第147話 今日の二人は映画を観るらしい

 前回、新宿駅で迷子になったのが相当堪えたのだろうか。


 知り合いとの遭遇を嫌がって渋谷は避けているんだろうと思っていたが、意外にも今回郁が向かったのは定番もド定番であるハチ公前だった。


 スクランブル交差点を目の前にするこの広場は、渋谷のどのエリアへもアクセスが良いからか四六時中――それこそ深夜まで待ち合わせの人間で溢れている。それだけでなく、渋谷と言えばスクランブル交差点、スクランブル交差点といえばハチ公という観光情報が世界中に知れ渡っているからだろう。写真を撮ろうとする観光客が、いつも長蛇の列を作っているのだ。


 そういうわけで、この辺りは非常に人が多い。だが、これだけ人が多い中でも美男美女のカップルというのは目立つものだ。お互いを見つけた二人は、旧友のように手を振り合って合流する。


 ……そして、それを物陰から追跡する俺と甲塚。


「蓮さん。今日のデートプランは、自信があります!」


 プラス、美少女一人。


「何で、当然のように飯島美取が合流してるわけ?」


「俺が連絡しといたんだよ。どうせ尾行するんなら、別々に後を尾けるよりかは三人で話しながら歩いた方が、少しは景気が良いだろ?」


「あーっ……!」甲塚は鬱陶しそうに息を吐くと、両手で瞼を擦りまくった。「佐竹だけならまだしも、おまけでド素人がくっ付いてくるんじゃ苦労するのはこっちなのよ? そこんとこ分かってるわけ!?」


「な、なんか、ご迷惑お掛けしているようですいません」


「そんな大袈裟なことを言うなよな。たかが一人増えたくらいでさ」


 早速縮こまってしまった美取が気の毒なので庇ってやる。どうも、この二人のパワーバランスは甲塚の方に大きく傾いているようだ。


 ……まあ、それも無理からぬことだけど。


 甲塚は美取と俺の繋がりについて承知していて、それはつまり美取の秘密を掴んでいるということなのだ。でなければ、彼女がこうもフラットにぶち切れることはしないだろう。


「大袈裟だと思うんなら周りの目を見てみなさいよ。滅茶苦茶注目浴びてるわよ、私達」


言われてみれば、さっきから周囲の目線が俺たち――というか、美取に止まっては離れ、再び止まることが多い。


 そういえば、今日の彼女は前回のような奇天烈な変装ではなく、地味な仕立ての黒いスカートに、なぜかおっさんが着るような、ちゃきちゃきの銀色ジャンパーを紺色のシャツに羽織っている。通りすがる人々はこの渋い格好と顔のギャップに驚いて、最低二度見してしまうのだろう。


「どうかしました? 蓮さん」俺の視線を不思議に思ったのか、美取は自分の格好を上から足先まで眺めた。「私の顔に、何か付いています?」


「え? いや……」


 俺がこんなことを言うのは、本当に、資格が無いとは思うのだが――


 これはもしかして、ダサい、のではないだろうか。


 いやいや、美取はファッション誌のモデルを務める、謂わばセンスの塊のような女子だ。そんな彼女の私服がダサい――なんてことは有りうるのか? 確かに、雑誌で着る衣服はコーディネーターがいるんだろうけど。それにしても……。


「佐竹。ダサい格好をしている人間にはダサいと言った方が本人のためよ」


 言葉に詰まっていると、横から甲塚が直球を投げてきたんで俺と美取の間の空気が凍ってしまった。しかも当の甲塚は俺たちの横を素通りして早速尾行を開始してしまうし。


 ……取り敢えず、女子の私服は褒めろ。みたいなこと言ったの、甲塚だよな?


「だ、ださ……?」


 銀色のジャンパーに止まっていた視線を、慌てて顔に戻す。だが、その視線の動きはバッチリ見られていたようだ。美取の口が、自動式のシャッターのようにゆっくり開いていく。


「美取さん。……今は、とにかく、歩きましょうか」


「れ、蓮さん。私、これ、ださ」


「とにかく、行きましょう。ね?」


「……」


 美取は何を気迷ったのか、いきなりジャンパーを脱ぎだした。


「美取さん。上着は着た方が良いですよ。寒いでしょ。……ほら。体震えてるし……」


「着ないですっ」


 そのままむっつりと俯いて歩き出してしまう。甲塚はまだしも、俺にダサいと思われて相当プライドが傷ついたって感じだ。……なんで、甲塚が踏み抜いた地雷の爆風を俺が受けているんだろう。


 ――仕方が無い。


 信号待ちのタイミングで、革のジャケットを脱いだ俺は、それを美取の肩に掛けてやった。驚いた彼女の腕から、ちゃきちゃきジャンパーを引っ手繰る。


「れ、蓮さん?」


「そんなに着るのが嫌なら、交換しましょ。俺たちならそんなにサイズ違わないだろうし」


「……」


美取はジャケットの襟を引き寄せると、意外にもすんなり着込んでくれた。

 

