第125話 秘密の重みはピザの味
赤煉瓦の緩やかな坂を進んでいくと、先導する甲塚が不意に路地に突き出した階段を昇っていった。彼女が予約したという石窯焼きのピザ専門店はこの建物の二階にあるようだ。
「ほお」と、隣を歩く郁が感心したように店の外観を眺める。このエリアらしく南欧風な佇まいで、扉のガラスから覗く店内は薄らと暗く、シックな雰囲気が漂っている。
うん。打ち上げするには落ち着きすぎるような気がするけど、男女が立ち寄る店という観点なら良いチョイスかもしれない。
――問題は、絶賛仲が冷え込み中の俺と郁が、だまし討ちのような形でここに連れ込まれるわけで。
階段を上がる途中で、甲塚が突然スマホを取り出して立ち止まった。
「どうしたの? 甲塚さん」
「悪いんだけどちょっと急用。私、家に帰らなきゃ」
「……」
なんと適当な言い訳なんだろう。冷えた眼差しで甲塚を見つめていると、ギラリとにらみ返してきた。
「ええっ!? 打ち上げは!? ピザは!?」
「仕方ないわ。私の名前で予約取ってるから、二人で入ってよ。コース入れてないし、キャンセル料取られちゃうからさ」
「……え、れ、蓮と二人で!?」
顔を赤らめた郁がバッと俺に振り向くと、律儀に眼を逸らす。
「甲塚さん。こ、困るよ。そんな急に……。私と蓮、今微妙な感じなんだよ」
確かにそうなんだが、それを俺の前で堂々と言っちゃう辺りが郁だな。
「何を突然塩らしくなることがあるのよ。あんたたち、さっきから普通に喋ってるじゃない」
「間に甲塚さんがいるのといないのとじゃ全然違うよぉ」
「違わないでしょ。……というか、そろそろ私行かないと。佐竹、じゃあ後はよろしく頼むわよ」
甲塚が郁と俺の横を通り過ぎようとした。
「期待するなよ」と、これは郁に聞こえない声量で言う。
「……私は期待なんかしない。推測と立証だけ」
その推測を盛大にミスってこの事態があるわけなんだが。
*
……とは言っても、今日までの甲塚の実績を考えれば、皮肉なことに万事が万事上手いこと事態が進展しているんだよな。
ショウタロウが連れ添っていた相手は彼の家族である美取だったわけだけど、一応突き止めることまではしたし、甲塚によれば既にショウタロウの秘密は推測できているという。
甲塚は、大事なことを言わないのはしょっちゅうだけど、嘘は言わない奴なのだ。多分。
……ということは、ここで俺が郁と楽しくお喋りすることが出来れば、事態は動く可能性が高いということである。
テーブルに広げたメニューから目線を上げて、こっそり郁の顔色を窺った。すると、何故か向こうの視線とかち合ってしまう。
「あ。え~と、注文どうしよっか?」
「……じゃあ、俺はマルゲリータ」
郁がうげっ、と顔を顰める。
「芸が無いなあ。せっかくこんなにお洒落なお店に来たんだし、変わったピザにしようよ。この店オリジナルのメニューとかさ」
「別に良いけど、変わったメニューじゃこの店が美味しいのかどうか分かりにくくないか? 最初は定番のものを頼んで、次来るときに変わり種を頼むようにしてるんだ、俺は」
「……確かに! じゃあ私もマルゲリータにしようかな……」
郁の単純さに、思わず笑ってしまった。
「いや、今日は二人で来てるんだし、定番のものと変わり種を二人で頼めば良いかもな。ピザだし、シェア出来るだろ」
「あ~、その手があったか!……ちょっと待って? この店、ハーフアンドハーフもあるよ……」
ついさっきまで気まずそうにしていたというのに、郁はずんずんメニューの沼に沈んでいく。本当に目の前のことへの集中力が凄いというか――単純なんだよな。
結局、俺たちはお互いがハーフアンドハーフで四つの風味のピザを注文することになった。渋谷で郁と飯を食べにきたことは何度かあるけど、こういう頼み方をするのは非常に珍しい。大体がラーメンだもんな。
「二人なら、良いね。知らないお店に来ても一気に色んな料理を食べられるんだ」
注文を終えると、郁がしみじみと呟いた。
「今更? そっちは友達としょっちゅう外食しているだろ」
「んー……してるけど、大人数で行くと会話が忙しいし。安いファミレスとかが多いからね。こんなに立派なお店には中々来ないよ」
「へー」
それからコップの水を飲み込むと、何だか会話が途切れてしまった。また気まずい沈黙が襲いかかってくる。
「……」
郁の方も、くびりと水を一口飲む。
前まで郁とどんな話をしていたのか全然思い出せない……。何を話そうか、とかそんなこと意識したことも無かったんだ。
――そうだ。郁と俺というのは、元を正せばその程度の間柄である。性格も趣向も、付き合う人たちの煌びやかえ違う。
幼馴染みというだけ、なんだよな。
「何笑ってるの?」
目線を上げれば、郁が眉を顰めて俺を見ていた。
「いや、何か俺たちって変だなって」
「変? どこが?」
「変だよ。俺と郁とじゃ、何もかもが違う。底辺を這いずり回ってる俺の幼馴染みが、今や学年一注目されてるショウタロウと付き合うか付き合わないかってところなんだからな」
郁が机を軽く叩いた。
「ちょっと。勝手に臼井君との仲を勘ぐられないで欲しいんだけど」
「別に勘ぐってなんかいないよ。お前だって、ショウタロウにその気があるってことくらい分かってるんだろ。だから、わざわざデートになんか誘ってんだよ」
「……」何か言葉を噛みつぶすような顔をして、呻く。「それは……それくらい……分かるけど」
「それに、郁はショウタロウと一緒になるのが正しい、という気もする」
「何それ」
「俺たちって、親が近くに住んでいなかったら一言も話さないような関係だったんじゃないかなって思うんだ。それを、幼馴染み、なんていう言葉一つで色々あってさ。同じ部活にまで入っちゃったんだから」
「何、それ……」
「明日のショウタロウの誘い、受けてみろよ。意外と楽しいかもしれないぞ」
「……」
郁の目の端が光っている。
……泣いている!?
