第136話 好きな人と見る景色は、ビビッドカラーで少し淡い

 ベテランの甲塚の先導に従って、俺たちは難なくショウタロウたちの尾行を再開した。二人ならまだしも、三人横に並んで歩けば嫌でも目立つということで甲塚、俺、美取と縦一列に並び、先頭が止まれば止まり、あらぬ方向を向けばあらぬ方向を向き、歩き出せば歩き出すのである。まるでアヒルの家族だ。


 とはいえ、尾行するにしても甲塚に従っているだけで俺たちはその恩恵を授かれるわけで、正直緊張感は薄れる。手続きを済ませて御苑のゲートをくぐると、俺は後ろに付いてきた美取に話しかけた。


「御苑を提案したのも、美取さん?」


「はい。本当なら、今日が雨降りだったら良かったんですけどね……」


「はは……この時期は冷えるでしょ」

 

 美取が言っているのは、新宿御苑を舞台とした中編アニメ映画のことだろう。結構前の作品だけど、そのアニメ監督は今では日本を代表するクリエーターとしてトリプルエー級のアニメ映画を手がけるようになっているから知名度は高い。


 それにしたって、なけなしのデート行き先候補がアニメから仕入れた知識というのは如何にも美取、という感じがする。


「私、あの映画好きなんです。そのうち聖地巡礼してみたいと思っていたんですけど、一人で来るには中々腰が重いというか」

 

「まあ、用もないのに一人で公園に訪れようとはそうそう思いませんよね。ここから遠いんですか?」


「遠くないですよ。全然。多分、蓮さんのご自宅からそう遠くないと思います」


「……そういえば、前にDMで言ってましたね。生活圏、結構近いんだ」


「です!」


「ちょっと待った。それは変」


 歩を進めているショウタロウたちを見据えながら、甲塚が横やりを入れてきた。


「変、ですか?」


「ショウタロウの家は、桜庭からかなり遠かった筈よ。郊外の方でしょ」


 あれ? そういえば甲塚から聞いた話じゃ、ショウタロウの帰宅路は電車だのバスだのを乗り継いで片道でもかなり掛かる。だから尾行は諦めざるを得なかった……みたいな話だったような気がする。


 だとすれば、確かに話が食い違っているな。


「ああ。私とショウタロウ君は別々の家に住んでいるんですよ。私とお母さんはこっちで、ショウタロウ君と……お父さんはそちらで」


「え?」


 別居している、ということか?


 これは意外な情報だ。


 家が別々となると、ショウタロウと美取の間に殆ど会話が無いというのも頷ける。しかし、それが意味するのは臼井家の家庭が複雑な事情を抱えているということだ。


 流石に甲塚も、気にはなるけど気軽に聞くことはできないんだろう。珍しく明らかな突っ込みどころを看過しているし。


 新宿御苑は都会の中とあって中々の人通りがあるが、この広大な敷地では必然的に人口密度は低くなる。広い遊歩道にはカップルや家族連れの姿がポツポツとありはするけど、下手な尾行をすれば直ちに俺たちの存在に感づかれるよな。それを避けるためには、とにかく認識されない十分な距離を保つしかない。


 俺たちは非常にゆっくりなペースで遊歩道を進みながら、視界の隅にショウタロウたちを捉え続けた。


 そのまま数十秒無言が続いた後、再び美取が口火を切る。


「……あの。今更なんですけど、お二人もショウタロウ君を尾けているってことで良いんでしょうか……?」

 

俺は甲塚の顔をチラリと見た。興味が無さそうなところを見ると、特にこっちで意志を通じ合わせて取り繕う必要はない……ってことだよな。

 

「ショウタロウを尾けているっていうか、あの二人かな。あいつが連れてる女の子、見覚えない?」


「えっと。……すいません。遠目にしか見えないので……」


「ほら。後者裏で鉢合わせたもう一人の方」


「……あー! 号泣してた?」


 脳裏に、おもちゃのチンパンジーみたいにエアシンバルを叩く郁が浮かぶ。あんだけ強烈な印象なら忘れるわけないか。


「そうそう。なんか、ショウタロウがあいつのこと好きなんだって。で、デートするっていうから、……まあ、興味本位で見物してるって感じかな」


「へえー! すっごい偶然ですね……!」


「そう。全くすっごい偶然なんだよ」


 ショウタロウは俺の幼馴染みに恋をしていて、彼の家族が俺のよく知る3atkeさんだった。世間が狭いとはよく言うけど、あれは物語の中だけの都合良さだと思っていたのに。


ところが、

 

「くくく。馬鹿じゃない。そんな偶然あるわけ無い……」と、甲塚が意味深な嘲笑をする。

 

「な、なんだよ」


「あの臼井も、男子ってことよ。あいつなりにちっぽけな自尊心を持っていて、ここ最近どっかの馬鹿に泥を付けられた。だから、数いる女子の中でも宮島を選んだ。逆に言えば、誰でも良かったってことなのよ」


