第134話 もう一人の追跡者
新宿駅で下車した俺たちは数メートルの間隔を維持して郁を追おうとした。ところが、これが中々大変だったのだ。
JR新宿駅は数多の路線が通る、謂わば都心のハブである。
幾つもあるホームから降りた人間は、ほぼ全員が一旦地下階に降りて一緒くたになってしまう。そこから複雑な新宿駅構内を東口、南口、西口に移動するわけなんだが、ストレートに各出口の案内があるわけでもなく、一旦東改札、西改札、中央東改札、中央西改札、東南改札、南改札、甲州街道改札、新南改札、ミライナタワー改札のどれかを目指して――
「って、一体幾つ改札あんだよ!?」
校内地図を前に、俺は悲鳴を挙げた。地図を読むことは別に苦手でもないけど、いくら何でも複雑過ぎる。大体何で南改札と新南改札と東南改札同時に存在しているんだ。しかも、新宿駅の構造は一度間違った出口に出てしまうと、目的地までは新宿駅をぐるりと回るか、金を払って再入場しないと反対側へ行けないようになっているんだよな。
困惑してると、甲塚がついと腕を引いてきた。
「別に私達が迷う必要は無いでしょ。宮島を追っていけば良いだけなんだから。……まあ、当の宮島もうろうろしたと思ってたら、今はスマホを持って固まっちゃってるけどさ。あんた達、渋谷駅は詳しいくせに何で新宿で迷ってるわけ?」
「そりゃそうだよ。新宿は山手線の沿い線だし……」
「……山手線だから、何なの? 十分も掛からずに来られるじゃない」
「山手線は何というか……都心をぐるりと囲んでいる環状線だろ? それで、どの町も大体色んな沿い線が絡んでいるし、隣の駅でもアウェイな感じがするんだよな。俺たちとはちょっと文化が違うというか」
甲塚は大きく首を捻った。全然納得できない感覚のようだ。
「ま、確かに渋谷に比べれば年齢層は高めかもね。歌舞伎町とかあるし。新宿にあるものって大体渋谷にあるし」
「だろ? というか、甲塚はどうなんだよ。さっきから落ち着いちゃってるけど」
「別に遊びに来ることはあんまり無いけど……普通よ。普通に東京で暮らしている人間として、普通に知っている、くらい?」
「その普通ってのは、この複雑怪奇な新宿ダンジョンに迷わないということか……?」
甲塚は呆れたように溜息を吐いた。
「西は飲み屋街よ。デートということなら大体ルートは決まってるでしょ。新宿御苑辺りを散歩するか、向こうの映画館が目当てに決まってるじゃない。迷うようなことは無い」
「な、なるほど」
さっきから、スマホを見つめて固まっていた郁がようやく歩き出した。ショウタロウと連絡を取っているのだろうか。
しかし、映画館に御苑を散歩とは。
それが事実であれば、目的がハッキリしているだけ学祭の時よりも進歩しているということだが……。
何でこんなに不安なんだろう?
――いや、ショウタロウと郁が仲を深めるのが怖い、とかじゃなくて。
……同い年の男子が、黒歴史を生産する現場に立ち会うことにはならないよな?
*
どうやら、ショウタロウも新宿ダンジョンを放浪していたらしい。
一足先に南口に出た郁の元に、何故か通り向かいの信号からショウタロウがやってきた。今は十一時四十八分。多分本来は十一時半くらいに待ち合わせていたところを、お互いが迷ったことでここまで時間がずれ込んだんだろう。
顔を合わせた二人は何とも言えない表情を見せ合うと、大体甲塚が予想していたようなルートを歩き出した。
「はい、減点」
「減点!?」
隣を歩く甲塚が助走も無しに恐ろしことを言い出す。
「デートで女の方が遅れるならまだしも、男の方が遅れるってあり得ないし。それに、顔を合わせて会話も無しに歩き出すのも最悪……」
「え。そ、そうなの?」
遅刻の方に減点判定があるのは分かるが、待ち合わせで顔を合わせた瞬間にタブーを犯していたとは思えない。というか、俺でもあんな感じになると思うんだが……。一体何がダメなんだろう。
「女子をデートに連れ出すってことは、相手にそれなりの格好をさせて街まで出向かせるってことよ。それを褒めもしないで、いきなりペットみたいに引き連れるんだから。……宮島も気の毒よ」
「……」
甲塚の言うことは尤もな気がする。気がするんだが、滅茶苦茶居心地が悪くなってきた。
……。
……あっ!!
「今日の甲塚は、何というか、オーセンティックだよな」
慌てて甲塚の服装を褒めたつもりだが、俺でも意味がよく分かっていない語彙が出てしまった。案の定、目も合わせないまま眉間に皺が寄せている。
「別に佐竹に褒めろなんて言ってない。私達尾行してるのよ? 尾行に着る服褒められたって嬉しくない」
「あ、そう。……俺への当て付けかと思ったよ」
「ふーん。じゃ、あんたに当て付ける時はもっと分かりやすく言ってあげよっと」
「それにしても、さっきと比べて随分距離が近いな。大丈夫なのか? 郁は平気かも知れないけど、ショウタロウの行動パターンなんて分からないだろ」
「平気よ。一人で歩く時は注意が必要だけど、二人歩いてキョロキョロする人間はそういない。隣の人間がそんなことしていたら、よほど会話がつまらないか、相手に苦手だと思われていると考えた方が良いかもね」
そう言いながら、甲塚は首を回してキョロキョロ周囲を見回している。
「……もしかして、今当て付けられてる?」
「違う。――尾けられてるかも」
なんだって?
