第137話 クリスマスまでの課題

 郁たちのデートを見届けた夜。風呂に入りながらSNSですけべな絵を眺めていたら、甲塚から電話が掛かってきた。別に構わないんだけど、俺と甲塚はいつからこう気軽に電話をし合う仲になったんだっけ。


 俺はスマホを愛用してはいるけど、ほんの最近までこの板が元々電話だってことを忘れていたくらい使用していない機能だったんだ。着信履歴には、既に甲塚の名前が連なっている。


「どうした」


「今平気? 平気よね。どうせお風呂にでも入りながらえっちな絵見てたんでしょ」


「……すけべな絵はともかく、何で風呂に入ってるなんて分かるんだ」


「音、反響してるし。ていうか、ほんとに見てたの? ほんとあんたは……」


 俺は慌ててスピーカー出力から切り替えた。俺の生活は基本的に単純な運行だけど、こう行動を読まれていると恥ずかしい。


「うるさいな! 人のライフワークにいちいちケチを付けるな。で?」


「飯島は敵だけど、用済みということもないかもね。あいつがボロボロ臼井家の家庭事情を話してくれたお陰で、臼井の秘密が具体的にイメージできてきた。私達の方向性、間違ってないわよ。この調子この調子」


 甲塚はやや高揚した口調でそこまで捲し立てた。俺の方は彼女の熱量に今一歩付いていくことができないでいる。


「はあ。……それ、今電話する程の話?」


「さっきは本人がいたから言えなかったんじゃない。あんたたち、何なの? ばったり会うなり一日中べったりしてさ。そんなんで本当に宮島に告白するつもり? 絶対トラブルになるわよ」


「それを言うなら、一日中一緒にいたのはお前の方だろ。朝から俺の家に押しかけてきたんだから」


「あっ」


「……」


「……」


「まあ、トラブルを起こすつもりはないから、平気だよ。それに、郁と……付き合うかどうかは、まだ分からないしな。クリスマスまでに彼女の気が変わらないとも言えないだろ」


「くく。なら、せいぜいクリスマスまでに臼井と張れるくらいの男にならないとね」


 俺がショウタロウと? それは無理だろ。衣服のセンスとかに改善の余地があるのは自覚しているけど、俺と奴じゃ顔のグレードがそもそも違う。


 ――だとしても、努力はしなきゃな。だからと言って、諦める理由にはならない。


 郁がショウタロウの告白に一発でやられなければ、俺は二番手として想いを告げることになる。しかも、クリスマスという最高の時期の後で。それでぬぼーっとした服で現れたりなんかした日にゃ……幻滅される未来が見える……。


「そういう男になるにはどうすれば良いんだろう。服のセンスとか、デートのプランとかさ……今まで、そういうのと全く無縁だったんだ。どう改善すれば良いのか分からない」


 今日痛感したが、俺という男はショウタロウの無計画さを馬鹿にできないのだ。甲塚が減点したポイントなんて言われるまで分からなかったし、言われてもピンとこないものが多々ある。きっと女子と付き合う、ということは単純に綺麗なものを見に行ったり、楽しい遊びをする、ということには留まらないんだろう。


「あんたが危機感を自覚してくれて嬉しいわね。そうこなくっちゃ! あいつらの仲の邪魔も捗るってものよ」


「張り切ってるところ悪いんだけど、具体的な案は無いのか?」


「簡単よ。センスが無いなら、センスがある人間に付いていけば良い。そうすれば、自分の何処が芋臭いのか分かるでしょ」


「……なるほど」


 それは、あれか。


 RPGで言うところの、強い仲間の後ろにくっついて経験値を貰う的な。


 痛みを伴うパワーレベリング的な……。


「結構馬鹿にした案じゃないと思うけど。今からクリスマスまでじゃ、ファッション雑誌開いてお勉強なんてまどろっこしいでしょう?」


 それはそうなんだけど――俺の知り合いで、センスがある人と言えば……?


 その時思い浮かんだのは、この一年で知り合った面々。思えばどいつもこいつも独特なセンスを持っているような気がするが、それぞれがそれぞれの分野で良い物を持っている気がする。


 ……それにしても、知り合いの女性比率の高さは一体何なんだろう……。


 *


 月曜の朝、怖いもの見たさで開いた冬服のクローゼットを前に、俺は溜息を吐いてしまった。


 外に出るための服なんて、ここ数年――いや、産まれてこの方誰かと歩くために買ったものは一つとしてない。そんな男子高校生の衣服セットが、これだ。


 まずズボンのラインナップを見てみよう。妙に質感がテカテカした厚手の黒ジーンズ。何年着たか分からない黒のチノパンに、裾が破けた黒のカーゴパンツ。基本、この三本を着回している。


