第145話 火遊びと雨宿り

「……わざわざ俺を別に帰らせたのも、このためだったんですか?」


「昨日のこと、わたくしはとっても反省していますのよ」


「反省するって言ってもねえ」俺は先生の対面に座りながら言う。「あの甲塚の目を騙せたんだ。誰にだって秘密がバレるわけが無いですよ」


「悪事が公になることと、その行いを悔いることは別のお話よ、佐竹君。そして、大人が反省する、ということは二度と同じ間違いを犯さない、ということ」


「というと……?」


「昨日の失敗の原因は、遅くにご飯を食べたこと。それと、外食しに行ったことの二つだと思うの」


「……はあ」


 酒の一つだろ、と思いはしたが取り敢えず話を聞いてみる。


「とはいえ、食べ盛りの子を空腹のままこき使うというのも、大人としてよろしくないでしょう? 佐竹君のことだから、お家で食べるにしてもインスタントでしょうし。いわば、これはまかない料理というやつですわ!」


「まかない料理。……」


 こんな豪勢なまかないがあるかい。本来まかない料理っていうのは、余った食材なんかを使って作る従業員用の料理だぞ。そのために食材を買い込むなどもっての他だ。


 ――まあ、先生の言い分をああだこうだとツッコむのは止しておこう。他人が作ってくれた料理を前にしているんだし、冷ましてしまうのは失礼ってもんだ。

 

「……すいません。それじゃあ、頂いて良いですか?」


「ええ。どうぞ、召し上がれ」


 召し上がれってか。よく知る割に聞いたことの無い言葉の一つだ。


 俺は手始めに卵焼きっぽい黄色い物体を口に放り込んでみた。


 卵焼きだった。味に関して特に瑕疵は無いが、これは! と思うところも無い。普通の卵焼きだ。ただ、多少形が崩れているところを見るとスーパーの惣菜を皿に載せた、というわけではないらしい。


「……」


 よし。今度は、茶色いご飯ものを食べてみよう。


 箸で米を持ち上げるとつるりとしたシメジが顔を出した。他にも、細かく切られた根菜が混ぜ込んであるらしい。


 これは、ちょっと感動するほど美味しかった。こういう素朴な炊き込みご飯を味わったのは一体何年前になるだろうか……。下手すれば、給食が最後だ。


 さて、今度はミソっぽい汁に――と、器を持ったところで、対面の東海道先生が咳払いを一つする。その時、初めて先生が一口も食事に手を付けていないことに気が付いた。


「食べないんですか?」


「こういう時は、頂く側が作ってくれた側に感想を言うものだわ。それも、大抵はポジティブなものを」


「……!? 上流の世界では、そんなマナーが!?」


 先生は一瞬目を見開いて、


「あっはははは! ふ、ふ、ふ……!」と大声で爆笑し始める。「あなたは一体、上流家庭というものを、何だと思っているのかしら! あはははっ!」


「笑わないでくださいよ。食事中にイヤだな」


 あからさまに眉を顰めると、先生は慌てて口を手で隠した。が、笑いは収まっていない。


「強いて言えば、親しい人間同士のマナーですわ。わたくしは、あなたのために料理を作った。だから、佐竹君がわたくしの料理を気に入ってくれれば嬉しいじゃありませんか」


 言われて、テーブルに展開された料理軍の一皿一皿を眺めた。彼女の言うことが本当なら、ここにあり合わせの惣菜とかは無いということだろうか。


「……ちゃんと美味しいですよ。特にこの炊き込みご飯は、お代わりが欲しいくらいですね」


 先生は、さっきとはベクトルの違う暖かい笑みを浮かべた。


「それは良かったわ。心配しなくても、お代わりならございます」


 そう言うと、ようやく彼女も料理に手を付け始める。


 *


 食後に先生と台所で食器を洗い、それから本来の作業に取りかかる。


 食事をして食器を洗って、軽く台所を片付けて――と時間外の作業に手間を取り作業の開始は昨日より一時間も遅い。というか、さっきまでの時間は勤務時間に含めて良いものか――ま、ダメだよな。


 今日運び出すのもデリケートな機材であることに違いは無いが、昨日のギター類ほどではない。むしろ問題なのは、一部のアンプという機材が運び出すには重く、大きすぎることだ。これは、先生がどこからか持ってきた台車を使って、地下へと運び出さなければならない。