「良いですよ。蓮さんがそうしたいのならね」


「はあ。何を怒っているんですか……」美取の怒りに困惑しながら、ちゃきちゃきジャンパーに袖を通して――


 驚愕した。


 滅茶苦茶肌触りが良い。


 それに、全然風も通さなければ熱も逃がさない。


 流石の俺でも、これが非常に質の高いものであることは分かる。今更だが、非常にハイブランドな衣服というものは、凡人の俺にはさっぱりセンスが理解できないものがあるんだ。


「……もしかして、これ、滅茶苦茶高いやつ?」


「さあ、どうでしょう。甲塚さんに聞いてみたら良いんじゃないですか?」


 なるほど。高級品と分かれば動き回るにも気を遣う。これは、美取なりの復讐なのか。


「やっぱり、これお洒落な気がしてきた。美取さんにお返ししましょう」


「嫌ですね」


「……」


「ほら、甲塚さん行っちゃいますよ?」


 言われて見ると、甲塚は俺たちのことなんか放っておいて、もう一つ向かいの横断歩道を渡っているところだった。


 ……まさか、あいつこの上着が高級品だと分かった上で……。

 

 *


 自信満々の美取によると、今日のデートプランはこうだ。


 まず、一時間ほどウィンドウショッピングを楽しんで(できればここで手頃なアクセサリーをプレゼントして)、次に、今流行らしい恋愛映画を二人で見て(できればここで手を繋いで)、最後はそこらのレストランで(できれば夜景が見える場所で)夕食を共にする、というプランらしい。


 ……ベタなお約束のキマイラみたいなプランだが、意外にも甲塚の反応は悪くない。


「まあ、映画館に行くには良い時期でしょうね。ウィンドウショッピングっていうのも、椅子に押さえつければバネみたいに立ち上がる宮島には良い運動になるでしょ。あいつなんて、いきなり映画館に連れて行ったりしたら映画館のタブー全部侵すに決まってるもの」


 俺たちは、二人が映画館の入場ゲートをくぐっていくのを柱の陰から見守っていた。ちなみに、手頃なアクセサリーをプレゼントする、という努力目標は未達であるし、夜景が見える店で夕食というのもどうせ予算的に無理だろう。


「あの、宮島さんってそんなにエネルギッシュな人なんですか? ショウタロウ君、そういう人がタイプなんだ……」


「甲塚の誇張に一々付き合わなくて良いですよ。それより、今から映画観るんだよな。あの二人」


「はい! ほら、これですよ!」


 美取は壁に展示してある恋愛映画のポスターを指差した。それが変な髪色の美男美女が大写しになっている、如何にもなポスターだったので一発でげんなりしてしまう。


「はあ。これですか」


「この映画、事務所の先輩が役貰ってるんです。だから、応援しているんですよ。SNSでも話題沸騰で……!」


「何よ。身内の劇のチケット捌きってわけ?」


「いや、ですから、業界からの絶賛が……」


「ていうかその映画、もう今日の上映終わってるけど」


「……ええっ!?」


 驚愕した美取は慌ててゲート横のスケジュール表を確かめに行く。


 甲塚はすっかり呆れ返ったらしい。売店横のソファに座り込んで、


「夜までの上映回は無いってわけ。何が話題沸騰、絶賛よ。全然客入ってないじゃない」と、足を組んだ。


「――待てよ? だったらあいつら、何のチケットを買ったんだ?」


「今入場できる映画は、それしかないわよ」


 甲塚が顎で示したのは、国民的ギャグアニメの劇場版である。まさかとは思ったが、場内アナウンスを聞く限り本当に二人はこれを見に行ったらしい。


「……二人が手を繋ぐ心配は、しなくてよさそうだな」


 安堵の溜息を吐いて、甲塚の横に座る。すると、愉快そうに絡んできた。


「あらあら。あんた、そんなに余裕ぶってて良いわけ?」


「何だよ。子供向けギャグアニメを前にして、カップルの仲が進展するとでも思ってるのか」


「分からないわよ。見ている限り、宮島も結構乗り気だったみたいだし。恋愛方面はどうか知らないけど、少なくとも友情は深まるんじゃない」


 郁が……。そういえば、郁なんだった。あいつは基本的にキラキラ光る物と面白いエンターテイメントはいつでもウェルカムって感じだからな。


「……あり得るかも」


「それにあの二人は、恋愛感情から仲を深めていくより、仲の良い男女っていう方面の方が恋人になる目はありそうよ。今日のあいつら、結構楽しそうだし?」


「……」


「良かったのかなぁ。臼井にデートする時間なんてあげちゃってさ。この調子なら本当に彼のことを選ぶかも知れないわよ、宮島のやつ」


「それ、脅しだよな?」


「マジよ。逆になんで危機感湧かないわけ?」


「そう言われても、困るんだよな」


 俺の目からすれば、二人の仲が進展しているのかしていないのかちっとも分からないのだ。彼らが交わすアイコンタクトや、産み出す間、笑顔の意味の一つ一つが理解不能である。甲塚にはそういうノンバーバルコミュニケーションを解読する能力があるのだろうか。


 ……いや。むしろ、俺にその能力が無いのか……?


「もしかしたら、俺は他人の好意に対して鈍いのかもしれない」


「――今更!?」

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