第131話 三分十一秒の恋人

 郁はまたも悩ましげな顔付きになると、


「うわーっ!!」

 

 と、立ち上がって自分の髪の毛をぐしゃぐしゃに揉みしだき始めた。

 

「なっ……なに……なにそれ!? 告白したと思ったら、断られた! と思ったら、逆に告白された!……と思ったら、告白をする告白!? 告白予告!? 蓮は一体どれだけ私を惑わすつもりなの!?」


「お、おぉ……なんかごめん」


 確かに俺が優柔不断だったことは認めるけど、そんなに情緒をコロコロしている自覚は無かった。散々感情を振り回されたらしい郁はストレートだった髪の毛をボサボサに散らして、両目はあらぬ方向に回転している。……人間というものは、この短時間でここまで壊れてしまうものなのか。


 いやいや、他人事じゃない。郁がこんな風になってしまった原因は間違い無く俺の口下手さにあるのだから。


 ……結構、勇気絞って想いを伝えたつもりだったんだが……。


「と、というか。何? 今度言うってどういうこと? 今じゃダメなの?」


「今は、ちょっとな」赤くなっているだろう顔を擦って言う。血が昇りすぎて、腫れ上がっているんじゃないだろうか。「こういうの、こんな平日のカラオケで言うようなことじゃないだろ。なんかイベント事にかこつけてさ……それこそ、昨日の花火大会とかな」


 郁は目を丸くして、ソファに座り直した。


「へえ、意外。蓮って、意外とそういうの気にするタイプ? でも、私は気にしないんだけど」


「へ?」


「そもそも、先に言い出したの私の方じゃん」


「……うん。それは、まあ……」


 それもそうなのだった。女子ならこういうの気にするって……甲塚が言っていたから、そうかと思ったんだけど。


 意外とこんなもんなの? 男子が想像する恋愛の情緒的なものは、女子には無いわけ?


「でも、だったら私失敗したのかな。どうせ蓮に告白するんだったら昨日の夜の方が良かったんだ」


「いや、別に昨日の夜なら良かったってわけでもないんだけどな」


 郁は人差し指で唇の下の窪みを突きながら、思い出す目付きで言う。


「あー、でも無理か。そもそも昨日は私、臼井君と一緒に……って、そうだ。彼、花火が始まるなりどっか行っちゃったんだっけ」

 

「……そう。ショウタロウがな……」

 

「ちょっと」俺の言葉に反応してか、郁が苦笑して言葉を遮る。「臼井君の話が出たからって、彼と付き合わせようとするのはやめてよね。私たち、もうお互いの気持ち分かってるわけだし」


「それが、そういうわけにもいかないんだ。政治的な圧力というか、外交というか、陰謀というか……」


「なんだそりゃ」


 目を閉じて、俺はもう一つ自分の中の毒を吐き出す必要があることを認識した。


「実は俺、昨晩はショウタロウに恋愛相談されたんだよ。丁度、花火が打ち上がる直前くらいにな」


「え!?」郁は濁音に近い悲鳴を挙げて、顔を青くする。「臼井君、人選ミスり過ぎてない……? 何で蓮? 一番ダメじゃん!!」


「う、うるさいな。てか、ミスってるってこともないし。ショウタロウが狙ってるのは郁だったんだから、郁に詳しいだろう俺に聞くのは正しいだろ」


「……あ、あはは」

 

「そうあからさまな苦笑をされると、結構傷つくんだけど」


「照れてるんだよ……」


 横目でそういう郁が、何故かちょっと可愛く見えてしまう。……なんか、おかしいな。今の俺。五感の全てが郁に向いてしまっているというか。


「とにかく」額の汗をまた拭って、俺は続ける。「俺、ショウタロウに言っちゃったんだ。告白するつもりなら、数回はデートすること。で、イベントというか、時期を見て想いを打ち明けること……」


「あ。あー……だから、臼井君が急に遊びに誘ってきたのか。ふーん。私の知らないところでそんなことが」


「ショウタロウは、きっと俺のアドバイスを実践するつもりだろうよ。郁と数回デートして、時期がきたら告白をする。それも、そう遠くない時期にな」


「う、うん。なんか嬉しいけど複雑だよ。今まで色んな人に告られてきたけど、……てか、さっきから言ってる時期って?」


「告白するのに相応しいタイミング」


「例えば?」


「クリスマス」


「あー……そっか。そういえば、もうすぐ年末なんだねえ」


 話の流れを読まない郁の感嘆に、俺まで年末の気配を肌身に感じてしまった。


「今年は色々あったよな。高校入学して、甲塚に目を付けられて、郁の秘密を知って、何でか、また郁と話をするようになって……?」


「合宿したり……あはははっ! それからは悪いことしたことしか憶えてないや」


 どうやら、話が逸れたことで少し落ち着きを取り戻したらしい。郁はコップに残っていたコーラを飲み干して聞いてきた。


「蓮さ、サンタさんのこと何歳まで信じてた?」


「幾つかな。物心が付いた頃にはそういうもんだと思ってた気がする。うちの親はそういうものに斜に構えててさ。普通にクリスマスプレゼントは何が欲しい? って堂々と聞かれてたからな」


「うえーっ!? 夢が無いなあ」


「夢ならあったよ。俺ん家の向かいに、心の底からサンタさんを信じている幼馴染みがいたからな。そいつがはしゃぐ様子を見てたら、こっちまで楽しくなったんだ。サンタなんていなくても、信じている奴が近くにいれば、それで良いんだ。俺は」