 いつの間にやらクローゼットからの品出しは先生が、台車を使った運搬は俺が、大きな物を運ぶときは共同作業で、と作業に棲み分けが出来ていて、俺が上と下を行き来することに集中している間に、あらかたのものは運び出しが終わっていたらしい。


 ポニーテールに髪を結んでいる先生は、最後に俺が部屋に現れたとき回転椅子に座っていた。素足で椅子を回転させて、「綺麗になりましたわ~!」と、体全体で喜びを表現する。


 先生と言うにはあまりにもあどけなくて、俺は彼女が同年代か、年下なのではないかと錯覚しそうになってしまった。


 それから、改めてクローゼットの中をチェックし、音楽関係のものを全て運び出していることを確認した。こうなってしまえば、何とも特徴の無い部屋に住んでいるものだ。今部屋に残っているのは、大きなPCと三枚モニター。それに、教職向けの本だけ。


「……まあ、部屋の掃除はしなくちゃならないでしょうけどね。それに、運び出した物は後で運び入れないといけない」


「そうねえ」


「それじゃあ、俺はそろそろ帰りますよ。部屋の掃除くらい一人で出来るでしょ。来週、機材を戻すときにまた呼んでください」


 軽く頭を下げると、東海道先生は慌てたように立ち上がった。


「もう帰ってしまうの」


「これ以上いたら、遅くなります」俺は頭を振って続けた。「それに、いつまでもお邪魔しちゃ迷惑でしょ」


「迷惑だなんて、そんなことないわ。せっかく生徒をお家に招いたのですから。こんな機会ないじゃないの」


「逆に、俺を引き留めて何をするつもりなんです?」


「二人でお話をしましょう!」


「お話って?」


「そうだわ」先生は良いことを思いついたように手を叩く。「進路の相談とか。昨日は、色々あって有耶無耶になってしまったでしょう?」


「……昨日気が付いたんですが、先生は進路相談の相手としちゃ不適格かと……」


 先生はショックを受けたように顔を赤らめて、出入り口を塞いできた。


「何を――どうしてえ!?」

 

「先生は、何だかんだ言っても生き様がロッカー過ぎるんですよ。意外と目の前の欲求に対して無力であったり……あまり後のことを考えないというか、刹那主義者なんです」


「……」


「その点、教師としてはどうです? あれを我慢しろ、これを禁じる、未来のことを考えなさいと、そんなことを生徒に言うのが仕事でしょう? それを本人は裏でバンド活動なんてやっているんだから。『バレなきゃ良い』っていうのを一番肌身に感じているのは、あなたじゃないですか」

  

「そんなことは……」


 俺は、先生の肩を掴んで廊下に押し込んだ。


「この広い家で先生と過ごすのは居心地が良いです。けど、人生が狂いそうな気がするんです。少し……」

 

 *


 マンションのエレベーターを降りながら、これで良かったのかと考える。


 どうも先生は俺が一晩過ごしたのと、学校での反応があまりにも無かったから危機感と罪悪感が麻痺しているらしい。


 東海道先生の提案を鵜呑みにすれば、きっと俺は再びこの家で一晩過ごすことになっただろう。彼女にとって、自分の家に生徒を泊める、ということが刺激的な火遊びになってしまったのではないだろうか……?


 となると答えは簡単。これで良かったんだ――と、エントランスを出たら、なんと外は土砂降りに転じているではないか。ここに来た時は小雨だったのに。


 チッ。


 エントランスのソファで雨が止むのを待つか、と思ったが既にゲートは閉まっている。あんなことを言って今更先生に開けて貰うのも……。


 通り向かいのコンビニに駆け寄って、時間を潰すことにした。最近のコンビニはどの雑誌にもプラスチックのカバーが装丁されていて、立ち読みには向かないんだけど。

 

 仕方なく、雑誌のカバーを眺めて時間を過ごしていたら、マンションのゲートから豪奢な傘がぬっと顔を出した。それが通りを渡ってきて、コンビニに入ってくる。


「この季節の雨は、冷えるわね」


 現れた東海道先生が、俺の頭についた雫を手で払った。


「……ですね」


「せめて、雨宿りくらいはしていきなさい」


「……はい」


 その晩、雨が止むことは無かった。


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昨日の投稿が遅れてすいません。

少し体調を崩しておりまして、今日の分は余裕があれば更新します。

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