「……?」


 甲塚は一体何を言わんとしているのか。ちっとも分からない。


 首を捻っていると、甲塚が呆れた様子で振り向いた。


「要するに、あんたは臼井に敵視されているってこと。……気付いてなかったの?」


「へ? 俺が、ショウタロウに?」


 何故、こんな俺がショウタロウの奴に敵意を抱かれなければならないのだ。全然心当たりが無いぞ。


「……そういえばあの子、蓮さんのことが好きみたいでしたね。私と一緒に歩いているところを勘違いして大泣きしちゃったんですもんね」

 

「あ」


 心当たりあったわ。そういえばそうだったわ。


 俺と臼井は、お互い恋敵なんだ。


 郁と一緒にいるところは何度となしに見られているし、あいつが俺と郁の仲を勘違いしてもおかしくない。


 俺と美取の間で結論を発見した気分でいると、甲塚は唇をもごもごさせて、何とも言えない表情をしている。


「微妙に違うんだけど……ま、今はいいわ」


 *


 新宿御苑は、アニメ映画で見たそれよりもずっと素朴で、土の香りがして、目に見える彩度はどこまで言っても現実の地続きでしかなかった。


 そして、良い感じの景観があるところにtiktokerは現れるものだ。秋の終わりで草木も元気が無くなっているというのに、銀杏の木の下、一端のモデルを気取って写真や動画を取っているんだから頭が下がる。


 ……って、俺の横にいるのは本物のモデルなんだった。


 ああいう連中を見て美取はどう思ってるんだろう――と横を向くと、そこら辺の、葉を落とした木の枝なんかに見蕩れているのだった。これが、tiktokerに酷な程サマになっているんだから。例えば俺が、ここでサッと撮影したら、それがそのまま雑誌の表紙にでもなりそうな……。


 俺の視線に気付いたのか、振り向いた美取がマスクを降ろしてにこりと可愛い笑顔を見せる。


「せっかくの聖地巡礼も、秋の終わりじゃ雰囲気無いんじゃないかな。甲塚は減点って言わないけど」


 当の甲塚は、俺たちから大分離れた位置でショウタロウたちの会話が聞き取れないかとスニーキングしている。


「そんなことないですよ? 妙な成り行きですけど、蓮さんとここへ来られたのは……嬉しいかな」


「嬉しいって、……ははは」


 多分、美取に他意は無いんだろうな。


 単純に趣味が近い俺と、アニメの舞台を歩いて、感想を言い合えて楽しい……と。


「そういうこと、あんまり男子高校生に言うもんじゃないよ。特に、俺たち一回痛い目見てるんだからさ」


「痛い目?」


「ほら、SNSでさ……」


「……あぁ~! あはは……」美取は頬をポリポリ掻いて苦笑いをする。「やっぱりあれ、桜庭でも話題に?」


「なりましたよ。その様子じゃ、そっちも?」


「はあ、あはは。なんか、勘違いされちゃったみたいで……こんな私でも注目集めることがあるんだって、びっくりしちゃいました」


「ああ、俺も俺も」


「あ、あの写真の人と、付き合ってるのかって……」


「……俺も」


「なんか、困っちゃいますよね」


「そうだな……」


 それから会話が途切れて、俺は美取と葉を落とした木を眺める。こうして前にすると、意外にも発見があることがわかった。葉っぱが付いていないからといって、この木の力強さはちっとも陰ってはいないし、枝の伸ばし方一つ取っても自然の怪奇さを味わえる。自然というものは面白い。


 とはいえ、アニメのようにロマンチックかと言うと……う~ん。


「アニメの舞台と言っても、いざ来てみるとやっぱ現実なんだよな……。淡い草木の色合いも無ければ、陽を照り返すタイルも無い。輪郭のハッキリした影も、光も……」


「そうですか? 私は、素敵だと思うなあ」


「……そうか」


 何も、良いと思っている人間の横でくさすことは無い。俺が黙り込むと、美取は苦笑して言い足した。


「そもそも、アニメの背景と現実が違うのは当然じゃないですか」


「そうかな? モデルは一応ここの筈だけど」


「そういうことじゃなくて、見える景色がきっと違うんじゃないですか? アニメで見たあの新宿御苑は、きっと物語の中で恋していた二人から見た景色だと思うんです」


「ほお」


 それはちょっとだけロマンチックで――少しだけ、救いのある解釈かもな。


「全部が淡くぼやけた新宿御苑も素敵だと思いますけど、好きな人といれば世界へのピントが少しだけ合って、アニメみたいにハッキリした世界に近づくんですよ、きっと」


「……そうなの?」


「そうですよお」


「んなわけ無いでしょ」


 突然背後から声を掛けられて、二人してギョッとしてしまった。甲塚が不機嫌そうな顔で突っ立っている。


「お、おお……ショウタロウたち、どうだった?」


「今のあんたたちからはかけ離れた雰囲気だったわね。まだまだ二人の間には距離があるって感じ。でも、御苑の散歩コースはそれなりに楽しんでいるみたいよ。……飯島」


「あ……は、はい!?」


「及、第、点」


「きゅ、及第点……」


 ――二人が御苑を出る頃には空は赤くなっている。


 初回のデートは、取り敢えずこれで終わりという雰囲気だ。晩飯までは、まだ二人の仲は進展していない。

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