているのか。ちなみに、俺の方のスケジュールには当然の如く叩いたら響くような余裕がある。
……え?
この流れで、マジで甲塚と飯を食べることになるのか、俺。というか、彼女の家に行くって……。
「随分、急な話だな……」
「別に急でもない筈よ。私の家とは言ったけど、正確にはお祖母ちゃん家だし」
*
そういうわけで、その週の土曜日に限って郁とショウタロウの何回目かのデートよりも、甲塚との予定を優先することにした。一方的に立てられたようなスケジュールではあるが、彼女との約束を反故にしては百害あってさらに百害があるようなもんだからな。
……で、午後五時にと指定された校門前で待っていたら、ほぼ時間通りに甲塚がやってきた。今日は見慣れない、帽子を被っていないファッションだ。黒いタイツとやや制服よりは長い丈のスカート、上はカーキ色のタートルネックセーターと、緑色のロングコートを羽織っている。
結構ぴっちりとした服だが、彼女の体のライン通りならドカンと胸が盛り上がっている筈だからどうにかしているんだろう。
――もしかして、以前から気になっていた甲塚の全力お洒落がこれなんだろうか? 特別可愛いらしいとは思わないけど、これが素、と思えば何とはなしに感慨が湧いてくる。
軽く夜の挨拶を済ませると、早速甲塚が先立って歩き出した。俺たちが歩くときは、たった二人でも何故か甲塚が前、俺が後ろになることが多い。
「……あのさ。流石に当日まで碌な説明が無いとは思わなかったよ」
「何ですって?」
「別にお前と食事をするのが嫌ってんじゃないけど、どういう風の吹き回しかと思ってさ」
「それはこっちの台詞」甲塚は溜息交じりに肩を竦めた。「むしろ、迷惑してるのはこっちなのよ。日程調整とかして、今日の宮島のデートも尾行できないし。それというのも、あんたが私のお祖母ちゃんに気に入られていたから、あの人がこんなことを言い出したんじゃない」
「は? 俺が甲塚のお祖母ちゃんに?」
「あんた、一体いつの間に私の家族に取り入ってたのよ。気味が悪いわ」
俺は唖然としながらも、遅れかけたペースに慌てて歩幅を広げる。
「俺、お前のお祖母ちゃんとなんて顔を合わせた憶えも無いぞ。ひょっとして、誰かと勘違いしているんじゃないか……」
「勘違いのセンは無いわね。話に聞けば佐竹とお祖母ちゃんは文化祭以来のことらしいから、大方ウチの展示でもこっそり見に来ていたんでしょう」
「……甲塚のお祖母ちゃんが、展示を……」
俺は頭を抱えて呻いた。
だとすれば、彼女が目にしたのは俺という男の展覧会である。甲塚のお祖母ちゃんからすれば、俺という男がよほど人間観察部のビッグネームだと思ったに違いない。
正体は、ただの平部員に過ぎないというのに。
……いや。待てよ?
甲塚と飯を食べる、という印象にやられていたが、よく考えたら甲塚のお祖母ちゃんというのは桜庭高校の理事長、シンドウイツコなんだった。
――理事長なんだよな? いざ食事をする、ということになってもまだ甲塚の口からそんな情報は出てこないんだが。
とにかく、降って湧いたようなチャンスには違いない。食事の席でどこまで聞けるかは分からないが――今夜、俺は甲塚の秘密を、とうとう掴むことができるかも知れない。
でも……。
俺は、ちらりと甲塚の背中を見て思った。
甲塚の秘密を知ったとして、その時俺はどうする。
彼女と対等な関係に落ち着きたいのか。
……脅したいのか。父が起こした、「事件」のことで。
*
前を行く甲塚の足取りが、段々東海道先生が住んでいる住宅街の方に向かっていることに気付いてドギマギしてきた。
……まさか、あのマンションと同じクラスの家に住んでいるとか、言わないよな?
そんな心配を抱いてきた辺りで、かくんと高級住宅街から少し外れたエリアの方に交差点を曲がる。渋谷の中心からやや郊外のそこは、歴史を感じる一軒家が屋根を並べる一帯だった。どの家も一メートル半くらいの古めかしい塀を備えていて、どうしてか決まり切ったように立派な木や、鼻をくすぐる程の花を植えていたりするのだ。
あんまり知らない世界だが、一応ここらも高級住宅街の一つなんだろう。
甲塚は、その内の錆びた門戸を開くと、俺が付いてきているか確認しながらゆっくり庭のステップストーンを踏んで、チャイムを鳴らす。
間も無く古めかしい横開きの扉の窓にぽっと光が灯り、お婆さんがひょっこり顔を見せた。
「よく来たわね。キコちゃん」
キコちゃんと呼ばれた甲塚は、俺の前だからか罰が悪そうに「来たよ。お祖母ちゃん」と呻いて、身を引いて俺の姿を見せる。
「お友達も一緒ね」
「お友達っていうか……まあ、友達、だけど」
「さあ、こんなところで話していちゃ冷えるわ。……あなたも、よく来てくれたわね」
「あ。はあ。なんか、すいません……!?」
お祖母ちゃんの顔をまともに見て驚いた。俺はこの人の顔に見覚えがある。
そうだ! 桜庭の文化祭で一人部室の展示を見にやってきた上品なお婆さんじゃないか。妙に普段の甲塚の様子を気にするからおかしいとは思ったんだが――まさか、シンドウ理事長だったとは!
……待てよ? だとすると、彼女の前で甲塚のことを散々こき下ろしたような……。
俺の驚愕の表情を見て心中を察したのか、シンドウ理事長はゆらりと笑って、人差し指を口元に当てた。
「この間のお話は、二人の秘密ね」
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