「……じゃあ、蓮って子供の頃から私に話を合わせてくれてたってこと!?」


「親にキツく言われてたからな。キツく言うくらいなら、サンタさんやれよって話なんだが」


「ふーん。ふふふ……」


 郁は目を閉じて、鼻から控えめな笑い声を出す。


「――とにかく、ショウタロウはクリスマスに告白するつもりでいる気らしい」


「うん」


 郁は目を瞑ったまま相槌を打った。これから俺が何を言うか、一つ残らず分かっているような声色だ。


「ショウタロウは、郁のことが好きだって、先に俺に宣言した。……で、あいつに告白するには時期を考えろって言ったのは俺だ。だから、今俺が郁に告白して、付き合い始めるのは卑怯ってことになるんだよな」


「そーかもねえ」


「だから、俺はショウタロウの後――クリスマスの翌日に、さっき言ったことを郁に言う。……告白するよ」


「……」


 頬杖を付いた郁が、ゆっくりと目を開いた。細く開かれた目は真っ直ぐ俺に向いている。


「だから、郁にショウタロウと俺をきちんと比べて欲しい。ショウタロウとデートをして、本当にショウタロウより俺の方が好きなのかを、クリスマス後の夜に考えて欲しい。……俺、わがまま言ってるかな?」


「言ってるよね。私はハッキリと想いを伝えたわけだし。それなのに、自分に自信が無いからって私に足踏みさせるわけでしょ?」


「うっ。……うん」


 すると、郁は急に背筋から足先までぐっと伸ばして溜息を吐いた。


「うん。でも、良いよ? それで蓮が気兼ねなく私と付き合えるってことなら、臼井君に告白されるまで待っても良い。ちゃんと彼とデートして蓮とどっちが良いのか真面目に考えても、私は良い」


「マジか!?」


 俺は立ち上がって万歳したい気分だった。


 これなら、甲塚の申しつけた条件は全てクリアできるじゃないか。


 郁を俺に惹きつけること、その上で、ショウタロウとのデートに参加させること。……俺と郁の交際が迷惑だと言ったのは、あくまでショウタロウの秘密を掴むまでの話。あいつがクリスマスまでにボロを出す確証は無いが、そこまで秘密を徹底するというのなら甲塚の見込み違いということで、流石に話は無かったことにできるだろう。


 まさしく万々歳だ!


 ……人間観察部にとっては。


 ここに来て俺が無視出来ないのは、本当に郁がショウタロウに惹かれてしまう可能性なんだよな。


 なんと言っても、あいつは高校一のイケメンで、スクールカーストの頂点で、恋人のポストは誰もが羨む王座なのだ。郁がそんなショウタロウとの逢瀬の内に、あっさりと鞍替えすることは、無いとは言えないのではないか。


 クリスマスまで、一ヶ月にも満たない期間。その静観の期間に、郁の心がバッドエンド候補にかっさらわれてしまうのではないかと――そう考えると、心がざわつくんだよな。


 郁は、黒目を動かしてデジタル時計を見た。


「もうすぐ退室の時間だ。五分前くらいに部屋の電話が鳴るんだよね」


「あ、そうなの?」


 カラオケに来たことは無いので、そういうルールがあるのは知らなかった。


「蓮の言いたいこと、分かった。……でもさ、今日私は勇気を出して蓮に告白したわけ。で、結局私達って両思いってことで良いんでしょ? 少なくとも今はさ」


「それは……少なくとも、今はな」


 今。それは、部屋の電話が鳴るまでの四分二十五秒。


「だったら、今だけ恋人でいるのって悪いことかな?」


「今だけ?」


「だから、私達はひょんなことから今すぐ恋人になって、部屋を出るまでに別れる関係になるってこと。別れる理由は、自然消滅でもなんでも良いけどさ」


 残り三分五十一秒。


「いや、普通に悪いことだろ。ふしだらこの上ない気がする……」


「悪いことなのは分かってるよ」郁はかなりの早口で言うと、笑って見せた。「でも、極悪ではないでしょ? 他の学校に不法侵入するよりはさ」


「それを引き合いに出されると弱るな。マジの犯罪の前じゃ、インスタントな不貞は霞むよ」


「じゃ、恋人でいよ」


 残り三分十一秒。


「軽く言うな……。恋人になって、どうするんだよ」


「恋人同士のハグをする」


「それ、前のハグと違うのか?」


「違うよ」


 残り、三分――


 郁は尻を俺の方に寄せると、すっと脇腹に両腕を差し込んできた。


「……!?」


 だが、この間のようなハグとは全然違う。何と言ったって、郁の腕は俺のブレザーとシャツの間に突っ込まれて、そのままぐるりと背中まで回っているのだ。そんなんだから、郁の体温が俺の腹に纏わり付いてくる。


 郁の体温を間近に感じながらガチガチに固まっていると、「蓮も……早く!」と、郁が急かしてきた。


 ……早く!? まさか、俺に同じ事をしろと……。


 とはいえ、ハグというものはそもそも聞き慣れない言葉だけど、一方だけが奉仕するような行為では無いことくらい分かる。


 恐る恐る郁のブレザーの中に腕を差し込むと、俺の手は郁の湿度のトンネルに入る。一方、無防備なお互いの胸がゼロ距離になり、お互いの顔も……。


 で、見つめ合った次の瞬間に室内電話が鳴り出したのだった。


 これで、俺たちは一旦別れることになったというわけだ。

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