第132話 日曜朝の尋問
翌日の日曜日。
十時頃に起き出した俺は、非常に緩慢なスピードで身支度をすると、居間の食卓でカップラーメンにポットのお湯を注いだ。週末の朝昼あたりは親と顔を合わせることもあるけど、どちらかと言えば今日のように一人の朝飯兼昼食を済ませることが多い。俺の家族連中は、歯車と歯車が噛み合うように絶妙にぶつかりあわない生活を営んでいるのだ。
そのことについて、今更感想を持つようなことはない。月々の小遣いはそれなりに貰っている方だと思うし、俺だって高校一年。これくらいの温度感は却って気楽ってもんだ。
……で、カップ麺の三口目を啜った辺りで家のインターホンが一回鳴った。
この家でインターホンが一回鳴るということは、チャイムを鳴らした相手はもう玄関先にいるということだ。ちなみに、マンションエントランスから部屋番を呼び出した場合はインターホンが二度なる仕組みになっている。
前触れも無く玄関先のインターホンが鳴ったということは、八割方宅配だろう。俺にネット注文した憶えは無いけど、多分母親が買い置きの食料でも注文したんだろう。
「はい。……あれ?」
麺を咀嚼しながら扉を開くと、何故かそわそわした様子の甲塚が突っ立っていた。今日はジーンズに黒白ボーダーのロングシャツ。上着はもこもこのファーが付いているカーキのダウンだ。外出時の甲塚あるあるで、初見の帽子も勿論被っている。黒いニット帽で先端のほうがだぶだぶしているやつ。
これは――
「おはよう。……今日のファッションのテーマは何だ?」
「……はよ。……テーマ?」甲塚は自分の服を見回して言った。「ファストファッションに侵食されし女……?」
「あ。なるほど」
言われて見れば、確かにユニクロのマネキンとかがそんな格好してた気がするな。ありそうで無かった斬新なテーマだし、人間が着ても普通にサマにはなるのか。
「てか、私の服なんてどうでも良くて。佐竹の親、今いるの?」
「いない。取り敢えず上がれば。ラーメン食べてたんだ。このままじゃ麺がのびちゃう」
「ん。じゃあ、お邪魔します」
革のブーツを履いていた甲塚は玄関口で少し手間取った後、すんなり居間の食卓に座った。
……ん? そういえば、なんで日曜の朝に甲塚が俺の家に来たんだろう。
「――なぁんでスマホ出ないのよっ!?」
「ぅごっ!? ほっ……」
再び麺を啜ろうとした俺を前に、甲塚は突然フルスロットルで怒りだしてしまった。驚きのあまり、口に含んだ麺をスープの中に吐き出してしまう。
「昨日の晩から散々コールしたのに、全然出ないんだから……! こっちは結果がどうなったのか気が気じゃなかったのに!!」
「お、俺のスマホに?……あれ?」
そういえば、昨日カラオケ店を出てから――というか、カラオケを出る直前辺りから全然記憶が無い。確か、告白されて……告白して……?
「宮島に告られたことまでは聞いた。で!? そっからどうなったの! 臼井と宮島のデートは!?」
「お前の怒鳴り声、朝に聞くにはキツいなぁ」でも甲塚によるショック療法のお陰か、ちょっとづつ昨日のことを思い出してきた。「えーと。確か、郁とカラオケで……」
思い出してきたら、自動的に顔に血が昇ってくる。昨日はちょっと、郁も俺もテンションがおかしかった。カラオケの、あの空調が効きすぎる空気感が俺たちをそうさせたのだろうか? エアコンって、結構危ないかもな……。
「ちょっと――」俺の顔色の変化を読み取ったんだろう。甲塚まで顔を赤くして、口をパクパク大袈裟に開いて言葉を続ける。「あんた、まさか、あの、宮島と……」
流石に、甲塚がどんな妄想をしているのか察しが付いた。慌てて箸を持った手を振る。
「馬鹿。別に昨日は何も。……」
していないことは、ないんだよな。ああいうハグをした、という出来事は、多分普通では無い。
濁した言葉尻の意味を、甲塚は敏感に察したらしい。
「……チュー、した……?」
「チュー!?」
仰天して箸を落としてしまう。
「な、何よその反応。やっぱりあんた、あの宮島と……!」
「……いや、お前の口から『チュー』なんて言葉が出てきたことに驚いてるんだけど。甲塚って、そういうキャラだっけ……?」
まあ、それにしたって思ったより低めのボールが飛んできたが。
「う、うるさいわね。結局、どうなったの!?」
「どうなったも何も、お前の希望通りだよ。郁の告白は断って、今日あいつはショウタロウとデートする筈」
「はあ!? ど、どうして!?」
「何でそこでキレる……?」
「別にキレてないし」
俺は困惑しながらも、麺がごわごわし始めているのに気が付いて慌てて食事を再開した。甲塚はなんだか拍子抜けしたような様子で、しゅんとしてしまっている。頬杖を突いて、わざわざ俺の目の前に座って顔をそっぽ向かせているんだから……。
というか、甲塚は本格的に何しに来たんだろう。
