第127話 渋谷、三時

 打ち上げ経験者の郁の案内に従って、センター街方面のカラオケ店にやって来た。


 受付の列では、何故か桜庭の制服を来た連中が目立つ。やはりどいつもこいつもカップルで――考えても見れば当然のことだ。一応学祭の打ち上げをしにここへ来たけれど、当の桜庭じゃ未だに学祭の真っ只中なんだからな。今頃体育館のステージでは芸人の漫才が客を沸かせているだろうし、校舎裏のテントでは屋台フードをつつく人たちで埋まっていることだろう。


 ……つまり、土曜の午後三時にここらで制服を着て出歩くのは、ほぼ桜庭の生徒だけ。それも学祭を途中で抜けだそうと考えるのは二人きりになりたいカップルに限られる。


 目の前で手を繋いでいる桜庭カップルを尻目に、俺はちょっと周りの視線が気になり始めていた。


「幾ら打ち上げと言っても、二人きりでカラオケに来るのって普通なのかな? 何か変じゃないか?」


 郁は、わはははと豪快に笑って堂々と胸を張った。


「ぜ~んぜん変じゃないね。むしろ、わざわざ打ち上げに集まって食事だけで帰る方が変だって! ほんと蓮は世間知らずだなあ」


「あ、そう……」


 郁が言うんだから、そういうもんなんだろう。


 ……そういうもんなんだよな?


 落ち着き無く周囲をキョロキョロしてると、不意にすっと体重が軽くなった気がした。


 と思ったら、郁が腕を絡ませていたのだ。腕を引かれるままに受付で入店手続きを済ませてしまう。俺の勘違いじゃなければ、郁の横隔膜からドクドクと馬の足音のような鼓動が伝わっている。


 そのまま通路を歩いて行こうとするので、力が抜けた一瞬の隙に郁の脇から腕をすっぽ抜いた


「……」


 一体何を考えているんだ。まじまじと郁の顔を伺っても、素知らぬ様子で歩いて行くではないか。


 ……なんだろう。なんか、今日の郁が怖くなってきた……。


 組まれていた腕を擦っていると、不意に背後から「あれー!? 郁じゃん!」と女子の声が掛かった。振り向くと、郁の友人らしい女子と、名前も顔も知らない男子がやはり手を繋いで通路を歩いてきたところだ。


「あれ!? こんなところで奇遇だね!……ていうか、あれ!? 二人……」


 郁が、女、男と指を指して口を開いたり閉じたりする。どうやら、二人とも郁にとっては顔なじみらしい。女の方は郁の慌てた様子をギャハハハと笑っているが、男子の方は急な遭遇に動揺の方が勝っている表情をしている。


ふと男の方と目が合って、何となく会釈をしあった。


 ……なんか、彼の気持ちが凄く分かるな。こういうときって男の立ち位置が無いというか。


「そういう郁の方だって、男連れてるし。……ん?」女の方が俺の顔を見て一気に体温を感じない顔つきになる。「あれ? 君って、ヤマガクの回し者じゃないの? 何で郁とこんなとこに来てるわけ?」


「誰がヤマガクの回し者だ。……今日は、部活で学祭の打ち上げに来てるんだ。な?」


 ――と、郁と顔を見合わせようとしたが、何故かこちらに視線を寄越さない。仏頂面のまま正面の虚空を見据えている。


「あれ。い、郁?」


「……そうそう。私達同じ部活でさ。二人で打ち上げに来たんだよね」


「あ~……。ふーん……」


 女子の方が、何かを察した顔でそそくさと男を連れて前へ進んでいく。


 なんなんだ。


 おかしな雰囲気のまま、お互いの部屋へと俺たちは別れた。周囲の視線が無くなってホッとしたのも束の間、今度は来慣れていないカラオケという空間に戸惑ってしまう。それにこの狭さときたら……まず郁が部屋の中に体を入れると、俺が郁の体と壁の間を縫うようにして奥のL字ソファに座らないといけない。で、俺たちは膝をつき合わせて落ち着くわけだ。


「俺、そういえば純粋にカラオケ来るの初めてだよ。前に甲塚と三人で来た時はマジで勉強だけして帰ったし。……というか、俺が歌える歌なんて懐メロくらいしかないかも」


 人前で歌うのなんて恥ずかしいけど、まあ郁とはお互いの秘密を晒し合った仲だ。


 初めての経験にドキドキしながら端末を操作していると、さっきから何も喋っていない郁に気が付いた。薄暗い部屋で俯いて、スカートからはみ出した膝を擦り合わせている。


 もじもじしている、としか言いようがない。


「……ちょっと。さっきから何なんだよ。雰囲気おかしいぞ」


 俺が声を掛けると、郁は少しばかり顔を上げた。この暗闇の中で、瞳が光がぬらぬらと煌めいている。


「いや、別に。……なんか、最近知ってる人のカップルよく見かけるな、って思って」


「カップル? ああ。そういえば、さっきの二人以外にも受付に並んでいたような気がするな」


「うん。そうそう。空気読んで声は掛けなかったけど、街歩いてたら他にも見かけてさ。……なんか、皆どうしちゃったんだろうね。さっきの子なんて、夏頃はクラスの男子と付き合うなんてあり得ない! って宣言してたのに、連れてる男子は思いっきり同じクラスだったし」