「う……お、おぉい。どうした。なんで泣くんだよ……?」
「泣いてないし」
「いや、だって、涙……」
ハッとした郁が目を擦った。が、一度流れたものは次から次へと流れてくるようだ。慌てて眼を擦るからどんどん赤くなってくる。
「せ、せっかく、美味しいピザが食べられると思ってたのにぃ……」
ピザ? ピザが食べたくて泣いている?
「ピザならもうすぐ来るぞ。も少し、頑張れ!」
「どうせ振るんなら、食べてからにしてよぉ……!」
振る? 振るって……。
俺は慌ててテーブルの上に振るようなものを探した。粉チーズがある。
「郁、粉チーズならまだ振ってないぞ」
「こ、コナチーズ?」
「粉、チーズ」
「粉チーズ……って、違う!! 蓮が私を振ってるんじゃん! 今!!」
「え?」
俺が郁を振る? シェイクの方じゃなくて、フイにする方の振る?
「どうして俺が、郁を振っているってことになる……?」
流石に郁の方も、涙を流しながら「ん?」と怪訝な目付きになっている。多分、今の俺もそんな顔になっているんだろう。
一旦、水を飲む。すると、郁もシンクロしたようにコップを口に付けた。
「だって、今臼井君とデートしろって言った」
「言ったけど、そもそも、お前俺のこと軽蔑してるだろ」
「はあ……!? 一体何でそういうことになっちゃってるかな……!」
「何でって、もう俺の秘密知られちゃったし……」
「秘密? 秘密って、蓮がエッチな絵描いてること!?」
「おぉぉ大声で言うなっ……!!」
顔が真っ赤して激昂する郁は、もう俺の静止も聞かない。周りに桜庭の制服は見当たらないが、これでは赤っ恥だ。
「それが何!? 私だってエッチなゲーム遊んでるもん!」
「あ。それは知ってるけど」
郁の顔色が、赤から青に変わる。まるでクイズ番組のパネルだ。それから、我を取り戻して小声に切り替えてくれた。
「あ。いや、たまーにだから。たまに……。でも、とにかくそういうことだから。――ていうか、最近蓮が私に冷たかったのってそれが理由!? しょうもな!」
しょうもない!?
驚愕した拍子に、顎がかくんと下がってしまった。
俺の秘密がしょうもないだと? 俺にとっては、まさしく一世一代の罪の告白だったんだ。それこそ郁とから絶縁されることを覚悟したくらいの。……それが、しょうもない!?
「大体、蓮こそ私の秘密なんて大して気にしてない癖に。所詮人の秘密なんてそんなものなんだよ……! もう、甲塚さんに毒され過ぎ! コンプレックスとか、そういうの他人にとってはどうでも良いことじゃん!」
た、確かに……。
郁の秘密なんて、俺にとってはプロフィールの一項目くらいにしか思っていなかった。とすると、郁にとっての俺の秘密も同じようなものなのか……?
こちとら、世を忍ぶすけべ絵師なんだぞ!?
「だからさ。別に私は蓮を軽蔑してないし――同じだから。公園で言ったときと」
「あ」
そうなるのか。
「……そういうことだから」
そうなるよな。
突如、恥とは別の感情による熱が俺の顔を襲ってきた。……郁の方も顔は赤いが、一体何の感情でそうなっているのかは分からない。
その時、料理を運ぶ南欧風の店員がやってきた。
「アツアツだから、気を付けてね」と片言の日本語で、ハーフアンドハーフのピザを置く。
周りの客の、クスクス笑う声が耳障りだ……。
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