第130話 慣れない嘘は優しい嘘
慌てて、スマホの通話口を手で覆った。なんだか、女子に告白されたことを違う女子に相談するのは世間的に憚れる気がする。……気のせいだよな?
「お、おおっ。甲塚。何だよ。いつもはすぐ電話出る癖に」
「あんたね、こういうときはコールした方が悪びれるものよ。私だって、四六時中電話に出られる状態なわけじゃないんだから」
言われて見ればその通り、かも。
「……すまん。今、時間大丈夫か?」
通話口に、甲塚の唇が何かを啜る音が聞こえた。コーヒーでも飲んでいるんだろうか。
「今は平気。お祖母ちゃんと少し話をしていてね。――それで、首尾は?」
「ええっと、ちょ、丁度今、郁とカラオケに来ていて……部屋から抜け出して話してるんだけど」
「ちょっと、落ち着きなさい。いきなり状況説明されても飲み込めない。佐竹がやるべきことは、宮島の気を惹くこと、臼井の誘いを宮島に受けさせること。簡単に進捗を話して」
確かに。俺は歩き回って、高鳴っている鼓動のエネルギーを運動エネルギーで消費した。それでちょっとだけ落ち着きを取り戻す。
「前半部分は大きく進展があった。進展がありすぎて、後半部分に滅茶苦茶差し支えていると思う」
「ふーん。……というと? 宮島の奴がなんか言ってきた? 逆に蓮とデートしたいとか?」
「郁が、俺と付き合いたいと言っているんだけど……」
スマホのスピーカーから聞こえる甲塚の呼吸が一瞬乱れた、ような気がした。
「ほっ――ふーん。そ、それは何? 宮島が、あんたをからかっているとか、そういうこと?」
「郁が、そんなことするわけないだろが」俺は空いた左手でコップに水を入れると一気に飲み干した。「こ、告白、されてるんだよ。……返事を聞くまで、カラオケを出る気は無いって言ってる」
「――」
急に会話のキャッチボールが甲塚の方で途絶える。その間に、もう一杯の水をコップに流し込んだ。
「甲塚? もしもし?」
「聞こえてる」
「俺、どうすれば良いかな」
「どうすれば良いって、何」
甲塚の声が、冷たくなっている。
「俺は、郁と付き合うべきなのか、付き合わないべきなのか……」
「それは、私が付き合うな、と言ったら宮島を佐竹が振るってことなの?」
「……あ」
甲塚が機嫌を損ねるのも当然だ。俺は、俺が決断するべきことを他人の責任に回避しようとしている。これは、軽蔑されるべき行為じゃないか。
途端に、今必死にスマホを掴んで甲塚と連絡を取っていることが恥ずかしく思えてきた。
「――ごめん。俺、今最低なことを……」
「佐竹」
俺の謝罪を、鉄を打つような甲塚の呼びかけが遮ってきた。
「ダメよ」
「ダメ!? ダメって、何が?」
「あんたが宮島と付き合うこと」
俺は目を見開いて、天井を見上げた。
甲塚が――人間観察部の部長が、ハッキリとダメだと言った。どうして俺は、そんな歪んだ出来事にホッとしているんだろう。
「考えてもみなさいよ。あんたが今宮島と付き合いだしたりなんかしたら、臼井の秘密はどうなるの? あいつを宮島に接近させないと、私はあいつの秘密の確証を取れない。ハッキリ言って、部にとって迷惑なのよ。だから宮島と付き合うのは絶対にダメ。私が許さないんだから」
「め、迷惑……でも、ちょっと待てよ。それじゃあ、俺たちが郁とショウタロウの仲を邪魔するって話はどうする? これからどうやって邪魔をする?」
「こうなったら仕方がないでしょう。宮島は佐竹に振られて――きっと、ショウタロウにも傷つけられる。で、私たちは宮島の犠牲でショウタロウの秘密を握ることが出来るってわけ。そもそも、あの怪力オタクなんて無理矢理私達の部に入ってきたようなもの。そう考えたら、別にこういう形で切り捨てるくらいのことは、されても文句言えないでしょ」
スマホのスピーカーから、呪詛に近い言葉が聞こえ続けている。これは本当に、あの甲塚が喋る言葉なのだろうか。
そう訝しがる一方で、甲塚の言うことは尤もだと考え出している自分もいる。
「そ――れは、本気で言っているんじゃないよな?」
「本気よ。……私、佐竹に嘘を吐いたことあったっけ?」