「尾けられてる? 郁とショウタロウが?」
慌てて甲塚の視線を追っても、せいぜい向かいの通りの歩行者か、ビルから出てくる人間しかいない。
「それか、私と佐竹か。この距離だと微妙なところね。……真後ろよ。振り返らないで。次の角を曲がるわよ。そこで一旦通り過ぎるのを待つ」
歩くペースを懸命に抑えて、向かいから歩いて来たカップルを、すれ違いざまに遮蔽に利用させて貰った。そして、死角に入るや一気にビルの角を曲がる。これも甲塚の息一つで見出したタイミングだ。きっと、尾行者の目には俺たちが突然通りから姿を消したように見えただろう。
建物の陰に隠れて様子を窺っていると、本当にそれらしき人間が通りに現れたので驚いた。ハンチング帽に、顔には大きすぎるサングラスと、口元を覆うマスク。それに紺色のロングコートを前を締めて着ていて……パッと見で不審者と分かる出で立ちをしているな。
不審者は俺たちが消えた辺りを不思議そうに見回すと、さして慌てる様子も無く道を歩いて行った。
距離を取った辺りで、今度は俺たちがショウタロウと郁を尾行する不審者の背後に回った。
「どうも、あいつの目的は宮島たちみたいね。で、様子のおかしい二人が後を尾けているのに気付いたから、ついでに観察してたってところかしら」
俺は感心しきって、甲塚の背中を軽く叩いた。
「凄いな! 後ろも振り返らずに、どうやって尾行している人間に気付いたんだ?」
「どうって、別にどうにかして気付いたわけでもないんだけど」甲塚は不思議そうに腕を組んだ。「言われて見れば不思議ね。何で私尾行されてることに気付いたんだろ……」
「……まさか、無意識に気付いたのか?」
「そんなことは無いと思う、けど、そうね。何となくだけど、通行人の視線とかがヒントになったかも知れない。擦れ違う人間が、前から来たのか後ろから来たのか。何かに気を取られていたのか、どういう風に気を取られていたのか……そういうことかも」
「へえ」
相槌を打ちながらも心底から震え上がった。今俺たちは尾行中だったわけで、甲塚はそんな状況にも関わらず背後からの不審な気配に「何となく」で気付いてしまうんだから。
甲塚は人の視線というものに対して、非常に感度が高いのだろう。だから、街を歩いているだけで俺とは全然違う情報量が視界に写っているんだ。
と、いうことはだ。
甲塚が敏感なのは、勿論俺の視線に対してもそうなんだ。俺が甲塚の秘密に触れかけていることについて、もしや感づかれて、泳がされている可能性は無いだろうか……?
「それよりも、ちょっと不味いんじゃないかしら……あいつ」
甲塚が前方を見据えながら舌打ちする。
「不審者か。何か問題か?」
「めっちゃ尾行が下手」
「ああ……」
そりゃ、一目で不審者と分かる見た目してるもんな。しかも身振りも一々大袈裟で、直線的に走って物陰に移動してはホッと一息吐いて、また直線的に走って移動してはホッとすることを繰り返している。あれじゃ甲塚じゃなくても尾行に気付くだろう。
甲塚を見ていてよく分かったんだが、尾行というものは対象を取り囲む環境に馴染むことが第一歩なんだ。そこに変化を兆すような立ち振る舞いをすれば、波及的に周囲がざわめいて、違和感に繋がる。
要するに、あの不審者が騒いでいるお陰で、不審者だけで無く俺たちも見つかる可能性が高まってしまう……と、甲塚はそう言いたいんだろう。多分。
「仕方ない。声掛けるか」
「そうね。じゃあよろしく」
「……」
これは当然の流れだ。初対面の不審者。ましてや正体不明のストーカーなんて、俺ですら声を掛けるには気が引ける存在だからな。甲塚は役に立たないだろうから、俺が声を掛けるしかない。ごねたって誰が助けてくれるわけでもないのだ。
……しょうがねえな。
俺は早歩きに切り替えて、電柱の陰でホッしたタイミングの不審者の肩を叩いた。
「あの。すいません」
「ひっ」
すると、不審者は見て分かる程飛び上がって驚く。
……待てよ? 郁はどうか知らないけど、ショウタロウのファンって結構過激な奴が多かった気がする。ましてやストーカーするまでの奴となれば――
血の気が引いた。こいつは危険かもしれない。
声を掛けてから固まっていると、恐る恐るこちらを振り向いた不審者が声を挙げた。
「……あ、あれ!? 蓮……さん?」
サングラスがずるりと下がって、見慣れた瞳が露わになる。
「美取さ――!?」
驚いて大声を挙げようとしたところで、口が甲塚の手に塞がれた。
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