第128話 沈黙の二十分

 懐かしい曲が流れる中、俺たちは立ったまま静止していたと思う。郁の言葉から一気に時間が飛んで、ようやく状況が認識できた。


 郁の友人に、俺を彼氏として紹介する――ということは、事実はともかくとして、俺を郁の彼氏ということにする、ということなんじゃないか?


「郁。それは――」


「次、蓮のパート!」


「あっ、あっ」


 驚いたことに、どうやら俺は時間が飛んだAパート、Bパートもきちんと歌っていたらしい。というか、郁のノリを見る限り歌っていたような気がする。慌てて画面に流れる歌詞の頭を捉えると、後は口が勝手に歌を思い出してくれた。


 二人のデュエットパートになると、真っ赤な顔を互いに見合わせて、息の合ったメロディーラインが出てくるから幼少期の思い出というのは凄い。……声の良さは、ともかくとしてな。


 間奏に入って、やっと話を再開出来る余白が産まれる。


「それは――言葉通りに受け取って良いものか?」


 何故か、マイクをオンにしたまま喋ってしまって、間奏のメロディーに俺の言葉が乗ってしまった。


「言葉通りって?」郁も何故かマイクをオフにしない。意外そうな表情で、曲の台詞みたいに喋っている。「他に解釈のしようなんて、ないと思うんだけどな」


「俺を恋愛トークのダシにしたいってことなら、別に良いんだけどさ。どうせ彼氏役を宛がうなら、本当の彼氏を作った方が良いじゃん。それこそ、ショウ――」


「うひーっ」

 

 何故か素っ頓狂な悲鳴を挙げて、次のパートを歌いだそうとした――と思ったら、


「私は蓮と付き合いたいんだけど!!?」


 そんなことをマイクに向かって絶叫するではないか。耳が痛くなるほどの告白に、すとんと腰がソファに落ちてしまう。もうこうなったら歌どころでは無いので、カラオケは一旦無視して郁もソファに座り直す。曲は流れたままだ。


「あ……え? そ、そういうこと?」


「そういういこと」一瞬前の勢いは何処へやら、しゅんとした郁が自分の膝を見つめて呻く。「蓮って、そういうことハッキリ言わないと分からないの? それとも、分からないフリ?」


「いや……だって、この間公園で話したときは、取り敢えず俺との関係は保留しておく、みたいな雰囲気だっただろ」たしか、今俺と郁が付き合ったところでトゥルーエンドには到達できないとか何とか。その時は、仲直りのハグまでしたんだ。「それがなんで今になって」


「確かに前はそう言ったけど……! なんだか、ここ最近の間に蓮は飯島ちゃんと仲良くなっちゃうし、薄らモテ始めてる気がするし、そのくせ私には臼井君と仲良くしろ、とか言うし――焦ってるんだよ、私。抱きしめ合うだけが関係の最高で、ちょっとした拍子に他の女の子とそれ以上の関係になりそうな気がしていて、怖い」


 ちょっと待った。俺は郁と抱きしめ合った憶えは無い。あの時は一方的に胴を締められて、打撲の痛みに悲鳴を挙げてしまったんだ。


 ……と、そんなことは今指摘したってどうしようもないよな。


「ちょっと、落ち着けよ。俺に恋人ができるわけないだろ。……ああ、もう。昨日から彼女だの彼氏だの花火だのショウタロウだの、いい加減うんざりしてきた」


「なんでそんなこと言い切れるの? それじゃあ、飯島ちゃんに告白されたら断る?」


「美取が俺に……ははは、何を馬鹿な。風邪を引いたってそんな夢は見ないくらい夢みたいなことだよ、それは」


「……うもお! 現実の可能性は置いといて! どうなの?」


 俺は、少しそんなあり得ないシチュエーションを想像してみた。あのヤマガク一の美少女が俺に対して愛を告白する……なんか、イメージすることすら恥ずかしい。それこそある日学校に侵入した悪い奴らをやっつける的な妄想だ。