「ない気がする。まあ、今回みたいなだまし討ちはよくあるけど」
「それは言ってないだけでしょ。聞かれたことには割と答える方よ」
「じゃあ聞くけど、急に何で郁を突き放すようなことを言うんだ」
「そもそも私は宮島を身内と思ったこと、無いからね。別に友情を感じてるわけじゃないし……大体、佐竹だって宮島を振る気でいるんじゃないの? だから、わざわざ私に連絡を寄越してきた。違う?」
「……じゃあもう一つ聞くけど、臼井の秘密は一体なんだ」
「それは言わない。裏を取っていないから、私の言うことが嘘になる可能性がある」
「なるほど。……なるほど」
「じゃ、そういうことで。宮島の申し出は断ること。これ部長命令だから」
通話が切れた。
部長の言うことにゃ、俺が郁と交際を始めるのは迷惑ってことらしい。
仕方ない、か……。
*
ドリンクを持って部屋に戻ると、郁は律儀にスマホも弄らず待っていた。
彼女の緊張した面差しを見るに、きっと俺は覚悟を決めた顔をしていたんだろう。
「ほれ、コーラ」
「あ、うん。って、氷入ってない」
「氷入れない方が沢山飲めるだろ」
「びんぼ臭い発想だなあ」
郁はにやりと笑ってコーラを一息に半分以上飲み込んだ。
「そういうの嫌いじゃないけど。……で、どうする?」
俺はデジタル時計をちらりと見た。ぼちぼち最初に予約した一時間になりそうだ。
「もう一曲くらい歌って、そろそろ帰るか?」
郁の横に座りながら言う。言ってから、何も隣に座る必要は無かったと思った。さっき郁が詰めてきたので、彼女が座っていたソファが丸々一つ空いているのだ。
「もう一曲歌うのは良いけど、さ」郁は両手の指の腹を合わせて、グネグネと動かしている。「先に返事聞きたい……かな」
そう、ぼそりと呟く郁の横顔を見て、俺は悟ってしまった。
恐らく、俺が快諾すると信じている。いや、確信している……! ちらりちらりとこちらを盗み見る目の中に宿る期待の光は、そういう類いのものだろう。
……どうしよう。
滅茶苦茶心苦しくなってきた。
とはいえ、郁と付き合うわけにはいかない。だって、甲塚が嫌がるんだから。俺たちはショウタロウの秘密を掴まないとならないんだから。学校生活なんてものに唾を吐きかけるために――
「郁」
「はい」
「……ごめん」
「……へ?」
郁の目がまん丸に開く。俺の言葉をちょっと聞き違えて、苦笑して聞き直そうとしているような――そんな顔が、物凄い速さで悲しみに崩壊しそうになった。
「俺は……。……ああっ!?」
「うわ!? ビックリしたっ。何!?」
まん丸な郁の目を見て、俺はハッと思い出した。電撃的な閃きだったのだ。
「そういえば、月が綺麗なんだった」
「え……ん?」
「だから、月が綺麗だったんだよ」
「えっと……いや。んん?」郁は、混乱しきった様子で自分の首をゴシゴシ擦った。「今は屋内だし、昼下がりなんだけど……」
「……お前何言ってんだ?」
「いや、それ、めっちゃこっちの台詞なんだけど……ええ……?」
「だから、何度も言うけど月が綺麗だったんだよ」
「私の目には天井のどこにも月が見えないんだけど。てか、なんで過去形?」
「俺は合宿の海で見た月と、公園で見上げた月の話をしているんだよ」
「ええ……? うーん」郁は苦笑しながら、額の汗を指で払う。同時に襟元をバタバタとはためかせた。今気付いたが、胸元の汗で下着の色がシャツに浮いている。この冬にどれだけ汗をかいているんだ。「な、なぜ今その話を……」
「だから、綺麗だったんだって。あの時見た月ほど、綺麗に月が見えていたことは今まで無かった。高校に入ってからも、高校に入るまでも、だぞ」
「うん。……」
「郁と見た月は、俺の人生で一番綺麗で、暖かくて、輝いて見えていたんだ」
「あ」
郁は赤くなった頬を、今更両手で隠した。
「だから、俺は郁のことが好きなんだと思う」
「……」
「――ということを、今度俺の口から言おうと思うんだけど。どうかな?」
「は?」
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