当然のように俺ん家の食卓に座ってるけど、寝惚けた頭が冴えてくる程異常事態な気がしてきた。
「佐竹のくせに」
「あ?」
「佐竹のくせに……!」
テーブルの下で甲塚が俺の脛をぺしぺし蹴ってきた。人間って、脛を蹴られて痛くないことがあったのか。足を開いたり閉じたりすると容易く狙いを外し、椅子の脚を蹴って悶絶し始める。
「何なんだよ。何がそんなに気に入らないかな」
「佐竹の癖に、なんで今回に限って私の言うこと素直に聞いちゃうのよ……!」
突っ伏して悶絶する甲塚が呻いた。
「俺、結構甲塚の言うこと素直に聞いてると思うんだけど」
「はあ? それは、無い」
「いやいや、有るだろ。東海道先生の秘密を突き止めたり、合宿でショウタロウから好きな人がいること聞き出したり、美取とショウタロウとの関係を明らかにしたりだな……八面六臂の活躍とはこのことだ」
「東海道にはあっさり尾行がバレて、臼井の好きな人の名前は聞き出せなくて、飯島に至っては馬鹿面引っ提げて私達の所に連れてきたじゃない。わざわざ私の面を割ってくれてありがと」
「…………」
あ、あれ? 全部心当たりがあるし、言い返せない。
「まあ、物事にはネガティヴな面とポジティヴな面があるってことだよな」
スープだけになったカップ容器に箸を置いて、適当なことを言ってみる。
言ってから、あっ! と重大なことを思い出した。そういえば、俺は人間観察部――というか甲塚に謀反を働こうとしているんだった。
「適当なこと言って。佐竹のくせに」
「……あ。あと、先に白状しておくと今回も良いことばかりの結末じゃないんだよな……」
恐る恐る言い出すと、甲塚に盛大な溜息を吐かれてしまう。
「もう。今度は何?」
「俺は、クリスマスの次の日――ショウタロウが郁に告白した後、郁に告白する。それで、きちんとショウタロウと俺のどちらが良いかを決めて欲しいと、そういう話を昨日したんだ。……で、郁も納得してくれている。多分」
「……」
甲塚が、真顔のまま固まってしまった。表情が全く無い……。これは怒っているのか? 怒ってるよな、多分。散々郁と付き合うのは止せと釘を刺されたというのに、あろうことから俺の方から告白したわけだから。
ところが、甲塚は意外なことを言い出したのだった。
「それのどこが悪いことなわけ?」
「……え?」
真顔なままの甲塚と、束の間見つめ合う。多分、お互い何を考えているのか分からない顔をしているんだろう。
「お前言っただろ。俺と郁が付き合うのはダメだって。人間観察部には迷惑だって」
「言った」甲塚は大きく仰け反ると、満足いったような顔で笑い出した。「……くくく。そういうことね。そう考えたら、確かに最悪かな」
言っていることの割に、甲塚は晴れやかな感情を抱いているようだ。
――なる、ほど?
俺の中で、昨日から抱いていた様々な違和感が一本の糸を紡いだ感触がある。それを優しくたぐり寄せると、意外な事実が先に引っ掛かっているのだ。
「……俺、甲塚の考えてることよく分からないわ」
「私も佐竹のこと分かんないわよ。しょっちゅう意味不明な行動してるし。エッチだし」
「でも、お前があまり嘘を吐かない理由は分かった」
「ん?」
「お前、嘘が下手なんだろ」
「……は?」
「考えてもみれば、甲塚って知らない人間を前にしても取り繕うってことができない奴だもんな。……ははは! 嘘を吐かない、じゃなくて嘘を吐けないってことか!」
「……勝手に言ってれば」
甲塚は不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。これが良い証拠じゃないか。嘘なんて吐いていないと弁明するのも、また嘘になるわけだから。
「じゃあ勝手に言わせて貰うけど、俺は少なくとも一つ、お前の嘘を見破っているぞ」
「……」
「郁が傷ついても構わないっていうのは、流石に無理がある。そんなことを言い出すくらいならハナっから俺にショウタロウの恋を応援させるのか、邪魔させるのか聞かないって。お前の嘘は過剰すぎて、今までの言動から乖離してるんだよ。だからすぐ分かる」
「私、あんたのこと大っ嫌い」
流し目で恐ろしいことを言い出す。
「……それ、判別難しいかも。嘘だよな?」
「さて、と」甲塚は俺の心配を他所に、立ち上がってしまった。「もうそれ食べ終わったでしょ。早いとこ出るわよ」
「……だな」
俺は素直に立ち上がって、クローゼットからジャケットを取り出した。飯を食ってようやく頭に血が回ってきている。甲塚が俺の家に来た理由なんて一つしかないじゃないか。
「どこに行くかは聞かないわけ?」
「検討は付いているよ。郁を尾けるんだろ」
「正、解」
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