 しかし、現実にそれがあるとすれば……。


「まあ、今と同じような反応をするだろうな。断る断らない以前に、正気に戻そうとする」


 最早苛立った様子の郁が、尻を滑らせて俺の横に移動してきた。反対側は壁と、俺たちのカバン。


「私正気なんだけど」


「狂った人間は皆そう言うと思う。てか近い、近い……」


 郁はもう俺にのし掛かるような勢いで圧を掛けてきた。体重は完全に俺の体に寄せてきているし、長い髪の毛が俺の首筋に触れている。


 というか――改めて、郁は可愛い女の子なのだ、ということを彼女の艶のある唇を見て強く実感した。こんなに可愛い女子が、俺のことを好きだと……。


 俺は、額から流れる汗を慌てて拭う。


 ――ギョッとしてしまうな。


 顔の熱さに対して、心の底がスッと冷えていく。


 ……もしもここに座っているのが他の男子だったら、郁の告白を一も二もなく受けていたんだろうか。


 受けていたんだろうな。


 どうして俺は受けないんだろう。


 俺の心の中には般若が暮らしていて、女性に対する恋心みたいなのがたわわに実ればジョキ!……と、切り落として食っているのではないだろうか。


 そんな気がしてきた。


 だから、こんなに心が冷えるのだろう。だから、郁と一緒になる未来に幸福よりも不幸を予感するんだろう。

 

「きょ、今日は……私と付き合うか、私を振るか。どっちか決めてくれない限り何時間でも延長するからね。蓮の財布がすっからかんになっても知らない……」


「今気付いたけど、やっぱり二人の打ち上げでカラオケっておかしい気がする」


「あ、今更? そりゃそうだよ……」


 それから、俺たちは何も喋らないままじっとしていた。モニターでは知らないアイドルグループの紹介映像が流れていて、彼女達はカラオケで歌を歌うときに何を意識しているかなどを話している。何でも、右から二番目に座っているツインテールの子は歌う前に必ずお茶を飲んでいるらしい。


 お茶ですか! ふーん!


 俺にしなだれる郁の瞳は、映像の光をチラチラと跳ね返していた。相変わらず互いの息が聞こえる距離感で、それだというのに俺たちはどうでもいい映像の移り変わりを見ている……。


 そのまま、二十分くらいが経過した。これは体で感じた時間ではない。本当に、カラオケの機械に表示されているデジタル時計が二十分過ぎたのだ。


 その間、俺たちはどちらかがする咳払いにもう一方がドキリとしたり、お互いがお互い何を考えているんだろうと考えたり、寄せ合った(郁に寄せられた)部分の体温が自分のものなのかもう一方のものなのか分からなくなったり、した。


 デジタル時計が二十一分の時刻経過を告げたとき、このままだと本気で財布が空になるかもしれないと危惧して、口火を切る。


「俺……」


「ん」


「やっぱり、分からない。人を好きになるってこと」


「……ん」


「何で、俺には分からないんだろう――」


 俺は両手で顔を擦って、呻いた。


「分からない、かあ」


 俺は郁が不安な気持ちになっているんじゃないかと慌てて説明を足す。


「そりゃ郁のことは親密に感じてる。可愛いとも思う。けど……怖いんだよな、人って。心のどこかで底知れない悪意があるのではないかと……」


「蓮はさ、多分感情を一言で表すのを辞める、ってところから始めたら良いんじゃないかな。怖いとか、好きとかいう感情の主体が大雑把すぎるんだよ。私達、お互いの恥ずかしい秘密知ってるんだよ? 冷静に考えたら怖がる理由なんてないじゃん」


 確かに。言われて考えると、未だかつて互いの秘密を知り合うような他人は俺の周囲に存在しなかった。


「それに、知らないことなんて大したことじゃない。これから知れば良いだけのことなんだから」


「これから知るって、どうやって」


「私が教えてあげるってこと……」


 そう囁くなり、郁は思いっきり俺の体を押し倒してきた。そのまま這うように俺の体にのし掛かり……カラオケボックス、二人きり、この展開は――


 すけべな漫画で見たことがある!! まさか!?


「いよっと……」


「ん?」


 淫靡な展開になるかと思いきや、郁は俺の上を乗り越えて自分の鞄を開いているじゃないか。彼女が取り出したのは一冊の単行本。ベタベタと付箋がはみ出しまくっていて、相当読み込まれたことが一目で分かる。


 それを、自慢げに突きつけてきた。


「私、めっちゃ勉強したんだから。人を好きになるってことをね……!」


「教科書は恋愛小説かよ」


「うるさいなあ。別に良いでしょ。えーっとね」


 付箋を手繰る郁を前に、俺はこっそりと長い息を吐いた。


 早とちりしなくて良かったよ、ほんと……。

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