「はははは」俺は素直に笑い声を挙げてしまった。「なるほど。この年頃の女子にはありそうなエピソードだな。思春期なんてそんなもんだろ」


「それが、笑い事じゃないんだよ!」郁は困った顔で尚も膝を擦り合わせる。「私の友達、みんな彼氏作り始めてて……。そんなに乗り気じゃなかった子も、周りの風潮がそんなんだから慌てて男子に声掛けたりしてるんだよ? 蓮はどう思う!?」


 カラオケの個室に入ってのっけから何なんだこの話は。


 俺は、一旦タブレットをテーブルに置いた。


「どう思うと聞かれても……別に良いんじゃないの? 友達に恋人が出来るくらい、素直に祝福してやれば良いじゃないか」


「嫌だ!! だって、彼氏できた人はね、なんか私達を子供扱いしてくるんだもん。向こうだって付き合い立てで大して仲も進んでない癖に!!」


「ああ、はは……。なんかお前も甲塚に毒されてね?」


「蓮。良い? 女子の友情は、マウントの取り合いと紙一重。私達は何も学園生活で勝ち負けを決めたいわけじゃないけど、対等でいる必要はあるんだよ」


「お、おお……」


 郁の奴、いつになくシビアな話をしている。流石に一軍で闘う女子なだけはあって、女子との関係には矜持みたいなものを持っていたのか。


 そうだよな。ちゃらんぽらんな女子が、学園のカースト上位に食い込めるわけがないんだ。そこは郁なりの計算があるんだろう。


「対等でいるったって、彼氏彼女がいるいないで上も下も無いと俺は思うぞ。最近は男女ともに独身で生涯を過ごす人も多いんだ。高校生だからって、価値観のアップデートをサボるのは良くないぜ」


「ま、それは確かに私も思うんだけどさ。……そういうことじゃなくって……」


 郁は両手を膝の裏に回して、ゆらゆらと前後に揺れ始める。


「大体、ここ最近で付き合った連中なんてどうせ花火大会の伝説目当てだって。そんなインスタントに出来上がった関係性なんて、変だろ? だから気にすることはない」


「だから、私もそう思うけど……。ていうか、花火大会の伝説って何……?」


 俺は一瞬、氷室会長とショウタロウが宣う伝説とやらを口伝しようとしたが、よく考えれば八割憶えていないので即座に諦めた。

 

「とにかく!……そうだ、歌おう。せっかくカラオケに来たんだからさ」


「……だね! そうだ。蓮、この曲憶えてる?」


 郁がタブレットを手際良く操作すると、あっというまに懐メロの予約がカラオケの機械に入ったらしい。聞き慣れたイントロが流れる間に、郁が一方のマイクを寄越して、もう一方は自分で持つ。


「……。これデュエットだよな? てか、世代じゃないし」


 モニターに流れ始める、九十年代感満載の煌びやかな映像を前に呟くと、郁が嬉しそうに俺の膝に膝をぶつけてきた。


「憶えてる癖に! 私達、子供の頃よく歌ってたじゃん? ほら、立って!」


 そういえば、そんな記憶がある。確かこの曲は九六年のビックナンバーなんだが、どっちかの親が居間のスピーカーでしょっちゅう流していたからということで、俺と郁の間で束の間大流行したのだった。


「た、立つのか。カラオケって、何か慣れないな……」


「渋谷って言ったら、この曲しか無いよね! 丁度今五時だし?」


 驚いて時計の短針を確認した。全然違う。


「――三時半だよ! 昼下がりだろ!」


「えっ嘘。まいったな……」


 ファンキーなイントロの中、そんな郁の台詞が、一瞬後にモニターの字幕に表示される。なんと出来上がったテクニックなんだろう。


「お前、何か俺を乗せるの上手いよな……」


 呆れ半分、感心半分で呻くと、郁は腹を抱えて笑い出した。

 

「あははっ。幼馴染みなんだよ、私達! 世界で一人だけの!」


「大袈裟に言うよ、ほんと……と、俺のパート始まる」


「ねえ、蓮!」


「ん?」


「蓮のこと、友達に彼氏って紹介していい?」


 次の瞬間、俺の耳には何故かAパートとBパートをすっ飛ばしてサビが聞こえていた。

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