 トップスは、去年セールだからと母親が買ってきた白いロングシャツ、黒いロングシャツ、ボーダーのロングシャツ、たまに着る襟付きの黒いシャツと、……何故か郁に貰った犬Tシャツがここに入ってる。


 そして上着は……昨日着たレザーの黒ジャケットと、黒いジャンパーか。


 何と言うことだ。ダサいというレベルでは、無い。


 まず、黒い。黒すぎる。トップスは殆ど俺のセンスじゃないから色の選択肢はあるけど、ズボンと上着が黒しか無いではないか。何で今まで気が付かなかったんだろう。


 あまりのショックに、一人クローゼットの前で膝から崩れ落ちた。


 ……俺は今までの冬を、こんな服着て出歩いていたのか……!?


 高校一年生の冬になってようやく自分のセンスの無さに打ちひしがれるとは、我ながら情けないことこの上ない。というか、今自分のダサさに気付かずにうっかり大人になってしまったことを考えたら身の毛がよだつな。


 ――よし。この冬に俺は変わるぞ!


 今までの黒歴史、じゃなくて黒服の歴史に、終止符を打つんだ!


 そのためにまず頼るのは……やっぱりあの人かな。時期的にも丁度良いし。


 気持ちを切り替えて、マンションを出る。すると、毎朝の如く郁が家の前で俺を待っていた。俺が姿を現すなり駆け寄って、どかんと尻で追突してくる。


 本人からすればちょっとした茶目っ気なのかも知れないが、洒落でも冗談でもなく電柱に叩き付けられた。


「蓮! おっはよーう」


「お、おはよう。お陰でバッチリ目が覚めた……」


 元気に歩き出す郁を、脇腹を押さえながら追う。何で月曜の朝っぱらから打撲級のダメージを受けなきゃならんのだ。


「いやー、定期テストも文化祭も終わっちゃうと、もうクリスマスまで消化戦って感じだよね。その後は冬休み! ちょっと気が抜けちゃうよ。昨日も遅くまでゲームやっちゃって、寝不足でさ。今朝は慌ててシャワー浴びてきたんだもん」


 いきなり郁が首元を俺の鼻先に突き出してくる。


「……する?」


「な、なんだ、いきなり」


「石鹸の匂い。する?」


 郁のうなじに鼻を近づけて嗅いでみる。これは、柑橘系の匂い……? 酸っぱいレモンのような、甘い桃のような……。


「郁の匂いがする……」


 バッと郁が顔を上げた。赤くなっている。


「わ、私シャワー浴びたよお」


「分かってるよ。普通に良い匂いだけど、宮島家の石鹸の匂いなんて知らないし。女子ってそもそも良い匂いがする生き物だし……」


「ふ~ん。蓮って、ほんとに女の子と付き合ったことないんだ」


 俺は郁を二度見した。

 

「今の話からなんでそうなる!?」


「あははっ。女の子だって普通の人間なんだから、普通にお風呂入らなきゃ変な匂いするもん。女子と付き合ったことある人は、そんな夢みたいなこと言わないって! 多分……」


「……そうなの!? いや、でも漫画とかアニメじゃ……」


「漫画とかアニメは、漫画とかアニメだからねぇ」


「……」


 なんか、ちょっと悲しい。小学校の授業で、世界の戦争の歴史を学んだときと同じ気分だ。


「信じられないなら、嗅いでみる?」


「ん?」


 郁の目は、あらぬ方向を向いている。


「私の匂い。今するか分かんないけど……」


 言いながらブレザーのボタンを一つ外して、片方の下襟を大きく開け出す。すると、白いシャツに覆われた胸から脇までが横から見て露わになった。


 ……ここに鼻を突っ込めと!? どんな変態行為だ。


「いやいや。近い近い」


「ん、んん!? 近いって、何が……!?」


「パーソナルスペースが。俺たち、付き合ってるわけじゃ無いんだからさ。さっきから距離感いつもより近いぞ」


「あはは、確かに!」


 郁は軽く笑いながら、あっさりとボタンを閉め直す。だが、顔中を流れる汗は取り繕えない。


「……昨日のデート、楽しかったか?」


「あ、うん。楽しかった! 行き先は新宿のおっきな公園でさ。とにかく、空気が綺麗で……! 都会じゃあんなに自然があるところなんてあんまり無いし。あ。あと、あそこってなんか有名なアニメの舞台なんだって!」


 あらっ!? 意外と好感触……。甲塚の採点はさんざんだったというのに。


「そ、そうなんだ……やるじゃん。ショウタロウ……」


 郁はくすりと、目を細めて笑った。


「嫉妬した?」

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